あるTV番組で10代の若者にインタビューしていた。
「1945年8月6日に日本で何があったか知っていますか?」
「…さあ?」
私だって当然戦中世代ではないが、今の若い子には原爆の史実なんて、本当に本当に遠いものでしかないのだなと思った。
この間映画『インディ・ジョーンズ・クリスタルスカルの王国』を観に行った。
大大大好きなインディ・ジョーンズ。もうハリソン・フォードはおじいちゃんだって分かってるけど、それでもあのワクワクをもう一度味わいたくて映画館に行った。
おじいちゃんになったことさえもギャグにするほど逞しくしぶといドクター・ジョーンズの冒険活劇は、確かに面白かった。
だけど深夜の映画館を後にして、何だか充分に楽しめなかった自分に気が付いた。
原因はあのキノコ雲。
ドクター・ジョーンズが軍事施設の近くの街と勘違いして入って行った核実験施設場で、いきなり秒読みが始まり、配置されたマネキン人形の頭の上で核爆弾が炸裂するというシーン。ドクター・ジョーンズは“鉛製”の冷蔵庫の中に隠れて、間一髪助かるのだが…
一瞬で音もなく溶けるマネキン人形のリアルさや、間近で彼が見上げる巨大なキノコ雲の不気味さと、その後軍の施設の中で真っ裸のドクター・ジョーンズが防護服に身を包んだ作業員に囲まれてブラシで体をごしごし洗われるという脳天気さが、ものすごくミスマッチで、「そういうもんじゃないでしょう」と思わずつぶやいてしまった。
何でしょうね、こういう無神経さがいかにもアメリカなんでしょうか?
他の監督が同じようなシーンを描いたのなら、私も表現の自由の方を尊重して、何も言わなかったと思う。けど、これを製作したのが天下のスティーブン・スピルバーグとジョージ・ルーカスというところが、なんともやり切れない。
自分達の映画を、一体世界で何億人の人が観ると思っているんだろうか?
プロパガンダ映画ではなく、娯楽大作であるがゆえに、何の抵抗もなくこのビジュアルを受け入れる人の数を考えて欲しい。
核兵器は家に鉛製の冷蔵庫があれば助かるものですか?
核は被爆してもその後体を洗えば取れるものですか?
これを広島、長崎の被爆者の人が観たらどんな気持ちになるか考えましたか?
世の中に大きな影響力を持つ人は、政治家であれ、映画監督であれ、己のアウトプットするものにもっと神経を使って欲しい。
別にインディ・ジョーンズはあの核実験のシーンがなくても充分スペクタクルでエキサイティングで超娯楽大作でしたよ。
これがかの名作「太陽の帝国」を撮ったスピルバーグ氏の見識かと思うと残念でならない。
8月が近いので、もう1つこの前CATVで観た映画『パールハーバー』についても触れておこう。
こちらは娯楽大作とも言い難い金ばかりかかった駄作であったわけだが、最後まで観てしまったので、せめてその損を取り返すために言わせてもらう。
確かに旧日本軍がハワイで行った奇襲作戦は、アメリカ人にとっては忘れ難い屈辱で、歴史の汚点なのには違いない。しかし、この“アメリカ万歳・戦争ヒーロー”の思想はいかがなものか?
これが2001年の9.11の直後に公開された映画と聞けば、何となくその意図はピンと来るが、そのために史実を曲げてまで、戦争と戦争で闘った軍人を美化しなければならないアメリカ映画産業の歪んだ現実を目の当たりにした気がした。
戦争は、仕掛けた方もやり返した方も、どちらも罪人である。
どちらかが善でどちらかが悪ということなど決してないし、イデオロギーを振りかざして敵を作れば、引くに引けなくなって、どちらの側も疲弊する。勝っても負けても後に残るのは哀しみばかり、ということに皆気が付いているのに、こういう映画の作り方は本当に観衆を愚弄していると思う。
ただ1つ功績があるとすれば、この駄作をきっかけに、第2次世界大戦と真珠湾と東京大空襲について語る人や調べる人が増え、戦争の記憶が人々から薄れるのを少しだけ引き延ばしたという点だけだ。
いつになく硬い内容になりましたが、改めて命の尊さを知った7月に。
映画と平和をこよなく愛した彼に捧ぐ。
「1945年8月6日に日本で何があったか知っていますか?」
「…さあ?」
私だって当然戦中世代ではないが、今の若い子には原爆の史実なんて、本当に本当に遠いものでしかないのだなと思った。
この間映画『インディ・ジョーンズ・クリスタルスカルの王国』を観に行った。
大大大好きなインディ・ジョーンズ。もうハリソン・フォードはおじいちゃんだって分かってるけど、それでもあのワクワクをもう一度味わいたくて映画館に行った。
おじいちゃんになったことさえもギャグにするほど逞しくしぶといドクター・ジョーンズの冒険活劇は、確かに面白かった。
だけど深夜の映画館を後にして、何だか充分に楽しめなかった自分に気が付いた。
原因はあのキノコ雲。
ドクター・ジョーンズが軍事施設の近くの街と勘違いして入って行った核実験施設場で、いきなり秒読みが始まり、配置されたマネキン人形の頭の上で核爆弾が炸裂するというシーン。ドクター・ジョーンズは“鉛製”の冷蔵庫の中に隠れて、間一髪助かるのだが…
一瞬で音もなく溶けるマネキン人形のリアルさや、間近で彼が見上げる巨大なキノコ雲の不気味さと、その後軍の施設の中で真っ裸のドクター・ジョーンズが防護服に身を包んだ作業員に囲まれてブラシで体をごしごし洗われるという脳天気さが、ものすごくミスマッチで、「そういうもんじゃないでしょう」と思わずつぶやいてしまった。
何でしょうね、こういう無神経さがいかにもアメリカなんでしょうか?
他の監督が同じようなシーンを描いたのなら、私も表現の自由の方を尊重して、何も言わなかったと思う。けど、これを製作したのが天下のスティーブン・スピルバーグとジョージ・ルーカスというところが、なんともやり切れない。
自分達の映画を、一体世界で何億人の人が観ると思っているんだろうか?
プロパガンダ映画ではなく、娯楽大作であるがゆえに、何の抵抗もなくこのビジュアルを受け入れる人の数を考えて欲しい。
核兵器は家に鉛製の冷蔵庫があれば助かるものですか?
核は被爆してもその後体を洗えば取れるものですか?
これを広島、長崎の被爆者の人が観たらどんな気持ちになるか考えましたか?
世の中に大きな影響力を持つ人は、政治家であれ、映画監督であれ、己のアウトプットするものにもっと神経を使って欲しい。
別にインディ・ジョーンズはあの核実験のシーンがなくても充分スペクタクルでエキサイティングで超娯楽大作でしたよ。
これがかの名作「太陽の帝国」を撮ったスピルバーグ氏の見識かと思うと残念でならない。
8月が近いので、もう1つこの前CATVで観た映画『パールハーバー』についても触れておこう。
こちらは娯楽大作とも言い難い金ばかりかかった駄作であったわけだが、最後まで観てしまったので、せめてその損を取り返すために言わせてもらう。
確かに旧日本軍がハワイで行った奇襲作戦は、アメリカ人にとっては忘れ難い屈辱で、歴史の汚点なのには違いない。しかし、この“アメリカ万歳・戦争ヒーロー”の思想はいかがなものか?
これが2001年の9.11の直後に公開された映画と聞けば、何となくその意図はピンと来るが、そのために史実を曲げてまで、戦争と戦争で闘った軍人を美化しなければならないアメリカ映画産業の歪んだ現実を目の当たりにした気がした。
戦争は、仕掛けた方もやり返した方も、どちらも罪人である。
どちらかが善でどちらかが悪ということなど決してないし、イデオロギーを振りかざして敵を作れば、引くに引けなくなって、どちらの側も疲弊する。勝っても負けても後に残るのは哀しみばかり、ということに皆気が付いているのに、こういう映画の作り方は本当に観衆を愚弄していると思う。
ただ1つ功績があるとすれば、この駄作をきっかけに、第2次世界大戦と真珠湾と東京大空襲について語る人や調べる人が増え、戦争の記憶が人々から薄れるのを少しだけ引き延ばしたという点だけだ。
いつになく硬い内容になりましたが、改めて命の尊さを知った7月に。
映画と平和をこよなく愛した彼に捧ぐ。