のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

高野山行2

2015-09-04 | Weblog
奥の院を出てもと来た道を引返します。途中、分かれ道がございました。
↓大木の手前を左に折れると杉木立から出るルートになります。太陽さんさんでちょっと暑そう。しかし来た時とは別の道をたどってみるのもよかろうと思って出てみたわけです。


まあ暑いのなんの。
正午前の強い日差しが遮るものもなく降り注ぎ、石畳で目玉焼きくらいは作れそうな勢い。
木立の中の道とほんの数メートルの隔たりしかないのが信じられないような温度差でございます。ああ、植物は偉大なり。
できればもとの参道に戻りたかったのですが、枝道になっているのは先程の一カ所だけらしく、仕方ないので汗を吹き拭きバス停へ向かいます。

程なくやって来たバスで市街地へと向かう途中、苅萱堂(かるかやどう)前で下車。お堂に入って行きますと、堂守の御老人が話しかけていらっして、あれよあれよという間にろうそくを買わされました。もっともこれは単にワタクシが断り下手だからであって、何も買わなくても拝観できます。
お堂の中では高野山ゆかりの僧、苅萱道心とその息子石童丸 - Wikipediaの物語を、彩色された木彫レリーフ(あまり芸術性が高いものとは思われませんでした)と解説文によって辿ることができます。現代の価値観で見ると「そもそもおめーが妾を囲い入れた上に家庭放棄したのが悪いんじゃねーか!」と苅萱道心をしばき倒したくなるようなお話ではございましたが、謡曲や説教節において、道徳的なお話として長らく語り継がれて来た説話なんだとか。

お堂を出てからてくてく歩いて行くと、立派な構えの史跡らしい建物がございます。(↑真ん中の写真)おずおずと入ってみても門前を掃いているお坊さんがたに呼び止められることはなく、これは拝観できる所なのかなと思って玄関口のスリッパをお借りしてぺたぺた上がって行きました。ところがこれが宿坊だったらしく、奥から出ていらっしたお坊さんに「ちょっとそこの人!声もかけんと勝手に上がってもろたら困りますよ!」と指さしで怒られました。

もう寄り道はしないことにして、黙々と金剛峰寺へと向かいます。

蝉しぐれの金剛峰寺。

境内の一角に、何か現代アートじみた素敵なものが立っております。
近づいて説明書きを読んでみると、実際に現代アートでございました。美術作家の崔石鎬氏による、護摩木を積み上げた作品とのこと。
詳しくは↓こちら。
artpot - ホーム

悼みや祈りのひとつひとつが丁寧に積み上げられて、天に昇せられる時を待っております。周囲と調和しながらもしんと自己完結した、厳かで美しい空間でございました。

金剛峰寺の中を拝観。枯山水を望める廊下から。

窓辺では可愛いかなぶんぶんが涼んでおります。

廊下の突き当たりは大広間になっており、煎茶のお接待をいただけます。雲を食べるような白くて軽い煎餅がお茶菓子に付いて来ました。
ひっきりなしに人が来るので、まかないの皆さんは大忙し。「はい~お二人様~」「はい~次の方どうぞ~」とこの一角だけやけに威勢がいい声が飛び交っていて、ちょっと可笑しかった。

お茶をいただいて一息ついてから廊下を少し戻り、枯山水を左手に見ながら進んで行きますと、しまいにお台所へ着きました。小さな天窓からいい具合に外光が降り注いでおります。見える場所に段ボールとか積んでなかったらもっとよかった。


力尽きたので、次回に続きます。

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