のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

カルマジーノフ

2006-10-28 | 
本日は
ツルゲーネフの誕生日です。(1818年 新暦では11/9)  おめでとうございます。
明後日は
ドストエフスキーの誕生日です。(1821年 新暦では11/11)  おめでとうございます。

ツルゲーネフとドストエフスキーといえば、『悪霊』 でございますね。

ドストエフスキーは長編『悪霊』の中に、西欧かぶれの文学者カルマジーノフなる人物を登場させております。
この人物は、ツルゲーネフの戯画でございます。
ドストさんの筆はいたって辛辣です。
こんな具合に。

こういう中どころの才能しか持ち合わせないくせに、存命中天才扱いをされる先生がたは、たいてい死んでゆくと同時に、世間の記憶から跡形もなく消えてしまうのはまだいいほうで、どうかすると、まだ生きているうちから、新しい世代が生長して、大家連の活動していた時代に取って代わるが早いか、不思議なほど早く人から忘れられ、度外視されてしまうものである。・・・またこうした中どころの才能を持った先生がたが、年功で尊敬される人生の下り坂にかかる頃には、普通、自分でもまるで気のつかないうちに、意気地なく書きつくして種切れになるのは間違いのない話である。久しい間、きわめて深い思想を抱いているものと信じられ、社会活動に対する大きい真面目な影響を期待された作家が、とどのつまり自分の根本思想の稀薄で瑣末なのを暴露し、意外に早く種切れになったからといって、だれひとり惜しがってくれない、というようなことも、往々にして見受ける習いである。ところが、かしらに霜をおいた老作家はそれに気がつかないで、腹を立てている。彼らの自負心は、まさにこの活動の終わりに近い頃、ますます大きくなっていて、時としては、驚嘆を禁じ得ないことさえある。いったいこの連中は、自分をなんと心得ているのか知らないが、少なくとも神様くらいには思っているのだろう。 
ドストエーフスキイ全集 9 悪霊 米川正夫訳 1970 河出書房新社 p.81

カルマジーノフが『メルシィ!』という作品を朗読し(ツルゲーネフ作『足れり!』のパロディー)、
聴衆から大不興を買うという場面まであります。

同時代で交流もあった作家を、ここまで露骨にこきおろしかつおちょくる、というのは
はなはだ大人げない感じもいたしますが
ドストさんに「大人げ」だの「分別」だのいうツマラナイものを期待するのがそもそも間違いかもしれません。
だって
ぎらぎら輝く悪と
嬰児のごとき無垢と
その間でのたうち苦しむあこがれ
を体現したキャラクターたちこそが、ドスト氏の真髄ではございませんか。
なんつって。

『悪霊』は、話が終わる頃には主要登場人物のほぼ全員が死に絶えているという
大筋だけ見るとなんとも陰鬱な小説でございますが
どっこい、笑いどころが大変多うございます。のろはゲラゲラ笑いながら読みました。
カルマジーノフ氏も、本作の喜劇性におおいに寄与しておいでです。
ツルゲーネフは「死んでゆくと同時に、世間の記憶から跡形もなく消えてしまう」ことはございませんでしたが
こんなかたちでまで後世に残ろうとは、予想もしなかったことでございましょうね。


*『悪霊』に笑いどころが多いと言うのは、あくまでのろの個人的な感想です。
「つまらなくて、中盤まで読むのが苦痛だった」というご意見もまま目にいたします。
いずれにせよ、『悪霊』はドスト氏の作品中、のろが最も愛好する作品です。
その喜劇性においてではございません。
無垢なる無神論者にして世界を愛する自殺哲学者、キリーロフがいるからでございます。


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (のろ)
2016-12-07 20:13:47
閲覧者様のご希望により、コメントは削除しました。
なお、本文で触れているツルゲーネフ作『足れり!』については、日本語訳が掲載されている媒体を見つけられませんでしたが、英語訳は以下で読むことができます。

http://www.online-literature.com/turgenev/2712/
https://ebooks.adelaide.edu.au/t/turgenev/ivan/jew/chapter5.html

コメントを投稿