noribo2000のブログ

特定のテーマにこだわらず、意見やアイデアを表明するブログです

ポール・グレアム「就職なんてもう古い」を読んで

2006年01月15日 | 科学技術・システム・知財など

lionfanさんのブログ「らいおんの隠れ家」にポール・グレアム「就職なんてもう古い」というエッセイの翻訳が載っていました。

基本的には大学・大学院に在籍する若者に、企業に入る前に起業することを薦めるエッセイです。企業でシステム開発をしている人間として、いろいろ考えさせられる文章でした。

特にドキッとした部分を以下に引用します。

 組織のボスなんか飛び越えて、直接ユーザのところに行くことだ。(中略)望むなら、自分の会社をつくって、ユーザに直接評価してもらうことを選べるんだ。市場のほうがずっと賢いし、差別もしない。

 大企業は、製品開発がうまくできないんだ。既存の製品から儲けを得ることは上手くても、新製品を作るのは下手だ。どうしてだろうか?
(中略)
第一に、
ほとんどの大企業は、守るべき基盤を持っているが、それが開発の意思決定を歪めがちなんだ。
たとえば今、ウェブ・ベースのアプリケーションはホットだ。でもマイクロソフト社内では、ウェブ・ベースのソフトというアイデアは、デスクトップを脅かすから、反感も強いに違いない。だからマイクロソフトが最終的に出すウェブ・ベースのアプリケーションは、Hotmailのように、おそらく外部で開発されたものになるだろう。

もう1つ、大企業が新製品の開発を苦手とする理由がある。開発型の人間は、たまたま社長だった場合でもないかぎり、大企業ではあまり権力を持てないからだ。めちゃくちゃ凄い技術は、めちゃくちゃな人間が開発する。でもそんな奴らは大企業で働かないか、社内のイエス・マンに負けてしまうため、影響力がほとんどない。

また大企業は、たいてい各分野の商品を1つずつしか作らないために失敗する。1つのウェブ・ブラウザしか開発してないなら、リスキーなことは何もできない。10社のベンチャー企業に10のウェブ・ブラウザを設計させて、いちばんいいものを採用したほうが、たぶんいいものができる。

この問題のより一般的なバージョンは、企業にはあまりに多くの新しいアイデアがあって、全部を試してるヒマはないってことだ。マイクロソフト社に買収させようと思ってる会社は、現在、500社もあるかもしれない。マイクロソフト社でさえ、たぶん組織内で500もの開発を管理することなんてできないだろう。

■動物を檻から解放しても、しばらく檻が開いていることに気づかないってことを知ってるかい?追い出すために、棒でつっつかなきゃいけないこともしょっちゅうだ。似たことがブログで起きた。

1995年には、すでに人々は自分の考えをWeb上で公開することが可能だった。でもブログ作成はこの数年間で、ようやく本格的に始まった。1995年には、プロの物書きだけが自分の考えを公開する資格があり、それ以外がアイデアを公開したら変人だと思われていた。今ではWeb上の執筆はごく当たり前で、紙のジャーナリストさえブログを書きたがっている。

ブログが最近になってようやく流行ったのは、技術革新があったせいじゃない。檻が開いているとみんなが気づくまでに、8年もかかってしまったんだ。

私はほとんどの大学生が、経済的な檻が開いていることに気づいていないと思う。その主な理由は、「成功するなら良い企業に就職することが大事だ」と親に教えられたせいだと思う。親が大学生のころは、これは真実だった。でも今では、それほど真実じゃない。

■大学生って、どうしてこんなに保守的なんだろう。いろんな組織で長年を過ごしたからだろうと思う。みんな人生の最初の20年は、ある組織から別の組織へと渡り歩いて過ごしたんだ。たぶん進学する中学校は、ロクに選べなかった。高校を卒業したら、大学に行くもんだとみんな思ってた。いくつかの大学からは選んだかもしれないが、たぶん互いに似たような大学だった。

この話のポイントは、あなたは20年間ずっと地下鉄に乗り続け、次は「就職駅」だと思ってるってことだ。でも本当は、大学は地下鉄の終点なんだ。

いっけん、会社に仕事をしに行くことは、次の組織に乗り換えただけのように思うかもしれない。でも現実には、何もかも変わっている。大学卒業は、人生が消費者から生産者に変わる折り返し点だ。もう1つの大きな変化は、こんどは自分自身の人生を選べるってことだ。好きな道を進んで良い。だから惰性で何かをする代わりに、ちょっと立ち止まって、状況をしっかり把握する価値がある。

■先に起業し、失敗したら大学院へ行くというテもある。ベンチャーが失敗するのは、たいていは、すごく早い。一年あれば、時間のムダかどうかわかる。失敗したら、大学院に行けばいい。成功したら、大学院入学を、もう少し遅らせる必要があるだろう。でもフツーの大学院生の収入でできる生活より、ずっと愉快な生活が待っているんじゃないの?

■大学にいたころ、「経験」って言葉をしょっちゅう聞いた。けどその言葉は、実際には何を意味しているんだろう?

経験そのものに価値があるんじゃない。考えがどう変わったかが重要なんじゃないか。「経験」したら、自分の考えがどう変わるんだろう?その変化を、もっと早めることはできないの?
(中略)
大学生が
ダメなものを作るのは、人々が求めているものを理解してないケースがほとんどだ。
でもこれは、若さゆえの欠点じゃない。誰も欲しがらないような会社を設立する奴は、どんな年代にもいる。
(中略)
起きろ!
座ったまま「ユーザは何を求めているんだろう?」なんて理屈をこねてんじゃない。ユーザのところに行って、何を求めているのか確かめてこい。

最も成功するベンチャー企業は、特殊な問題だけじゃなく、万人が共有している問題をも解決するんだ。

「他人の問題を解くことこそが大事だ」と悟ることが、「経験」でいちばん変わることだ。いったん理解すれば、すばやく次のステップに進み、人々の問題は何かを見つけられる。


私はすでに大学・大学院を卒業してしばらく経つのですが、引用した文章の「大学」を「普通の企業」と読み替えて、自分が諭されたような気になってしまいました。それにしても、この文章を翻訳しブログにアップして下さったlionfanさんには感謝ですね。かなり長文なので非常に骨の折れる作業だったと思います。ありがとうございました。


「通信と放送の融合」~読売新聞の社説より~

2006年01月14日 | 科学技術・システム・知財など

最近省庁再々編の議論の中で通信と放送の監督官庁を一元化する議論が活発化しています。

そんな中1月12日付けの読売新聞の社説を読んで、ちょっと違和感を感じました。

[通信と放送]「テレビには報道の役割もある」

論旨は以下のとおりです。

■通信と放送は技術的に垣根が無くなっているため、法整備上や行政上も別々に捉えるのではなく一元化して検討するのは時宜を得ている。

■しかしながら、放送には「報道」という側面があり、そのことを忘れた議論はよろしくない。

■特に地方局などのように地域に根ざした「報道」が地方局の衰退に伴い損なわれるのは問題である。

いろいろ突っ込みたいところはあるのですが、私の感じている違和感の本質は、「通信」と「放送」という言葉が意味するものが私見と読売新聞の社説とで異なることにあるのだと思います。

私は「通信と放送の融合」という言葉を聴くと、以下の二点を思い描きます。

■片方向のコミュニケーションである放送番組に彩を添えるため、双方向のコミュニケーションが可能な通信インフラを用いる。(ユーザ参加型番組など)

■通信インフラを用いて片方向の放送番組を送信する。(多チャンネル放送、VoD、難視聴地域への再配信など)

前者は放送側が通信を利用するモデルなので融合といっても限定的であるのに対し、後者は明確な通信と放送の線引きがなく、放送番組の伝送媒体として放送波を用いるか通信網を用いるかの違いだけになっており、真の意味での通信と放送の融合(というか区別がつかない状態)と言えるでしょう。

つまり私の考える「通信と放送の融合」とは
「通信」=「通信網」
「放送」=「放送波」
という伝送媒体の融合を指しています。

しかし読売新聞社説では、情報源としての「通信」と「放送」の違い、という観点で問題提起しているように思えます。
「通信」=「パーソナルな情報発信(公正性、中立性が無く報道とは呼べない)」
「放送」=「報道などの放送番組(公正性、中立性を確保)」
このような分類をするならば確かに両者は全く性質が異なるような気がします。従ってそもそも通信と放送の融合など非現実的である、というのが読売新聞社説のバックグラウンドにある考え方ではないかと思います。

もし、今のテレビがすべて真実を報道し、今のインターネットが嘘ばかり垂れ流している、という考え方があるのであればそれは早計でしょう。インターネットに嘘があるのは周知の事実ですが、テレビだって国家によって免許が与えられているので、平時はまだ良いですが有事のときにはどんな統制がかからないとも限りません。また「意図的に」事実を報道しない、とか憶測で報道するという姿勢は平時であっても時折見受けられます。そういう時にはインターネットからより正しい情報を取得できるかもしれません。結局情報の真贋は視聴者が判断するより他ないのです。

それでもあくまで「免許を受けた放送局による放送番組」と「パーソナルな情報発信」とを区別する必要がある、というのであれば、コンテンツに放送局からの番組であることを証明する手段を用意し、セットトップボックス(STB)には放送局コンテンツのみ受信できるモードとあらゆるコンテンツを表示できるモードとを選択できるようすれば、伝送路が放送波でも通信回線でも免許を受けた放送局のコンテンツだけをテレビ受像機に表示させることもできるようになるでしょう。

また、社説では地方局の衰退について言及されていますが、現在の地方局は県域単位であるため、コミュニティ情報としてはかなり広域な情報となるでしょう。市民生活に密接に関わる市町村レベルの情報はそれ程放送されないのではないでしょうか。こうしたきめ細かな情報は帯域の限られた放送波で送信することは困難であり、通信インフラによる配信が適していると考えます。要は適材適所だと考えます。

このように深く突っ込んで考えよ、というのが社説の主張であるならば、まあ私も納得できますね。ただ不安だからやらない方向で検討すべし、ということであれば技術の進歩を無視したあまりに消極的な考え方であり賛成できません。


電話の逆探知について

2006年01月13日 | 科学技術・システム・知財など

仙台で発生した乳児連れ去り誘拐事件で犯人逮捕の決め手になったのは電話の逆探知だそうです。

公衆電話で連絡6回、逆探知で場所特定 乳児連れ去り

夫婦ら3人の逮捕のきっかけになったのは一連の電話だった。

県警は、2分余りだった1度目の電話の逆探知に成功。病院から南西に約25キロ離れた大河原町内の公衆電話からだったことを割り出した。

犯人は通話時間が長引くのを警戒していた。だが、ここ数年、逆探知の威力は飛躍的に向上しているという。警察関係者によると、電話会社の協力があれば相手の電話番号は瞬時に判明し、公衆電話の場所は容易にわかるという。

どうも我々は刑事ドラマの影響か発信者の電話番号を特定する「逆探知」は失敗する確率が高いと思い込まされているようです。しかし、いまや電話局で使われる交換機もほぼすべてテジタル化され、発信者の電話番号は瞬時に判明すると考える方が自然だと思います。また最近ではNTTでナンバーディスプレイサービスを提供しているように、基本的には発信者の電話番号を着信者に通知することもできるようになっています。

もはや「逆探知」などという言葉自体が時代遅れなのかもしれません。今の電話の技術からすれば「発信者番号特定」ぐらいではないでしょうか。

ではなぜ昔は「逆探知」が難しかったのでしょうか。そのことについて簡単な解説がありました。

逆探知にかかる時間

クロスバー交換機というものを通ってくる電話だと、どの電話と繋がっているかをいちいちランプを見て調べなければならず、時間がかかる。しかも大抵は複数の交換機を経由してくるから、さらに手間暇がかかる。しかし、最近では電子交換機やデジタル交換機が増えてきたから、これならどこからかかってきたか一瞬のうちに判明する。

クロスバー交換機とはリレーなどの機構を使い物理的に電話線を結線することで通話を可能にする交換機です。解説によれば、逆探知のためにはいちいち交換機のランプをみて結線の状態を確認しなければならず、さらに通常の通話は複数の交換機を経由するので、複数の電話局で連携をとりながら調べなければなりません。そのように手間暇かけても発信元が特定できる前に犯人が電話を切ってしまえば、それまでの調査が水の泡になってしまうのです。これが逆探知失敗のメカニズムです。ドラマでは刑事が「チッ失敗か」と軽く肩を落としますが、その裏では電話局で大変な労力をかけて調査していたのですね。

確かに古き「良き」時代はやはり「逆探知」という言葉がぴったりでした。しかし、もはや電話による連絡は必ず足がつくと考えたほうが良さそうです。悪いことはできませんね。


明けましておめでとうございます

2006年01月07日 | 雑感

もう2006年になってから一週間が経とうとしていますが、遅ればせながら明けましておめでとうございます。年始はノロウイルスでダウンしていたので今年初のエントリーとなります。まばらな更新の当ブログですが、今年もよろしくお願いいたします。

さて、noribo2000がダウンしている間にも世の中はどんどん進んでいますね。

■ネット選挙戦解禁へ 改正案 HP・ブログ更新可

インターネットが一般的になってからはや10年、ようやく選挙にもインターネットが本格的に利用できるようになります。記事には「HP更新による誹謗(ひぼう)中傷の蔓延(まんえん)を懸念する声もあり、その対応策は検討課題だ。」とありますが、この10年でネット文化も成熟しているのでその心配は無いのではないかと考えます。明らかに悪意のある誹謗中傷は大多数の有権者からは無視され、候補者の真意が曲解されるということはほとんどないでしょう。むしろ政策を論理的に説明できなかったり、コメントに対しむきになって反論したり、言葉遣いが横柄だったりすればそれだけで支持を失うことになりかねません。

選挙のネット利用は候補者の政策遂行能力を評価するのにうってつけです。ブログ党も本格始動か?

■放送番組のネット配信、加速 音楽使用権を一括管理
楽天とTBS買収のときのブログでも述べたのですが、通信放送融合の障壁は放送したコンテンツをインターネットで再配信する際の権利処理の複雑さにあります。この記事によれば音楽についての権利処理を一元管理するということでまずは一歩前進というところです。しかし肝心の映像についての権利処理一元化は権利者との調整が難航しているようで、放送コンテンツのインターネット再送信が簡単にできるようになるのはもう少し先の話ですね。

■東証がシステム増強へ 最大900万件の注文に対応
大丈夫かなぁ・・・
とりあえず当ブログで指摘したような「年またぎ」の障害は発生しなかったようですね。しかし今度はシステム更改なのでまさに「手順書」および更改後の「実機試験」がきちんと実施されないとまた1月10日に大問題になりかねないです。このあたりの準備にぬかりはないだろうか。しつこいようですが、富士通の再発防止策が公表されていないのが気になります。

■おなかの風邪、今冬も急増中 大半はノロウイルス
私もこれにやられました。近年経験したことのないほどの苦しみでした。

ノロウイルスに関するQ&A

ご参考まで。