
水祖神社(島根県隠岐の島町)を掲載しました。
水祖神社(みおやじんじゃ)
<通称>天神さん(てんじんさん)
【鎮座地】〒685-0015 島根県隠岐郡隠岐の島町港町68 旧隠岐国 周吉郡
【御祭神】水祖神 (合祀)菅原道眞
【例祭】 7月25日 例大祭 7月26日 例大祭 7月26日(隔年) 例大祭
【旧社格等】郷社
式内社 隠岐國周吉郡 水祖神社
【御由緒】
神社の由緒
当神社は、水祖神社(ミオヤジンジャ)と称し祭神はミズハノメノカミとなっています。
水祖神社は一般的には川や水源地等水を司る神様としてお祀りされてあります。
その昔、隠岐島周辺では海賊が出没し、住民は日々脅威をおぼえ、不幸な生活を送っていました。又、国境の島として国防上の重重なところでしたので、朝廷から特に高官が派遣され、沿岸の治安、航海の安全に心配りをされ、カをそそぎました。その高官の中に非常に功績があり、帰京することなくここで生涯を終えられたお方があり、その人の名はわからなくなりましたが、海岸の丸いきれいな石を積上げ、古墳として遺徳を偲び神様としてお祀りしたものであります。他の水祖神社とは全く異なった神様であります。
このお宮に合祀されている天満宮は、大昔、中條地区八尾川上流沿いの小さな祠に菅原道真公を祀った天神社がありましたが、ある年たいへんな大水が出ました。山のように積まれていましたすくもやわら束が一度に押し流されこの水祖神社の境内にたくさん流れ着きました。不思議なことに、その中から網に入った天神様が現れました。氏子たちはおそれおおいことと早速水祖神社に合祀しました。この神社の森の裾野は満潮時には浅瀬となり、潮が引くと陸地になるので、その有様を水の原(ミノハラ)といい、ここに現れた天神様ですので、「みのはらの天神」と呼びました。
尼子家忠臣 山中鹿之助幸盛が隠岐國府尾城主 佐々木為清に援軍を求めて来島したとき、主家尼子家再興を祈願に、水祖神社へ参詣したと傅えられています。
祭礼については、西町・港町の熊野神社・大川神社・東山神社・松尾神社・御崎神社・国府尾神社・水祖神社の七杜が参加し、当番神社を定め、地区住民が会同で祭礼を行っております。神社の例祭日の毎年七月二十五日・二十六日に、川祭りといって八尾川の安全厄除け祈願の行事から御輿を出して、お旅祭りで町内の渡御式を行い、今日に至っております。
(境内由緒掲示板より)
隠岐島後、隠岐の島町港町にあります。西郷港から西に数百m、八尾川河口に架かる天神橋の西側たもとに鎮座しています。隠岐プラザホテルが隣接しています。
鳥居の扁額には「水祖神社」とあります。境内横の鳥居は「天満宮」となっています。
境内入口の狛犬
鳥居の両脇にあります。鳥居をくぐると左に手水舎、右に由緒掲示板があります。
拝殿

かなりの規模の拝殿です。海の近くからか高床式になっています。
社殿全景
御祭神は「罔象女命」とありますが、由緒によると、「隠岐に派遣され隠岐で生涯を終えた朝廷の高官の遺徳を偲び祀った」とあります。
本殿
本殿は一段高い位置に板塀に囲まれてあり、全容は見られません。
社殿全景
境内には大きな松が繁っていて、ゆったりとしています。
拝殿から鳥居
社前は漁船の係留場所となっています。
西郷大橋の夕日

西郷湾に架かる西郷大橋は市街地と隠岐空港をむすぶ重要な橋です。
橋の長さは260m、1977年に完成、アーチ橋の長さでは日本第3位とのことです。
当社近くの旅館(ホテルではない)に着いた時、目の前に見えましたので、急いで撮影しました。
水祖神社(みおやじんじゃ)
<通称>天神さん(てんじんさん)
【鎮座地】〒685-0015 島根県隠岐郡隠岐の島町港町68 旧隠岐国 周吉郡
【御祭神】水祖神 (合祀)菅原道眞
【例祭】 7月25日 例大祭 7月26日 例大祭 7月26日(隔年) 例大祭
【旧社格等】郷社
式内社 隠岐國周吉郡 水祖神社
【御由緒】
神社の由緒
当神社は、水祖神社(ミオヤジンジャ)と称し祭神はミズハノメノカミとなっています。
水祖神社は一般的には川や水源地等水を司る神様としてお祀りされてあります。
その昔、隠岐島周辺では海賊が出没し、住民は日々脅威をおぼえ、不幸な生活を送っていました。又、国境の島として国防上の重重なところでしたので、朝廷から特に高官が派遣され、沿岸の治安、航海の安全に心配りをされ、カをそそぎました。その高官の中に非常に功績があり、帰京することなくここで生涯を終えられたお方があり、その人の名はわからなくなりましたが、海岸の丸いきれいな石を積上げ、古墳として遺徳を偲び神様としてお祀りしたものであります。他の水祖神社とは全く異なった神様であります。
このお宮に合祀されている天満宮は、大昔、中條地区八尾川上流沿いの小さな祠に菅原道真公を祀った天神社がありましたが、ある年たいへんな大水が出ました。山のように積まれていましたすくもやわら束が一度に押し流されこの水祖神社の境内にたくさん流れ着きました。不思議なことに、その中から網に入った天神様が現れました。氏子たちはおそれおおいことと早速水祖神社に合祀しました。この神社の森の裾野は満潮時には浅瀬となり、潮が引くと陸地になるので、その有様を水の原(ミノハラ)といい、ここに現れた天神様ですので、「みのはらの天神」と呼びました。
尼子家忠臣 山中鹿之助幸盛が隠岐國府尾城主 佐々木為清に援軍を求めて来島したとき、主家尼子家再興を祈願に、水祖神社へ参詣したと傅えられています。
祭礼については、西町・港町の熊野神社・大川神社・東山神社・松尾神社・御崎神社・国府尾神社・水祖神社の七杜が参加し、当番神社を定め、地区住民が会同で祭礼を行っております。神社の例祭日の毎年七月二十五日・二十六日に、川祭りといって八尾川の安全厄除け祈願の行事から御輿を出して、お旅祭りで町内の渡御式を行い、今日に至っております。
(境内由緒掲示板より)
隠岐島後、隠岐の島町港町にあります。西郷港から西に数百m、八尾川河口に架かる天神橋の西側たもとに鎮座しています。隠岐プラザホテルが隣接しています。
鳥居の扁額には「水祖神社」とあります。境内横の鳥居は「天満宮」となっています。
境内入口の狛犬

鳥居の両脇にあります。鳥居をくぐると左に手水舎、右に由緒掲示板があります。
拝殿


かなりの規模の拝殿です。海の近くからか高床式になっています。
社殿全景

御祭神は「罔象女命」とありますが、由緒によると、「隠岐に派遣され隠岐で生涯を終えた朝廷の高官の遺徳を偲び祀った」とあります。
本殿

社殿全景

拝殿から鳥居

社前は漁船の係留場所となっています。
西郷大橋の夕日


西郷湾に架かる西郷大橋は市街地と隠岐空港をむすぶ重要な橋です。
橋の長さは260m、1977年に完成、アーチ橋の長さでは日本第3位とのことです。
当社近くの旅館(ホテルではない)に着いた時、目の前に見えましたので、急いで撮影しました。
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