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国会での法案審議を公開しながら加速する方法の一案

2005年08月29日 | 政治・社会

前のブログで、国会における法案審議の問題点として、会期内の時間が短いのでであまり多くの法案が審議できないという点を指摘しました。また、これを利用して意図的に法案を廃案にしたり、非公開のうちに決めてしまったり、ということが現在の国会では横行していることを指摘しました。これを解決するには、法案の審議スピードを意図的に遅くすることができないようにし、さらに今よりも加速化する方策が必要です。しかもこれを非公開の会議ではなく、公開された環境で実施する必要があります。

これを実施する一つの案として「法案コメント票による審議」を提案します。

この案は法案提出時に法案提出者が法案のチェック経緯を記録したコメント票を添付し、そのコメントの多寡や品質によって審議するかどうか決め、審議ももっぱら委員と法案提出者によるコメント票のやり取りで進める方法です。コメント票は公開されるので、誰がちゃんとチェックして法案を提出し、誰がいい加減にチェックしているのか、言いがかりのようなコメントをあげている委員は誰か、的を得た指摘をしている委員はだれか、といったことが如実にわかります。

このように誰がどのようなコメントをあげているかが記録に残ることで、法案そのものの質もさることながらチェックする議員の資質も露になるやり方になります。

また実際の審議は下記の手順の(5)くらいなので的も絞れており、それほど長時間の審議を必要としないと考えます。確かにコメント票の作成・チェックには相当時間がかかりますが、持ち帰りで実施できるので、それぞれの議員の都合の良い時間帯を利用することができるようになります。でもやはり忙しくなると思うので、週末ごとに地元に帰るなどという悠長なことができなくなるでしょう。これにより、地元への利益誘導型の政治手法から真に国のために働く実務型の政治手法への脱却も促される、というメリットも出てくるのではないかと思います。

手順

(1) 法案提出者は法案提出時に所定数のコメント票を記載しなければならない。コメント作成者は提出者他、所定数以上の議員とする。

(2) 重複がなく、かつ法案の内容に関わるコメントが所定数以上添付された法案であると委員長が確認した時点で、委員に対し法案に対するコメントの作成指示を行う。

(3) 委員は提出された法案に対しコメントを作成する。コメントが無ければ当該法案に賛成とみなす。

(4) 委員から所定数以上のユニークかつ内容に関わるコメントが出たと判断した時点で、委員長判断で法案審議を打ち切り、差し戻す。

(5) 委員からのコメントが所定数以内の法案に対し、コメントに記載された内容に関する審議を実施し採否を決定する。コメントが1つも挙がらない場合は、そのまま可決とする。

コメント票や審議結果の公表について

(A) コメント票は記名で実施し、すべて公開する。

(B) コメント票は基本的にQ&A方式とする。法案提出時のコメント票は自問自答形式で記載。委員によるコメント票作成は、委員が質問を記載し、法案提出者が回答を記載する形式とする。

例:

Q xxxとの記述があるが、yyy法との整合性はどのように考えるか。

A yyy法ではzzzの分野について言及しており今回のwwwの分野はカバーしていない。本法案はwwwの分野をカバーするものであり、yyy法とは棲み分けができている。

(C)誤字脱字の指摘や同じ内容のコメントを繰り返したものはコメント数にカウントしない。

(D)コメント票に対する評価結果および委員長判断も、すべて公開する。


ブログ党では、このような法案コメント票をわかりやすく分析し、可視化するサービスを提供することを考えています。このような法案審議の品質や議員の資質を簡単にチェックする手段を提供することによって、姑息な手段に出る政治家を排除でき、国会を実質的な法案審議の場、論理と論理がぶつかり合う真剣勝負の場にすることができる考えます。


ソフトウェア開発における発注者と受注者の関係 ~その先の市場のことを忘れていませんか?~

2005年08月28日 | ビジネス・マーケティング

私は仕事柄ソフトウェアを外注さんに製造してもらう事が多いのですが、その時に「仕様が膨らんだので費用追加お願いします」という外注さんからの依頼がやってくることが良くあります。そして発注者、受注者の間で、膨らんだのは仕様なのか、設計・製造工数なのか、というところを精査することになります。一般にソフトウェア開発は仕事の完成に責任を持つ請負契約で実施される事が多いのですが、その場合双方合意した仕様書に基づいて開発する事が前提となります。ですので、仕様が膨らんだのであれば費用の増分は発注者負担、設計・製造工数が膨らんだのであれば受注者の見積ミスになるので受注者負担となります。

とは言っても発注者も受注者も有限の予算の中で活動をしていますので、実際の交渉時はそれぞれの事情を背景とした様々な駆け引きが発生します。例えば発注者側が「たくさん発注してるんだからそれくらいタダでやってよ」と言ったり、受注者側が「費用追加は要らないし納期の変更もしない変わりに品質を落とすが、それでも良いか」と言ったりします。もっと泥臭いケースもあるでしょう。

しかしここで発注者、受注者ともに立ち止まって考えて欲しいのです。自分の携わっているソフトウェア開発は何のために実施するのかを。

そのソフトウェアは、直接的には発注者の便益のために開発することになるのですが、更に発注者の顧客に対する便益の為に開発する事も多いはずです。そのような便益の連鎖をたどってゆくと最終的には「市場」に行き着きます。従って「市場」に便益を与えなければ対価は得られない、と言う意味では発注者も受注者も基本的には同じはずです。発注者の顧客に便益を与えるのであれば、発注者自らの収支のみを気にして費用追加に応じないと言う態度は疑問ですし、品質を落として発注者との契約を形の上で完了させれば良いと言う受注者の態度も問題があると考えます。

発注者も受注者も「市場」に対しどのように便益を提供するか、という事を考えて行動すべきです。そうすれば自ずととるべき態度が見えてきます。

発注者のとるべき態度: 
(1)仕様追加・変更の場合
その仕様追加・変更が本当に市場に便益を与えるかどうかを吟味し、そうであるならば費用追加をしなければならない。そうでないならば仕様追加を取り下げなければならない。費用追加をした結果予算をオーバーする場合、本当にそのソフトウェアを製造することが市場に便益を与え十分な対価が得られるか再度吟味すべきである。その価値がないと判断したら、その時点で開発を終了する事も考えなければならない。

(2)設計・製造工数増加の場合
原則的には受注者が負担するものであるが、ソフトウェアは見積が困難であるという事も忘れてはならない。杓子定規に受注者負担にすると受注者側の経営基盤を揺るがしかねない可能性がある。受注者側が機能不全になってしまっては発注者も身動きが取れず、結果的に市場に便益を与えられなくなってしまう。納得いかないかもしれないが市場に便益を与えると言う本来の目的を達成するならば、費用を支払う事も考える必要がある。この事に対するペナルティーは別な機会に考えれば良く、必ずしも現在のプロジェクトの中で清算する必要はない。注意深く観察すると受注者側も別なところで何らかの便益を発注者に提供していることが多いので、ペナルティーを科す前にそのあたりも考慮する必要がある。

受注者のとるべき態度: 
(1)仕様追加・変更の場合
仕様策定は発注者が行い自分達はそれに従って粛々と開発すれば良い、という思想を捨てるべきである。受注者は発注者が考えるのと同じように、このソフトウェアがどのように市場に便益を与えなければならないか主体的に検討しなければならない。そのようにして仕様書を検討すれば市場ニーズに対して常識外れの物を開発することがなくなり、結果として発注者からの仕様変更要求もそれほど発生しないし、意識ずれの発生も最小限にすることが出来るようになる。

(2)設計・製造工数増加の場合
発注者(2)の記述では、では発注者に追加費用を出すようことも検討するように促しているが、やはり原則は受注者負担であるはずなので、工数を正しく見積もるのは受注者の責務である。初期見積で正確な見積が困難である場合は、仕様書作成、設計書作成時に詳細化した見積額を発注者にリアルタイムで提示する必要がある。また、上記の仕様変更や設計変更が生じた場合も同様にリアルタイムで提示する必要がある。いつまでも発注者に守ってもらっているだけではそのうち市場から淘汰される。ソフトウェア仕様については発注者と共に発注者の顧客に対し便益を提供するように努力しなければならないが、受注者にはもう一つ、発注者に対し計画通りの納期、費用でソフトウェアを納めるという便益を提供しなければならないからである。

このように発注者、受注者ともに「市場」を意識し、市場に対し便益を提供する方向で検討を進めることで、お互いに幸せになれるはずです。

× × ×

上記の検討から、マーケティング経典に以下の項目を追加しようと思います。私の立場で言えば受注者であるところの外注さんに「市場をみる」という意識を持ってもらうように努力しなければなりません。経典として書くことは簡単ですが、実際にやるのは難しい・・・一般の宗教の布教活動が難しいのと同じかも知れませんね。頑張ります。

マーケティング経典 追加

自分が直接便益を与える人もまた、さらに別な人に便益を与えようとしている。このように便益には連鎖的な関係があり、この連鎖をたどってゆくと最終的には特定の人ではない「市場」に行き着く。

× × ×

人に便益を与えるときに、目先の顧客のことだけを考えていてはいけない。人に便益を与えるときには、「市場」に対しどのように便益を与えるのか考えなければならない。

× × ×

人から便益を受け取るとき、自己満足だけを考えてはならない。人から便益を受け取るときは、自分が「市場」に対しどのように便益を与えるのか考えなければならない。

× × ×

人に便益を与えるときに、一人でできなければ他の者の協力を仰ぐことになるが、その者はあなたや「市場」に対して便益を与えようと思っているわけではない。

それでもそのような者の協力が必要である場合、その者が意識しようがしまいが、あなたや「市場」に対して便益を与えるように導かなければならない。もちろんあなたはその者があなたや市場に便益を提供したのが事実であるなら、対価を支払わなければならない。あなたや「市場」に便益を与えなかったのなら、対価を支払うべきではない。

対価を支払う場合、あなたは何の便益に対する対価であるかをその者に教示しなければならない。対価を支払わない場合、あなたはどのような便益が提供できなかったから対価が支払われないのかそのものに教示しなければならない。このような営みを繰り返すことで、その者もまた自発的にあなたや「市場」に便益を与えるようになるであろう

 


マーケティング宗教論

2005年08月26日 | ビジネス・マーケティング

これだけ科学技術の知識が普遍化した現代において、未だにカリスマ的な教祖や超常現象が起こると信じさせる旧来の宗教は受け入れ難くなっている。これは昔からある宗教もそうだし、新興宗教などは滑稽なレベルですらある。(雨乞いの儀式をやっても雨が降るわけではなく、つぼを置かないと不幸が付きまとうわけでもない。これらに科学的な根拠はまったく無く、かなり高い確率でこれらの宗教儀式は期待を裏切るだろう)

宗教によって不当にカネを巻き上げたり、暴力行為に及んだりすることは、もってのほかである。しかしそのようなことも旧来の宗教ではまかり通っていた。

21世紀の現在、最も我々の生活に密着し、実感しやすい宗教は、実は「マーケティング」ではないかと考える。マーケティングという言葉の受けるイメージと宗教のイメージとは一見かけ離れているようだが、それをマーケティングを「金儲けの道具」と考えるからであって、「人に便益を与え、自分に対価が与えられることにより、市場に参加するみんなが幸せになれる思想」と考えれば、なるほど宗教的な性格を帯びてくる。

市場社会は今大変な競争下におかれている。その中で様々な問題が噴出している(リストラ、サービス残業、会社ぐるみの不正行為・・・)それらは人を不幸にするものばかりである。こんな中で、何がマーケティングが宗教だ、という意見もあるだろう。しかしそのような問題マーケティングの本質をわかっていないことによる不幸なのだ。本質を理解してみんなが活動するようになれば、きっと幸せになれる。

市場社会に生きる端くれとして、マーケティング宗教の信者として生きてみるのも悪いことではないかなと思う。といってもいまいちピントこないと思うので、とりあえずは、聖書・経典に類するものを作らないといけない。従来のマーケティング書が経典でも良いでは無いか、との意見もあるだろうが、私が作りたいのは「マーケティング技術指南書」ではなく、「心の拠りどころ」となり得るものである。これに従って日々の生活を送ってゆけば、幸せな日々が待っている。今後気がついたらリファインをかけ続けるつもりである。


「マーケティング宗教 経典(draft1)」

人に便益を与えれば、自分も幸せになれる。

 × × ×

人に便益を与えることの対価は、自分にもたらされる。それが幸せである。

 × × ×

人に便益を与えるには、人のことを分析しなければならない。人が何を便益と思っているかを考えなければならない。

 × × ×

人に便益を与えるには、独りよがりではいけない。自分だけが良くても、相手が欲しくないものを与えてもいけない。

 × × ×

人に便益を与えるときに、自分の対価を犠牲にしてはならない。想像力を発揮して、自分の対価を確保しつつ人に便益を与えなければならない。

 × × ×

人に便益を与えるには、用意周到に計画しなければならない。一人ではなく組織が必要であり、それを纏め上げるマネージメントが必要である。

 × × ×

自分の対価を求めるあまり、組織の対価がおろそかになってはならない。
組織の対価を求めるあまり、自分の対価がおろそかになってはならない。

 × × ×

短期的な便益を与えてはいけない。短期的に対価がもたらされるが長続きしない。

 × × ×

教祖、神、預言者の類はいない。しいて言えばすべて「市場」である。

 × × ×

布施は自己投資のみである。経典を作る人間、布教する人間に一切の布施は不要である。


インターネットで選挙活動ができる公職選挙法改正案(1) ~議員立法の問題点 つづき~

2005年08月25日 | 政治・社会

インターネットで選挙活動ができる公職選挙法改正案を民主党が昨年の第159国会に提出しているが、一向に審議される気配が無い、ということを前回のブログで書きました。私なりの解消案を考えようと思ったのですが、非常にまとまった論文を見つけたので紹介します。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~dai79/seidan.html

議員立法全般に対する問題点と改善策をまとめた論文であり、非常に読み応えがあります。この論文の中の中で、特に野党提出の法案審議に関する問題点について指摘している点をまとめました。

・予算委員会への全閣僚の出席義務
 これにより他の委員会に閣僚が出席できなくなり、予算委員会中は他の委員会が開催できない。これにより他の委員会の審議時間が不足してしまう。そうこうするうちに会期の終了を迎えてしまう。

・会期制と会期不継続の原則
 ご存知のとおり国会は通年で開催されるわけではなく、会期制を採っている。そして、会期中に審議が完了しない法案は継続審議扱いになら無い限り廃案となる。(ということは、民主党提出の公職選挙法案も今度の解散によって廃案?)これによって、野党が提出した法案の審議入りを引き伸ばし会期が終わるのを待つ、という与党側の戦術が成り立つ。また野党もこれを利用し、最初に審議した法案の審議を引き延ばし、他の政府提出法案を廃案にする戦略をとる場合もある。

・委員会提出法案の不透明性
 事前に非公式・非公開な場で根回しされ、全会派で一致した法案は、委員会で実質的な審議がされることもなく成立してしまう。当然公式の議事録に審議の経緯が載ることも無い。


キーワードは「時間」です。

時間が無いから審議できませんでした。」
時間が無いからいちいち委員会開けないので、裏でエイヤっと決めました。」

時間」を言い訳にして、または利用して、審議したくない法案を葬り去る/いつの間にか決めてしまう戦術が国会ではまかり通っています。

いいヒントをこの論文から頂きましたので、これをもとに国会を実質的な審議の場にする案をさらに練ってみます。


インターネットで選挙活動ができる公職選挙法改正案(1) ~議員立法の問題点~

2005年08月25日 | 政治・社会

ブログ党を提唱している私は、インターネットで選挙活動ができるような公職選挙法の改正案に注目しています。実は第159回通常国会(平成16年)にて、民主党から「公職選挙法の一部を改正する法律案」が提出されています。内容は下記のとおりです。

第一五九回
衆第三二号
   公職選挙法の一部を改正する法律案
 公職選挙法(昭和二十五年法律第百号)の一部を次のように改正する。

(以下抜粋)
第百四十二条の三 前二条の規定にかかわらず、選挙運動のために使用する文書図画は、電子情報処理組織を使用する方法のうち次の各号のいずれかに該当するものにより、頒布することができる。

 一 当該文書図画を頒布しようとする者の使用に係る電子計算機と受信者の使用に係る電子計算機とを接続する電気通信回線を通じて送信し、当該文書図画を当該受信者の使用に係る電子計算機の映像面に表示させる方法

 二 当該文書図画を頒布しようとする者の使用に係る電子計算機に備えられたファイルに記録された事項を電気通信回線を通じ他人のアクセスに応じて送信し、当該文書図画を当該他人の使用に係る電子計算機の映像面に表示させる方法

平たくいうと、ホームページやブログなどを選挙期間中も自由に使うことを認める、ということになり、この法案(正確にはこの法案の中の上記の条文)を支持したいと思います。

昨年の通常国会に提出されたこの法案ですが、さて今はどうなっているでしょうか?

この法案は平成16年4月13日に衆議院で、翌14日に参議院の予備審査でそれぞれ受理されています。そして、平成16年6月11日に「政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会」に付託(そこの委員会で審議することが決定)されました。

その委員会での審議状況をチェックしました。

・平成16年6月16日 第159回国会 第3回委員会
 付託されたことの報告と、今回の委員会で採否を行わないことを確認して、散会。
 (参考: 委員会所要時間 3分)←うーん・・・

・平成16年7月30日 第160回国会 第1回委員会
 再度付託されたことの報告と、理事の選任を実施し、散会。
 (参考: 委員会所要時間 2分)←・・・

・平成16年8月4日 第160回国会 第2回委員会
 別な法案の審議
 (参考: 委員会所要時間 2時間44分)

・平成16年8月6日 第160回国会 第3回委員会
 閉会中審査(国会が休みのときでも必要があれば審議を継続できる)の了承を取り付け、散会。
 (参考: 委員会所要時間 3分)←・・・

・平成16年10月12日 第161回国会 第1回委員会
 三度付託されたことの報告と、理事の選任を実施し、散会。
 (参考: 委員会所要時間 4分)←・・・

・平成16年11月16日 第161回国会 第2回委員会
 別な法案の審議
 (参考: 委員会所要時間 1時間57分)

・平成16年12月1日 第161回国会 第3回委員会
 別な法案の審議
 (参考: 委員会所要時間 8分)←・・・

・平成16年12月3日 第161回国会 第4回委員会
 閉会中審査の了承を取り付け、散会。
 (参考: 委員会所要時間 3分)←・・・

・平成17年1月21日 第162回国会 第1回委員会
 またまた付託されたことの報告と、理事の選任を実施し、散会。
 (参考: 委員会所要時間 4分)←・・・

・平成17年6月8日 第162回国会 第2回委員会
 別な法案の審議
 (参考: 委員会所要時間 1時間14分)

・平成17年7月8日 第162回国会 第3回委員会
 別な法案の審議
 (参考: 委員会所要時間 2時間00分)

・平成17年7月15日 第162国会 第4回委員会
 別な法案の審議
 (参考: 委員会所要時間 2時間06分)

<平成17年8月8日に衆議院が解散>


これまで10時間28分の審議時間のなかで、一度も当法案については審議されませんでした。いつになったら審議が始まるのでしょうか?

このような野党の議員立法の現実については、民主党江田五月氏の著書(ホームページでも読むことができる)に詳しいです。(ちょっと古いかもしれませんが)

そこではいかにも形骸化した国会の委員会の様子が紹介されています。

・法案は委員会で審議しなければならないが、委員会の人数構成は各会派の議員数に比例するため、与党が過半数をとり、実質的には与党提出・政府提出の法案が優先的に審議され、可決される。野党法案がまともに審議されることは少ない。

・最も提出数の多い政府提出の法案についても、事前に自民党の政務調査会で審議されたものだけが提出される。実質的な審議は自民党内の非公開の政務調査会で官僚と自民党議員によって行われる。そこであらかた審議が済んでいるので、国会の委員会の場で自民党議員が法案の質問に立つことは少ない。

最近は議員立法を盛んにやろうという機運も高まっているので事態は良い方に向かっていると良いのですが、ドラスティックに変わっているわけでも無いので、公職選挙法の法案も十分審議されないまま否決になってしまうのではないかと危惧しています。

同じような法案が自民党や政府から出てくれば私はそれでも良いのですが、そのような気配は一向にありません。

実は政府は平成13年~14年にかけ、IT時代の選挙運動に関する研究会というものを立ち上げ、ホームページくらいなら使っても良いだろうと提言をまとめています。これを受け、選挙時もインターネットを使えるよう公職選挙法案を作っていたかもしれません。でも自民党の政務調査会が圧力をかけてその法案を潰した可能性もあります。自民にとっては、今のままで政権が維持できるなら、なるべく旧来の選挙手法のみで戦いたい、ということかもしれません。いずれにしても非公開なので我々には知るべくも無い状況です。

このような状況を何とか打破し、国会を実質的な審議の場にするための一案を今後のブログで紹介したいと思います。


NHK受信料について(2) ~公共放送は民営化組織ではできないのか?~

2005年08月22日 | 政治・社会

前回のブログでは、NHKに払う受信料の法的根拠があるかどうか議論しました。現在の法律の政府解釈によれば、NHKを受信しうる受信装置を設置したら NHK と契約しなければならない、ということでありそれは50年来一環している事がわかりました。

今回は、「NHKは公共放送なのだからテレビを持っているすべての世帯から受信料を徴収するのだ」という政府見解の問題点とこれからの時代のあるべき姿を以下の順で考察しました。

(1)NHKの契約方法の妥当性の検証
「NHKは公共放送なのだからテレビを持っているすべての世帯から受信料を徴収するのだ」とあるが、なぜそうせざるを得ないのか?NHKを見たい人だけが払ってはいけないのか?という点を検証してみます。

(2)そもそも「公共放送」とは何か?それは民営化組織ではできないのか?
「NHKは公共放送なのだからテレビを持っているすべての世帯から受信料を徴収するのだ」とあるが、そもそも「公共放送」と何か?その放送を民営化組織でできないのか、という点を検証しました。もし民営化組織でもできるならば、「公共放送」であっても「公共料金」的な受信料の徴収方法ではなく、NHK放送にスクランブルをかけ、見たい人だけが見るようにすることだってできるはずです。


(1)NHKの契約方法の妥当性の検証

まず、NHKとの契約について考えてみましょう。前回のブログでも紹介したサイトでは、「契約自由の原則」というのがあるはずで、契約するしないは支払う側の意思も尊重されてしかるべきだ、と主張されています。

http://friendly.blog5.fc2.com/blog-entry-1.html

そもそも契約するしないは義務ではなく、自由意思に基づくべきである、という意見であり、国会答弁でもそうなっていることが読み取れます。なるほど。行政もこれは「契約である」と認めていますね。契約なら合意が必要なので、納得いかないなら契約をしなければ良いということになる。

ところが、そのサイトで引用されている国会答弁の前後を見てみたところ、結構強引な理屈が展開されている事がわかりました。

91 - 参 - 決算委員会 - 6号
昭和55年03月28日

○円山雅也君 それが法律的にと私はお断りしたんですけれども。じゃ現状を申し上げましょう。現状はNHKと受信者が受信契約をされるんでしょう。そうして成立した受信契約に基づいて受信料を払うんでございましょう、現実は。としましたら、いま払っている受信料というのはNHKとの契約上の債務じゃないですか。そう解してよろしいですか、法律的には。

○国務大臣(大西正男君) お言葉のとおり、契約ということになっております、三十二条によります、現行法。しかし、本来契約というものは自由であるべきでございます。そこで最近ではいろいの契約がございまして、たとえば契約条件についてはそれを提供する方がもう一般的には決めておって、それに応ずるか応じないかの自由しかないという契約もございます。ところが、三十二条の契約は契約自体が義務づけられております。つまりそこには締結の自由もないわけでございます。そういうふうなあらわし方になっておるわけでございまして、御承知のとおり昭和三十七年でございましたか、臨時調査会における調査の中におきましてもそのことは明確にされておりまして、契約という言葉は使っているけれども、それはフィクションである、こういうことが言われておるわけでございまして、法律上、放送法によって創設をされた負担金である、こういうことが当時から言われておるわけでございます。

○円山雅也君 そうすると、郵政省のお考えはあれですか、本来そんな契約をしなくたって、負担金なんだから法律上当然に発生する義務なんだと、支払い義務自体が。つまり契約がなくとも一足飛びにいまの現行法でも支払い義務が発生するんだという御解釈ですか、負担金という意味は。

○国務大臣(大西正男君) 現行法におきましては契約を義務づけておりますから、ですから本来契約という性質のものではないけれども、法的な形の上ではそういう形をとっておる、したがって契約ということでやっておるわけだと思います。

○円山雅也君 そうしますと、いまの現状、あくまで現状ですけれども、現状を前提とすると、NHKと受信者が契約をしない限りは法的には支払い義務は発生しませんか、契約をしない限りは。その点ちょっと。

○国務大臣(大西正男君) 法的な形式的にはそういうことになろうかと思います。ただ、義務づけられておりますから、契約をすべきであるというそういう請求をすることもできると思います。

契約とあるがこれは「フィクションである」!?本当は「負担金」だから法律上当然に発生する「義務」である!?

こんな感じだとじっくり法律論を検証したら、今の放送法の法的な妥当性そのものが怪しくなってくるかもしれません。このあたりは司法の場で判断するより他ないと思うので、ここではこれ以上議論しません。

ではなんでこんな風に法律的にメチャクチャな解釈をせざるを得ないのか。以下に考察してみようと思います。

NHKや総務省(旧郵政省)の見解を私なりにまとめると以下のとおりになります。

  • NHKの存在目的は「政治・政党からの独立性を担保する」「商業主義を排除して良質な番組を作る」である。その為には国の財源を使ったり、スポンサーから資金をもらったりしてはだめで、受信者から直接受信料をいただく必要がある。こういう性格を持つ放送を「公共放送」と呼ぶことが多い。
  • しかし、NHKの放送を視聴したかしないかで課金してしまっては結局は大衆に迎合した番組をつくることになり「商業主義の排除」が困難である。かといって住民税などのように全ての世帯から押しなべて徴収するというのは、テレビを持っていない世帯の理解は得られないだろう。従って、全世帯(テレビを持たない世帯の理解は得られない)>(中間解)>NHKを視聴する世帯(商業主義の排除は困難)という関係があるなかの中間解として、「テレビを持つ世帯」と契約して受信料を得るのが良いだろうし、大多数の国民にも受け入れられている考え方と思われる。

上記で述べたようにNHKは公共放送なのだから、NHKを見なくてもテレビを持っているならば受信料を支払え、と言う考え方は一見正しいように見えます。ちょうど他の公共料金も使う・使わないに関わらず基本料みたいなものがあるのと同じ様な感覚です。

しかしここでいう「公共放送」を「公共料金」的に徴収した資金を使って「公共的な組織」で実施しなければならないものか?実は「公共放送」と同等の放送を「民営化組織」で実現することができるのではないかという点について次に議論したいと思います。


(2)そもそも「公共放送」とは何か?それは民営化組織ではできないのか?

上記の議論では、「公共放送」の要件として

  • 政治・政党からの独立性を担保する
  • 商業主義を排除して良質な番組を作る

があるとしましたが、NHKホームページなどでは、公共放送には以下の使命があると言っています。

  1. 災害報道
  2. 上質な番組の提供
  3. 障害者や高齢者向けの番組放送
  4. 政府や企業など特定のスポンサーに頼らない公平・公正な放送
  5. 放送技術・文化研究
  6. 国際放送

この6つの使命それぞれについて、本当に「公共的な組織」で実施しなければならないのか、「民営化組織」で実施できないのか考察してみます。

1. 災害報道

実はこれは、放送法第6条の2において全ての放送事業者に課せられた義務なので、公共、民営関係ない議論です。

放送法第1章の2 放送番組の編集等に関する通則
第6条の2 放送事業者は、国内放送を行うに当たり、暴風、豪雨、洪水、地震、大規模な火事その他による災害が発生し、又は発生するおそれがある場合には、その発生を予防し、又はその被害を軽減するために役立つ放送をするようにしなければならない。


2.上質な番組の提供

商業主義に基づかないから上質な番組の提供ができる、というのはちょっとおかしな議論で、商業主義に基づくかどうかということと上質な番組をつくるかどうかとは別な議論だと思います。まずNHKが流す番組が上質かどうかは議論が分かれるところでしょう。それはともかく、上質な番組を求める層も存在するはずで、その番組を見る人向けに上質な番組を提供し、対価を得るいうのは十分商業主義に基づいた行為だろうと思います。逆に商業主義に基づけば、今のNHKが作るよりもより上質の番組を作ることも可能となるでしょう。今のNHKの番組は上質という面もあると思いますが、マンネリである、工夫が足りないという面だってあると思います。むしろ商業主義ベースの方が、マンネリに陥らず、常に上質な放送表現を追い求めるようになるのではないかと考えます。


3.障害者や高齢者向けの番組放送

これについては放送法第3条の2の4において全ての放送事業者に課せられた努力義務なので公共、民営関係ない議論です。

放送法第1章の2 放送番組の編集等に関する通則
第3条の2第4項  放送事業者は、テレビジョン放送による国内放送の放送番組の編集に当たつては、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像を視覚障害者に対して説明するための音声その他の音響を聴くことができる放送番組及び音声その他の音響を聴覚障害者に対して説明するための文字又は図形を見ることができる放送番組をできる限り多く設けるようにしなければならない。


4.政府や企業など特定のスポンサーに頼らない公平・公正な放送
4.1 政府に頼らない公平・公正な放送

政治的な公平性については第3条の2第1項に記載のとおりすべての放送事業者に課せられた義務となっているので、公共、民営関係ない議論です。

第3条の2第1項 放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
1.公安及び善良な風俗を害しないこと。
2.政治的に公平であること。
3.報道は事実をまげないですること。
4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

また政見放送については、NHKだけでなはく民放もある候補者の政見放送を実施したらすべての候補者に同条件で放送させることを放送法では規定しています。

第2章 日本放送協会
第45条 協会がその設備又は受託放送事業者の設備により、公選による公職の候補者に政見放送その他選挙運動に関する放送をさせた場合において、その選挙における他の候補者の請求があつたときは、同等の条件で放送をさせなければならない。

第3章 一般放送事業者
第52条 一般放送事業者がその設備により又は他の放送事業者の設備を通じ、公選による公職の候補者に政見放送その他選挙運動に関する放送をさせた場合において、その選挙における他の候補者の請求があつたときは、料金を徴収するとしないとにかかわらず、同等の条件で放送をさせなければならない。

4.2 企業など特定のスポンサーに頼らない公平・公正な放送
特定のスポンサーに頼らないことを担保するためには受信料は必要でしょう。が、言い換えれば受信者から受信料をもらうのであれば特定のスポンサーに頼らないで放送事業を運営することができるでしょう。これも公共・民営関係ない議論です。


5.放送技術・文化研究
6.国際放送

国際放送とか放送技術・文化研究についてはテレビを持っている世帯だけが負担すれば良い、と言う問題ではなく、国策として進めるべき課題だろうと思うので、それこそ国家予算を使って実施するのが適当だと思います。

(2)のまとめ

これまで公共的に運営するから1~6までが実施できる、という主張がまかり通ってきましたが、以上検証してきたとおり実はそこには議論のすり替えがあり、本当は下記のように分類されると考えます。

A.公共の電波を使う放送事業者であれば、公共・民営によらずどの事業者でも守らなければいけない義務
  1. 災害報道
  3. 障害者や高齢者向けの番組放送
  4.1 政府・特定の政党に偏らない公平・公正な放送

B.公共か民営かというのは直接関係なく、受信者(本当に見ている人の意)から課金をすることで達成できること
  2. 上質な番組の提供
  4.2 企業など特定のスポンサーに頼らない公平・公正な放送

C.費用対効果の面で民間で実施することが難しく、国家予算などで実施する方がベターなもの
  5. 放送技術・文化研究
  6. 国際放送

これらA,B,Cを今のNHKというあいまいな組織で実施するのではなく、A,Bは民営化組織で実施し、Cについては国家予算などで実施するほうが、より透明感のある組織運営が可能になると考えます。以上より放送技術・文化研究、国際放送を除いた「公共放送」については「民営化組織」で実施することが可能であることがわかります。


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まとめ:
(1)NHKの契約方法の妥当性の検証
・法律論的にはかなり怪しい。(契約とあるがそれは建前(フィクション)であり、基本的な考え方は義務となっている。)
・「公共放送」を実施するに当たっては、法律的に怪しくてもこの方法がまあ妥当であろう、と信じられてきた。

(2)公共放送とは何か?それは民営化組織ではできないのか?
・公共放送の使命は下記のとおり。
 1.災害報道
 2.上質な番組の提供
 3.障害者や高齢者向けの番組放送
 4.政府や企業など特定のスポンサーに頼らない公平・公正な放送
 5.放送技術・文化研究
 6.国際放送
・1~4までは、民営化組織でまったく同じことが実施できる。5,6 は国家予算を使って実施するほうが望ましい。

最後に私の提案を述べさせていただきます。基本的にはこれまで議論をしてきたことを発展させたものになっています。

私の提案: 
(1)NHKを国内放送部門と研究部門、国際放送部門とに分割し、国内放送部門を民営化、研究部門、国際放送部門は国家予算で運営するものにする。(持株会社化なども考え方としてはありうる)

(2)国内放送部門については、放送波にスクランブルをかけ、契約者のみが閲覧可能にする。

 

皆様の忌憚の無いご意見をよろしくお願いします。また、当ブログ執筆に当たっては friendly さんのサイトが大変参考になりました。この場を借りてお礼いたします。


NHK受信料について ~法的根拠があるか?~

2005年08月19日 | 政治・社会

前々から納得いかないなと思っていたのですが、他の公共料金は、元栓とメータがついていますよね。従って料金を払わなければ利用を停止する事が出来るし、使ったか使わないかがわかるので、利用者の納得も得られます。しかし、NHK受信料にはそその元栓やメータに相当するものがありません。課金して良いかどうかの証拠が全く残らないのです。でも、「法律で決まっているから」と約8割の世帯で支払いに応じているのが実情です。

ここでいう「法律」とは放送法第三十二条で、条文は下記の通りです。

放送法 第32条
1.協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ただし、放送の受信を目的としない受信設備又はラジオ放送(音声その他の音響を送る放送であって、テレビジョン放送及び多重放送に該当しないものをいう。)若しくは多重放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置した者については、この限りではない。

しかし、良く見ると「ただし」以降の条件が満たされれば、契約をしなくて良いみたいです。この点に光をあてて、実は契約には法的根拠がないことをこちらのサイトでは指摘しています。

http://friendly.blog5.fc2.com/blog-entry-3.html

このサイトは、放送法や国会答弁などを丹念に調査し、実はNHKの受信料支払いには法的根拠がないことを立証しています。そして、本当に不公平感のない課金形態にするのならばNHK放送にスクランブルをかけるべきである、との持論を展開しています。

不公平感をなくす課金形態が必須であること、それには放送のスクランブル化が有効であること、については私も賛同します。法的根拠がないので支払う必要がないというところも賛同、と言いたいところですが、その論理展開で疑問なところがありましたので、私のブログでも検証させてもらいます。

受信料の支払いは義務ではないhttp://friendly.blog5.fc2.com/blog-entry-3.html


93-参-逓信委員会-1号 昭和55年10月21日

昭和55年10月21日に開催された参議院逓信委員会において、中村鋭一委員の「受信料義務化」に関する質問に対して、当時の郵政省電波監理局長田中眞三郎氏が「、NHKの受信を目的としないもの及びラジオについては免除するわけでございますけれども、」と答弁しています。

その詳細なやり取りは、


○中村鋭一委員
法的に変わりがなくって、しかし、その本音は要するに受信料をちゃんときっちり取りたい。いわゆる不良な契約者を追放して受信料が的確に入るようにしたい。そのためにもNHKは受信料の支払いを怠った者から年率一四・五%の延滞金を徴収できるものとするほか云々とありますし、そういうふうな割り増し金等もあって罰則規定も設けられているようでございますけれど、要するにNHKの受信料をテレビセットのある人からは一個残らず正確に徴収したい、それが放送法改正案の目的であったわけですか。

○政府委員(田中眞三郎君)
お答えいたします。特定な受信を、NHKの受信を目的としないもの及びラジオについては免除するわけでございますけれども、いまの現在の規定では契約ということになっておりますので、非常に性格がただ聞きましたときに不明確である、それを明確に言いあらわすことによりましてNHKの財政の基礎を確立いたしたいという趣旨でございます。

【解説】
この答弁は、現行放送法32条の条文にある「ただし、放送の受信を目的としない受信設備又はラジオ放送は・・・(中略)・・・この限りではない。」の”放送の受信を目的としない”との表現が、具体的には「NHKの受信を目的としないもの」だと明確に規定しており、テレビが受信できる状態で、テレビ受信機を所有しいるだけでは、NHKの受信料の徴収対象にならない事を明確に定めている。即ち、NHKが受信料を徴収できるのは、あくまでNHKの受信を目的として、NHKの放送を受信できる受信設備を設置した者に限定されることになるのは明白である。

この論理展開について下記2点で違和感を覚えました。

(疑問1)田中眞三郎氏の答弁の意味が日本語として意味不明
(疑問2)「NHKの受信を目的としない受信装置」、目的としていないのは「視聴者」か「受信装置」か?

まず(疑問1)について答弁の意味を分解し、日本語として理解できる形にしてゆきましょう。

お答えいたします。特定な受信を、NHKの受信を目的としないもの及びラジオについては免除するわけでございますけれども、

・「特定な受信」とは何のことでしょうか。またどこにかかる言葉なのでしょうか?
・「免除するわけでございます」とありますが、誰が、何を免除すると言いたかったのでしょうか?
上記2点がわからないので、解釈が出来ません。多分放送法三十二条の例外規程のことを単に補足的に言っているだけとは思うので、ここではとりあえずそのように解釈し「特定の受信」との言葉は、「えーっと」とか「あのー」という言葉だと思って無視することとします(笑)。

いまの現在の規定では契約ということになっておりますので、非常に性格がただ聞きましたときに不明確である、

んー、非常に解釈が難しいですね。もちろん口頭での発言をそのまま残しているだけなのでしょうがないのかもしれませんが。

ここで田中氏が言いたかったのは
「放送法三十二条では『協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない』と書いてありますが、受信者とNHKとの間の『契約』という意味がわかりにくい」
ということだったのでしょうか。

それを明確に言いあらわすことによりましてNHKの財政の基礎を確立いたしたいという趣旨でございます。

ここは理解可能。

これらをかけ合わせると中村氏の「テレビ1台ごとに課金をすることが放送法改正の目的なのか?」との質問に対し、田中氏の答弁は下記の通りと解釈できます。

放送法32条では『協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない』と書いてあります。(ただしNHKの受信を目的としない受信装置及びラジオについては例外です)。しかし、受信者とNHKとの間の『契約』という意味がわかりにくい、それを明確に言いあらわすことによりましてNHKの財政の基礎を確立いたしたいという趣旨でございます。

理解できるようになった結果、実はこれは質問の答えになっていない事がわかりました(笑)。さすがお役人です。

(疑問1)の意味がだいたいわかりました。「特定の受信」とは何のことかは相変わらず良く分かりませんが、とりあえずは「放送の受信を目的としない」=「NHKの受信を目的としない受信装置」と解釈しても良さそうです。

 

では、ここで(疑問2)放送の受信を目的としない受信設備、とは誰が何を目的としていないのか?という点の検証を進めます。

私はこの文章を2通りに解釈しました。

解釈1: 「受信者が」NHK放送の受信を目的としない「で設置した」受信設備
 この場合、受信を目的としていないのは受信者です。受信設備がNHK放送の受信能力を有していているかどうかは関係ありません。

解釈2: NHK放送の受信を目的としない「で製造された」受信設備
 この場合、受信設備がNHK放送の受信能力を有していないと解釈できます。

解釈1ならば、受信者がNHK放送を見たくないと思っている場合契約の必要がないですが、解釈2ならばNHKの放送が受信できないテレビを購入しない限り契約の必要性が出てきます。

これまで国会でも散々この問題について議論しているようです。やはり答弁は解釈2ですね。下記の引用1では、放送法第三十二条の例外規程は、トランシーバみたいな物がたまたまNHKのラジオ放送を拾っても受信料の対象外、という意味であるといっています。また、引用2は昭和27年当時、引用3は平成17年(今年)と53年の隔たりがある答弁を比較しました。どちらにしても、政府の答弁はNHKを聞く聞かないに関わらず受信料を支払う、という解釈に立っております。(余談ですが、50年も今も大衆の考える事にほとんど差がないことに驚きました。昭和27年といえば主権回復という歴史的な年なんですけどね。)

以上見てきた通り、(疑問2)について少なくとも政府としては「解釈2」、すなわち受信設備がNHK放送の受信能力を有しているならば、課金する義務がある、という見解になっています。

=== 引用1 ===
30 - 衆 - 逓信委員会 - 3号
昭和33年10月17日

○小沢(貞)委員 今御説明をいろいろお聞きいたしましたが、それは三十二条の前段の方で、後段の方は「放送の受信を目的としない受信設備を設置した者については、この限りでない。」これに該当しませんか。それともう一つは、第二項はあらかじめ郵政大臣の認可を受けた者ならよろしい、こういうことなんです。だから郵政大臣がその基準か何かを認可さえすれば取らないでいいという道が開けるのではないですか、そのことを聞いているのです。

○莊説明員 失礼いたしました。三十二条の第一項のただし書きでございますが、「但し、放送の受信を目的としない受信設備を設置した者については、この限りでない。」こういう受信設備とはどういうものかという点につきましては、こういうものでございます。すなわち、通信用の受信機などというものがございます。たとえば船でもって、ラジオを聞くためでなくて、もっぱら通信のために受信機を持っておる。しかしその受信機の性能として、目的は通信なのであるけれども、たまたまラジオの部分も入ってくることがあるというようなもの、こういうようなもりのがただし書きに該当するものと解釈いたしております。(略)

=== 引用2 ===
15 - 衆 - 電気通信委員会 - 4号
昭和27年12月05日

○寺島委員 (略)ラジオの場合でございますと、確かに放送法第三十二条の規定に掲げている通り、わが輩は文化放送とラジオ東京だけをエンジヨイしておつて、断じてNHKだけは聞かないのであると力説してみたところで、絶対にNHKを聞かないという反証は上つて来ない。ダイヤルをまわせばNHKの方が入つて来るから、聞いたものとして放送料は払うという理論的根拠が辛うじて苦しくとも成り立つが、テレビの方はそうは行かない。そもそもわが輩は銭をとられて二百円も出してテレビジヨンを見る気はないのだ、NHKの方だけはやめて日本テレビだけを聞くのだというような、機械を固定したような場合といえども、放送法を準用して料金を取立てることになつて来ると、勢いテレビジヨンのあるところ、われわれは日本テレビだけを聞かんと欲するけれども、全部金を払わなければならなぬことになる。いかに郵政省のお上の経営のもとでやられるとしても、妥当なものとしてお金が取立てられるものかどうか。必ず不払い問題が出て来ると思います。これがお考えになつていただきたい一つの点なのであります。
(略)

○高瀬国務大臣 私の解釈では、放送法等によりまして、テレビの方におきましても、この前の改正によりまして、やはりラジオと同じ取扱いができるものと解釈をいたしております。従いまして、ラジオについて放送協会のものは聞かないということでもつて別に扱つて、聴取料をとらないということが技術的にできないと同じような事実は、どうしても起らざるを得ないと考えておりまして、それはラジオについて認められると同じようにテレビジヨンについても認められるべきであろう、こういう解釈であります。

=== 引用3 ===
162 - 参 - 総務委員会 - 10号
平成17年03月31日

○内藤正光君 
(略)
 言うまでもなく、公共放送の受信料制度は昭和二十五年に制定をされました。当時の状況を振り返ってみますと、視聴者も限られていた、そして放送局の数もそんなにあるわけではなかった。そういった状況の中で、私は受信料は、その制度は一定の合理性があったんだろうと思います。しかし、今や多チャンネル、つまりNHKを見ないという人は多いんですね。そしてまた、ペイ・パー・ビュー、有料放送もどんどんどんどん増え続けています。
 そういった状況が変化している中で、私は、NHKも、法律で決まっているからとあぐらをかくんじゃなくて、改めて国民に対して、何ですべての人に払ってもらわなきゃいけないのか、これをしっかり理解をしてもらうべく説明をする必要があるんだと思います。
 私も、実は先日、NHKのホームページ見ました。そして、こういうふうに書いてあります、「なんで受信料を払うの」と。その答えの中に、冒頭こう書いてあるんです。「放送法第三十二条第一項には「NHKの放送を受信できる受信機を設置した者は、NHKと受信契約をしなければならない」と定められています。したがって、テレビをお備えであればNHKを見る見ないにかかわらず、受信料をお支払いいただくことになります。」と、こう冒頭に書いてあるんです。私は、これはとてもじゃないが、納得しろと言っても難しいんだろうと思います。
 ですから、私は改めて委員長にお尋ねしたいのは、なぜNHKを見ていないという人まで受信料を払わなければならないのか、逆の問い方をしたならば、NHKを見ていないという人をも含め、NHKは一体我々国民に何を提供してくれているのか、それをお答えいただきたいと思います。

○参考人(石原邦夫君) ただいま先生御指摘のように、現行の受信料制度でございますけれども、NHKが受信設備を設置した、法律上は者と書いてあります、設置した方ですね、と受信契約を締結する、その契約に従って受信料をお支払いいただく、こういう仕組みとなっているわけでございまして、先生御指摘のように、実際にNHKの番組を見た見ないということは要件となっておりません。当時の状況といたしまして、技術的にそういったことが難しかった、これも現在もそうでございますけれども、そういったような問題もあろうかと存じます。
(略)

以上の議論からは、テレビを持っていてもNHKを見ないならば受信料を払わなくて良い、という結論を導き出す事は出来ませんでした。この主張に基づいて不払いをした場合、契約の義務を怠ったと見なされるのでNHKから民事訴訟にもちこまれる可能性もあります(政府答弁もそのような見解のようです)。ただし何十万と不払い者がいる中で、訴訟を起こすのは費用や手間の面で現実的ではないのと、あまりに強権的な態度に映り、却ってNHKに対する風当たりが強くなる事も予想されるので、当面は訴訟に持ち込まれる事はないものと思われます。

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スクランブル化などで見たい人だけが受信料を支払うようにすれば良いとの意見について、政府の主張とその問題点については今調べているところです。後日調査結果をレポートしたいと思います。

 


ブログ党 (2)

2005年08月14日 | 政治・社会

ブログ党についてhoddyさんからコメントを頂きました。ありがとうございます。コメントのコメントを返そうと思ったのですが、長くなったので別ブログとして立てることにしました。

hoddyさんのご指摘では、選ぶ側の方の問題もあるのではないか?とのことでした。まさにおっしゃるとおりと思います。さらに言うと現在は、選ぶ側選ばれる側選ぶ仕組みを整える側、三者とも政党政治が前提となっており、候補者個人を選ぶという文化の醸成には幾つかの障害があると考えます。先日のブログ党の書き込みはそのうち「選ばれる側」の新しいあり方としてブログ党を作ることを提案しましたが、今回は「選ぶ側」「選ぶ仕組みを整える側」に対しブログ党はどのようなアクションをとるべきか、という点を考察してみます。

【選ぶ側について】
(現状)
・候補者単位で選ぶ習慣がない。政党単位での選択が基本
・当選後の活動のウォッチも候補者単位で行う習慣が無い。政党単位のみ。

これらの問題は現段階ではある意味止むを得ないと思います。候補者ごとにチェックしたところで、候補者は党の方針に従うだけですから。しかし、仮にブログ党を立ち上げたとしても、一人一人の候補者をチェックするのは、雰囲気とかコネとかマスコミ報道等をベースに政党を選んできた現在と比べると相当骨の折れる作業になると思います。何らかの形でこれを支援する必要があります。

(ブログ党での解決案)
・候補者単位で選ぶことの重要性をアピールする。その上で、ブログの文章だけでなく、候補者を選ぶためのツールや、当選議員の政治活動を可視化するためのツールをネット上に用意する。

個人個人を選ぶことの重要性を浸透させた上で、選挙に行く前にはネットで候補者選びを行う文化を育てていくことが重要です。この文化を醸成するために、ブログの文章だけだとあまり読んでいただけないかも知れないので、個々のブログ党員の政治理念を図表化し、他のブログ党員とホームページ上で比較できるようにしたりとか、動画をアップロードしネット演説会を開催したりするとか、当選時の公約に対しどこまで実現できたのかを概念的ではなく目に見える形で可視化する等の手を打つ必要がると考えます。そういう仕組みを提供するのがブログ党執行部の役割になるのではないかと思っています。

【選ぶ仕組みを整える側】
(現状)
・公職選挙法ではインターネットを用いた選挙活動を実施してはいけないことになっている。

(ブログ党の解決案)
・公職選挙法の改正を党を挙げて推進する。

公職選挙法では未だに選挙期間中のインターネットを用いた選挙活動を行ってはいけないことになっています。選挙民も普通は選挙期間になってから初めて自分の選挙区の候補者のことを調べ始めると思うのですが、ブログを見ても公示前の情報しか掲載することができません。これでは、国民の中で最も議論が活性化する選挙期間中に持論をネット上で展開することができないので、政治家の魅力を有権者に伝えることが難しくなります。ブログ党の議員には基本的に党議拘束が無いのですが、本件についてはブログ党員が共有する政治手法に関する話なので、党を挙げて推進する方向にすべきと考えます。


ブログ党

2005年08月10日 | 政治・社会
早速ですが、第一弾は今盛り上がっている政治関連でブログを書きます。

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郵政民営化法案が参院で否決され、衆議院が解散されました。今はメディアで大騒ぎ中ですね。
自民党の執行部が決めたことに対し反旗を翻した造反議員に対しては、今回の選挙で公認しないということを小泉首相は明言しました。このことについて賛否両論があるようですが、私は郵政民営化を自らの政治理念として掲げた政治家を党の総裁、国の首相に選出したのですから、その方針に反した行動をとったら規則に従いペナルティーが科せられること自体は当然であり、それに対する反論を論理的に説明することは難しいと思います。

今回議論したいのはそこではなく、今回の騒動で政党政治の限界が垣間見えたのではないかな、ということです。

造反議員の中には小泉首相のやることなすこと気に入らない、という人もいるかもしれませんが、基本的に自民党執行部が決めた方針は賛成であるが、郵政民営化だけは絶対反対、というのが大多数なのではないかと考えます。

全国の代表数百人を集めて、それを無理やり4~5個の政党に押し込んで、党の決めたことはすべて従おう、というのが今の政党政治ですが、国政なんてものはもともともっと複雑なはずで、数百人いれば数百通りの意見があってしかるべきと思います。それを党で1つの意見にまとめあげるわけですから、それは無理も生じるでしょう。自分の政治理念を実現するためには党のサポートが必要なので、それ以外の分野については自分の意見とは反対の党の方針であっても従わざるを得ない、なんてことが議員の世界では日常茶飯事なのではないでしょうか。

選ぶ方の立場からしても、国会には本来数百人の国民の意見の代弁者がいるはずですが、実質的には4~5人しかいないように見えてしまいます。それくらいしかいないとなると、あの件についてはA党の言うことが良いと思うけど、その件についてはB党の意見が正しいと思う・・・というケースが頻発し、結局どの党を選んでいいかわからなくなってしまいます。これをネガティブな言い回しにすると「入れたい、と思う党がない」となり、投票率低下にも拍車がかかる、ということになるのではないでしょうか。

やはり選挙民としては、「この人の考え方は共鳴できるので、ぜひ代弁者として国政に送りたい」という人を選びたいのです。つまり「党」ではなく「個人」に投票したい、という気持ちが強いのではないかと思うのです。今はごく限られた人だけが「党」の力ではなく「個人」の力で選ばれています。いわゆるタレント議員がそれに当たると考えます。選挙民からすると選挙のときしか顔を見ない政治家よりも、政治的な能力に関係なく、テレビなどでどんな人かはとりあえず知っているタレントの方が「選びたい」人になりやすいのではないかと思います。

私はタレント議員を肯定するつもりも否定するつもりもありません。むしろ能力のある政治家がタレントと同様、なんら拘束を受けず自由に自分の意見を表明でき、自らの魅力を宣伝できるような場というか仕組みというか文化というか、がこれからの政治には必要なのではないかと考えます。

「党のサポート」という話を前に書きましたが、ここ10年でサポートの必要性はかなり低くなっているのではないかと考えます。インターネットの登場により、誰でも気軽に情報発信ができるようになりました。これまでは、党の力でビラを貼ったり講演会を開いたり、宣伝カーを使ったりと自分の名前を売り込むだけでも莫大な費用がかかっていましたが、今はホームページやブログなどで簡単に意見表明ができるようになっています。まともに文章が書ければ、1人でもできる作業です。あとはそのブログをどれだけたくさんの人に読んでいただくか、というところが政治家を党から開放するキーポイントとなります。

私の案: 「ブログ党」を作る。

ブログ党は、政治的なイデオロギーはまったく無く、党議拘束もないまったく新しい政党になります。唯一存在する拘束は

「自分の政治理念や国会の審議に臨む考え方をブログで表明し、実際の活動もブログで表明した内容に従って実施すること」

というものです。これを怠った議員は次回選挙から公認しないこととします。
例えば以下のような感じで考え方を表明できると良いと思います。

・靖国神社の公式参拝は賛成です。なぜならば・・・だからです。
・憲法第9条の改憲には反対です。なぜならば・・・だからです。
・xxx法案にはこれこれこういう理由で反対します。廃案に持ち込むために○○さんと△△さんとともに□□を実行します。場合によっては▲▲党と歩調をあわせます。

こうした考え方をできるだけ細かくブログに残すことで、この人はどういう人かを選挙民によりよく理解してもらえるようになるのではないかと思います。

ブログ党はイデオロギーを共有するのではなく、「政治手法を共有する政党」といえるでしょう。

ブログ党という政党をつくり、例えば国政選挙で一気に大量の候補者を擁立するなどして、マスコミの注目を集め、ブログ党の候補者は何を言っているのかな、と興味を持ってブログを見てもらえれば、個人個人でブログを開設するのに比べヒット率はずっとアップするでしょう。例えばこのような方法でブログ党をブランド化すれば、能力のあるプロの議員の魅力を安価かつたくさんの人に宣伝することができるようになると考えます。


はじめまして

2005年08月10日 | 雑感
noribo2000と申します。
前々から意見やアイデアを簡単に表明できるblogを自分でも作ってみたいなーと思っていたのですが、不精な性格なのでなかなか着手できずにいました。
毎日のようにブログを書いている方も多いのですが、私の場合はマイペースで時々長々とした文章を載せるような感じになるかと思います。
特定のテーマはないのですが、興味のおもむくまま、ただし単なる批評ではなくアイデアの形で発表できたらな、と思います。
今後ともよろしくお願いします。