九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

氷川神社(さいたま市大宮区)

2010-04-05 11:35:46 | 神社参拝ー関東
 氷川神社(さいたま市大宮区)を掲載しました。

 氷川神社(ひかわじんじゃ)
<通称>お氷川様(おひかわさま)
【鎮座地】〒330-0803 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1丁目407 旧武蔵国 足立郡
【御祭神】須佐之男命 稻田姫命 大己貴命 (配祀)倉稻魂命
【例祭】 8月1日 例大祭 8月2日 神幸祭・橋上祭 12月10日 大湯祭
【旧社格等】官幣大社(現別表神社)
   武蔵國一の宮
   式内社 武蔵國足立郡 氷川神社 名神大 月次新嘗
【御由緒】
 武蔵一宮 氷川神社
鎮座地 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町
御祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)
    稻田姫命(いなだひめのみこと)
    大己貴命(おおなむちのみこと)
例祭日 八月一日
社 殿 銅板葺流造
境内地 約三万坪
由 緒 
 氷川神社は今から凡そ二千有余年前、第五代孝昭天皇の御代三年四月未の日の御創立と伝えられます。当神社は、歴朝の御崇敬・武将の尊敬も篤く、景行天皇の御代日本武尊は東夷鎮圧の祈願をなされ、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝命により武蔵国造となって氷川神社を専ら奉崇し、善政を布かれてから益々神威輝き、格式高く聖武天皇の御代武蔵一宮と定められ、醍醐天皇の御代に制定された延喜式神名帳には名神大社として、月次新嘗案上の官幣に預り又臨時祭にも奉幣に預っています。武家時代になってからは鎌倉、足利、徳川の各将軍家等相継いで尊仰し、奉行に命じて社殿を造営し社領を寄進する等、祭祀も厳重に行われていました。
 明治の御代に至っては明治元年、都を東京に遷され当社を武蔵国の鎮守・勅祭の社と御定めになり天皇御親ら祭儀を執り行われました。次いで明治四年には官幣大社に列せられました。
 昭和九年昭和天皇御親拝、昭和三十八年今上陛下が皇太子時に御参拝になられ、昭和四十二年十月、明治天皇御親祭百年大祭が執り行われ社殿、その他の諸建物の修復工事が完成し、十月二十三日昭和天皇・皇后両陛下御揃いで親しく御参拝になられました。昭和六十二年七月には天皇・皇后両陛下(当時皇太子・同妃殿下)が御参拝になられました。
 (社頭境内案内図より)

 さいたま市大宮区(旧大宮市)にあります。JR京浜東北線の終点「大宮駅」の北東1.5km、高鼻町の大宮公園に隣接して鎮座しています。「大宮」の地名も当社に由来しています。

  神橋から楼門
 三の鳥居をくぐり長い参道を進むと神池に架かる朱の欄干の神橋の向こうに楼門です。
神橋を渡ると左に銅板葺き、朱の柱の荘厳な手水舎があります。

 楼門社殿は楼門から回廊に囲まれた中にあります。

 楼門から舞殿楼門を入ると正面に荘厳な造りの舞殿です。
奥に拝殿から本殿と続いています。

  拝殿
 御祭神は須佐之男命、お后・稲田姫命と御子・大己貴命の三柱、かつては夫々男体社、女体社、簸王子社と称する三神殿に祀られていたが、明治に入り一社殿に改められています。
 第五代孝昭天皇の御代、出雲の杵築大社を勧請し創建。景行天皇の御代、日本武尊は東夷鎮圧の祈願をなされたとも伝えられています。当社と同名社は埼玉県に162社、東京都に59社等多くを数え、その本社とされています。

 社殿全景現在の社殿は鎌倉、足利、徳川の歴代将軍家により造営が繰り返され、明治に入り改造、昭和15年本殿、幣殿、拝殿、舞殿等国費で竣成、直近では昭和39年本殿、拝殿の修営工事が竣工しています。

 本殿本殿は銅板葺屋根の一部が見えるだけで全容は見られません。

 舞殿から楼門境内は玉砂利が敷き詰められ綺麗に整備されています。

 楼門官幣大社の風格を備えた壮麗な造りです。
現在の楼門は昭和15年竣工、昭和42年舞殿、祈祷殿とともに改修工事が行われています。

 境内左から舞殿、拝殿・本殿、右の赤い屋根は授与所です。

 境内社境内右授与所の横の東門を出たところにあります。
右、末社・御嶽神社(大己貴命・少彦名命)、左は稲田姫命の御両親、足摩乳命・手摩乳命を祀る摂社・門客人神社です。

 楼門から神橋

  神橋から神池
 神橋の左側(西側)の神池には宗像三女神を祀る境内摂社・宗像神社の鎮座する小島があります。
 その前には稲荷神社があります。

 境内末社・六社神池手前、境内右(東側)にあります。
山祇神社(大山祇命)石上神社(布都御魂命)愛宕神社(迦具土命)雷神社(大雷命)住吉神社(住吉三神)神明神社(天照大御神)の六社です。

 境内末社・松尾神社神池手前、境内左(西側)にあります。御祭神は大山咋命です。

 境内摂社・天津神社境内右奥にあります。
御祭神は大国主の国作りに際し、波の彼方より天乃羅摩船に乗り来訪した神、少彦名命です。

 参道から三の鳥居
境内は樹木の囲まれ広くゆったりとしています、大宮公園に隣接していて散歩、ジョギングなどの人も多く見られます。

 額殿と神楽殿三の鳥居をくぐって直ぐ、右にあります。
側に「この額殿は江戸末期の古い建物で地震の時は危険ですから速やかに立退いて下さい。」とあります。

 一の鳥居「さいたま新都心駅」の北200mほどにあります。
左の道路は旧中山道、道路沿いに「氷川大明神 武蔵國一宮 佐々木文山書」の石碑、佐々木文山(1659‐1735)は江戸時代前期-中期の讃岐高松藩につかえる書家です。
 鳥居をくぐると三の鳥居までおよそ2km続く「氷川参道」です。途中1.5kmほど北「大宮駅」近くには木製の鳥居としては関東一の大きさの二の鳥居があります。
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