臍曲がりの独り言

行動記録と私見

竹田篤司著「明治人の教養」

2005年05月31日 | 書籍紹介・評
級友K氏のホームページでお薦めと紹介された、竹田篤司著「明治人の教養」と言う文春新書を図書館から借り出し読了しました。

東京の府立一中-一高-東京大学というエリートの経路に対し、京都府立一中-三高-京都大学という経路で大正から昭和に掛けてノーベル賞受賞の学者を含めて多士済々の有名人を東大出に比べて多数輩出した根拠が、京都一中から三高の校長になられた森外三郎さんの教育に対する理念が結果をもたらしたものと述べておられます。

K氏は東京府立一中の日常の何々をしてはいけないという校風が我慢出来なかったと述べられてますが、私のように東京府立四中を出たものから言わせれば、四中はもっともっと一中どころではなかったと思います。
「戦艦大和の最後」を書かれた吉田満について、粕谷一希著「鎮魂・吉田満とその時代」の文中に府立四中のことが可成り的確に書かれてますが、一中卒と四中卒を比べると遙かに一中卒の方が世の中に名を成した人が多く、吉田満君も後日四中の校風と教育方針に懐疑的に述べておられます。一中はずうっとおおらかだったのではないかと思います。
私は四中在学中は少しも感じたことはありませんでしたが、3才年上の兄が四中から陸軍の学校に入ってから弟の私にそれらしきことを言ったのを記憶してます。そのせいか第四高等学校に入って旧制高校の自主の精神を体験し、余りにもその校風の違いに戸惑い、自分の出た四中の教育の仕方に疑問を感じたことは確かです。
四中嫌いになり、四中出身と言外することを躊躇い、挙げ句の果て校友会を離脱して今日になります。
へそ曲がりです。

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