神戸に住んでいながら意外と神戸のことを知らない。
ということを、こんな場所を訪れたときに思う。
今日は、住吉山手の白鶴美術館の近くにある「旧乾邸」の見学に行った。
ヨーロッパと耽美的なものが大好きな、お友だちのS子さんの誘いである。
この建物は1936年、今からちょうど70年前に建築家・渡辺節の設計により、海運業で名を馳せた乾新兵衛の邸宅として建てられたもの。
渡辺節と言えば、元町・旧居留地の商船三井ビルなどを設計した昭和初期の有名な建築家。
この乾邸もモダンで優美で、かつ重厚な、贅を尽くした神戸の洋館建築のひとつとして知られている(ということを今日知った)。
乾家の人々がこれを手放した今は、芦屋のNPO法人・アメニティ2000協会が保存運動をしており、こういった内覧会を月に一度くらい開いて、認知度を上げる活動をしているもよう。
では早速行ってみましょう。
雨が降っていたけど、庭の紅葉がとても美しい。左に見えるのは水泉。
列柱が並ぶエントランスホール。ヨーロピアンな雰囲気。
豪華なシャンデリアが輝く客間。天井高く、大きなガラス窓からはいっぱいに光が差し込み、暖炉は格調高い。壁や床の装飾もヨーロッパの色々な時代の様式をミックスしてデザインされている。
暖炉に施されたぶどうの彫刻。マントルピースの上には小磯良平の絵がかかっていたという。
これは客間の中にある階段。ここから主人が「よくいらっしゃいました」とか言いながら降りて来たらしい。オペラチックな演出だ。
海運業なだけに、ガラスの模様が波。
玄関ガラス扉横の鉄の装飾。玄関のタイルはイスラミックタイルをわざわざ海外から取り寄せたのだそう。施工は竹中工務店だと言っていた。
玄関入るとひと際目を引く2階へ続く階段。この写真ではよく見えませんが、総チーク材の透かし彫りを施した重厚な手摺りは、これだけでマンションが2軒くらい買える値段するそう。
3階のサンルームからは神戸の海まで見渡せた。素晴らしい。お見事!
建物自体は大変美しく設計・施工されていて、建築史的に見て非常に価値が高いのは間違いない。だが、主のいないがらんとした家はどこか寂しく、“時の流れ”とか“栄枯盛衰”とか、そういう言葉を思い出さずにはいられなかった。
震災前までは実際に人が住んでいたということで、その頃の雑誌(多分「家庭画報」か「太陽」か「サライ」)に取り上げられた写真を見たのだが、いい家具が置いてあっていい絨毯が引いてあって、暖炉の上には確かに小磯良平の絵がかかっていて、それはそれは「おっ金持ちぃ~」でハイソな生活の雰囲気が漂っていた。その写真からは、確かにこの家の“人の暮らしぶり”が伝わって来て、私はむしろそちらの写真の方にとても惹き付けられた。(その頃招待されて来たかった。で、「エエお宅ですなぁ~」って言ってみたかったw)
もちろん、この住吉山手界隈は豪邸が立ち並ぶ高級住宅街で、しかもこういう家に住んでる人なので、私たちには想像もつかない暮らしぶりだったに違いないが、どんな暮らしであっても「個人の暮らし」が感じられるから「家」および「建築」というのは面白いのであって、使われなくなった建築物というものを、使わないまま保存する、ということには、いささか私は疑問を感じてしまう。
もしも私が超お金持ちだったら、ささっと3億ぐらい払って国から長期リースでこの家を借り受け、部屋を改装して“歴史的建造物を再生した洋館ホテル”として経営する。そして超VIP待遇なサービスを提供して、「神戸で一度は泊まってみたいホテル」としてフィガロで取り上げられて話題になってみせるのに・・・そしたらこの家の良さを存分に生かせるのに・・・と思ったりしてみた。←ちょっと妄想入ってます(笑)
ああ、もったいないもったいない。
ということを、こんな場所を訪れたときに思う。
今日は、住吉山手の白鶴美術館の近くにある「旧乾邸」の見学に行った。
ヨーロッパと耽美的なものが大好きな、お友だちのS子さんの誘いである。
この建物は1936年、今からちょうど70年前に建築家・渡辺節の設計により、海運業で名を馳せた乾新兵衛の邸宅として建てられたもの。
渡辺節と言えば、元町・旧居留地の商船三井ビルなどを設計した昭和初期の有名な建築家。
この乾邸もモダンで優美で、かつ重厚な、贅を尽くした神戸の洋館建築のひとつとして知られている(ということを今日知った)。
乾家の人々がこれを手放した今は、芦屋のNPO法人・アメニティ2000協会が保存運動をしており、こういった内覧会を月に一度くらい開いて、認知度を上げる活動をしているもよう。
では早速行ってみましょう。
雨が降っていたけど、庭の紅葉がとても美しい。左に見えるのは水泉。
列柱が並ぶエントランスホール。ヨーロピアンな雰囲気。
豪華なシャンデリアが輝く客間。天井高く、大きなガラス窓からはいっぱいに光が差し込み、暖炉は格調高い。壁や床の装飾もヨーロッパの色々な時代の様式をミックスしてデザインされている。
暖炉に施されたぶどうの彫刻。マントルピースの上には小磯良平の絵がかかっていたという。
これは客間の中にある階段。ここから主人が「よくいらっしゃいました」とか言いながら降りて来たらしい。オペラチックな演出だ。
海運業なだけに、ガラスの模様が波。
玄関ガラス扉横の鉄の装飾。玄関のタイルはイスラミックタイルをわざわざ海外から取り寄せたのだそう。施工は竹中工務店だと言っていた。
玄関入るとひと際目を引く2階へ続く階段。この写真ではよく見えませんが、総チーク材の透かし彫りを施した重厚な手摺りは、これだけでマンションが2軒くらい買える値段するそう。
3階のサンルームからは神戸の海まで見渡せた。素晴らしい。お見事!
建物自体は大変美しく設計・施工されていて、建築史的に見て非常に価値が高いのは間違いない。だが、主のいないがらんとした家はどこか寂しく、“時の流れ”とか“栄枯盛衰”とか、そういう言葉を思い出さずにはいられなかった。
震災前までは実際に人が住んでいたということで、その頃の雑誌(多分「家庭画報」か「太陽」か「サライ」)に取り上げられた写真を見たのだが、いい家具が置いてあっていい絨毯が引いてあって、暖炉の上には確かに小磯良平の絵がかかっていて、それはそれは「おっ金持ちぃ~」でハイソな生活の雰囲気が漂っていた。その写真からは、確かにこの家の“人の暮らしぶり”が伝わって来て、私はむしろそちらの写真の方にとても惹き付けられた。(その頃招待されて来たかった。で、「エエお宅ですなぁ~」って言ってみたかったw)
もちろん、この住吉山手界隈は豪邸が立ち並ぶ高級住宅街で、しかもこういう家に住んでる人なので、私たちには想像もつかない暮らしぶりだったに違いないが、どんな暮らしであっても「個人の暮らし」が感じられるから「家」および「建築」というのは面白いのであって、使われなくなった建築物というものを、使わないまま保存する、ということには、いささか私は疑問を感じてしまう。
もしも私が超お金持ちだったら、ささっと3億ぐらい払って国から長期リースでこの家を借り受け、部屋を改装して“歴史的建造物を再生した洋館ホテル”として経営する。そして超VIP待遇なサービスを提供して、「神戸で一度は泊まってみたいホテル」としてフィガロで取り上げられて話題になってみせるのに・・・そしたらこの家の良さを存分に生かせるのに・・・と思ったりしてみた。←ちょっと妄想入ってます(笑)
ああ、もったいないもったいない。