級友の "K" さんに教えられて、図書館に申し込んだら直ぐに入手できました。
江川太郎左衛門英龍の名前は小中学生の頃から韮山の反射炉などで技術者として承知してましたが、後の二人のうち中島三郎助は全く知りませんでしたし、榎本武揚が武人としてより技術者として優れた人物というのも始めて知りました。
この三人の江戸末期から維新にかけての行動と技術立国に尽くした模様をこの著者は史実に基づいて小説風に書いた本です。
幕末に来航したイギリス、ロシア、アメリカの軍艦から貪欲に知識を吸入し、自力で銃やら大砲、軍艦類を製造し、操作方法まで訓練し物にしてしまった努力をの様子が画かれてます。
中島三郎助と榎本武揚が徳川幕府の臣として薩長軍と戦い、函館戦争で中島は戦死し榎本は五稜郭で降伏し、その後二年半も投獄されていて死罪になるところ、大村益次郎の反対を押し切って黒田清隆が榎本の技術者の才を見込んで助命し、そのご明治政府にあって技術者、技術官僚、外交官として大活躍をした事が書かれてます。
幕府が作った海軍伝習所では勝海舟は落第生であったこと、幕府が特使派遣で日本初の軍艦咸臨丸の艦長は勝海舟であったが、勝海舟と仲の悪かった榎本武揚は外されていたが、帰国してから勝海舟は罷免されたということなどこの本で始めて知りました。
今から考えると、当時銃や大砲を作った鉄や青銅をどうやって作ったか、どうやって加工し、砲身の中ぐりを作ったか私には疑問だらけで、大いに知りたい事柄です。
前の大戦の時戦艦「大和・武蔵」に搭載された18吋の世界最大の大砲を日本海軍は極秘の内に製作しましたが、私が大学2年生で、海軍艦政本部に動員されてた時三菱長崎造船所の先輩技師から、当時全く知らせられなかったのは日本国民だけで、世界中の国々は日本が18吋砲を作りつつあることを知っていたそうです。理由は数年前室蘭の日本製鋼所にドイツからワルドリッヒの超大型旋盤を輸入したことで外国は皆知ってた相です。
幕臣たちが当時どんなに苦労してたか、この本を読んで感慨に耽けざるをえませんでした。
江川太郎左衛門英龍の名前は小中学生の頃から韮山の反射炉などで技術者として承知してましたが、後の二人のうち中島三郎助は全く知りませんでしたし、榎本武揚が武人としてより技術者として優れた人物というのも始めて知りました。
この三人の江戸末期から維新にかけての行動と技術立国に尽くした模様をこの著者は史実に基づいて小説風に書いた本です。
幕末に来航したイギリス、ロシア、アメリカの軍艦から貪欲に知識を吸入し、自力で銃やら大砲、軍艦類を製造し、操作方法まで訓練し物にしてしまった努力をの様子が画かれてます。
中島三郎助と榎本武揚が徳川幕府の臣として薩長軍と戦い、函館戦争で中島は戦死し榎本は五稜郭で降伏し、その後二年半も投獄されていて死罪になるところ、大村益次郎の反対を押し切って黒田清隆が榎本の技術者の才を見込んで助命し、そのご明治政府にあって技術者、技術官僚、外交官として大活躍をした事が書かれてます。
幕府が作った海軍伝習所では勝海舟は落第生であったこと、幕府が特使派遣で日本初の軍艦咸臨丸の艦長は勝海舟であったが、勝海舟と仲の悪かった榎本武揚は外されていたが、帰国してから勝海舟は罷免されたということなどこの本で始めて知りました。
今から考えると、当時銃や大砲を作った鉄や青銅をどうやって作ったか、どうやって加工し、砲身の中ぐりを作ったか私には疑問だらけで、大いに知りたい事柄です。
前の大戦の時戦艦「大和・武蔵」に搭載された18吋の世界最大の大砲を日本海軍は極秘の内に製作しましたが、私が大学2年生で、海軍艦政本部に動員されてた時三菱長崎造船所の先輩技師から、当時全く知らせられなかったのは日本国民だけで、世界中の国々は日本が18吋砲を作りつつあることを知っていたそうです。理由は数年前室蘭の日本製鋼所にドイツからワルドリッヒの超大型旋盤を輸入したことで外国は皆知ってた相です。
幕臣たちが当時どんなに苦労してたか、この本を読んで感慨に耽けざるをえませんでした。