前回 入力途中で書き足すつもりが、不手際から登録されてしまい再度投稿します。話をする事はそこそこできるけれど、まとまった文章を書くのは難しいものですネ。
先週の土日に、四国八十八ケ所霊場の第75番札所で 有名な善通寺へ行ってきました。
ここは有名な弘法大師が、生まれ育った所ですが、お父さんの佐伯善通卿と お母さんの玉寄御前の菩提を弔うために、今から1200年程前に建てられたものです。弘法大師は若くして遣唐使船に乗って中国に渡り、真言第八祖の恵果阿沙梨と言われる人からから、真言密教の奥儀を授与され わずか2年で日本に帰ってきたが、遣唐使船は、その後 政治や経済情勢で、り30年間にわたり停止されていたそうですから、大変運の強い人であった訳です。
高野山や京都の東寺と共に、1000年以上も綿々と続く仏教やお寺というものは、よく考えてみれば 素晴らしいもので、老舗の企業や、商店でもせいぜい永くて100年しか持たない訳だから、500年 1000年続いている 日本独特の良いものや文化というものを、我々日本人はもっと誇りを持って生きていく必要があるように思うこの頃です。
四国は雨も少なく、又 これといった産業も無い中 弘法大師が1000年以上前に考え出されたことが、いまだに年間数十万人の人が訪れ、お遍路さんとして、88ケ寺巡りをするのは 癒し系の観光資源として考えると、本当に素晴らしいアイディアであり、満濃池と言われる「ため池」や、それまで日本には中国から来た漢字のみの漢文しか無かったものを、いろは48文字のかな文字を発明してその後の日本の文化に与えた影響は計り知れないものがあり、超人的な才能をもった人であったのであろうと思われます。
それはともかく 善通寺周辺はいつ行っても、背中に「同行二人」と書かれた 白衣を着て菅傘と杖に似た錫丈を持ったお遍路さんが、お参りをしており 定年を過ぎた老夫婦や若いカップルが、どんな想いで 参っているのか知る由もありませんが、御影堂の前にある弘法大師が子供の頃 よく過ごしたといわれる古い池のそばに、句碑が一つ 「 お遍路の 美しければ あはれなり 」 年尾
四国の旅でした 後藤 武