中国貴州省とそこで暮らしている苗族トン族等の少数民族を紹介しています。

日本人には余り馴染みのない中国貴州省と、今私が一時滞在中の雲南省や大理白族自治州大理古城について

改元に際して思う事

2019年05月01日 | 日本と中国

1989年に昭和から平成に元号が変わった際には、偶々私は中国の河南省は鄭州市で、語学留学して居たので、日本には居ませんでした。今現在は、中国は雲南省大理に滞在中ですので、平成から令和に元号が変わるに際しての日本の状態がどんな状態なのかは目にする事が出来ません。人生の中で二度、年号が変わるのですが、二度とも偶々海外に滞在中なので元号が変わるに際しての日本の状態を見る事なく終わる事になります。

昭和から平成になった後の1990年に中国での2年間の留学を終えて日本に帰国した訳ですが、帰国した後は、私は基本的には元号は使用しない事にしていました。日本へ帰国した直後の1990年代から、私の周辺でも急激に外国人の知り合いも増えた所為もあります。また、偶々中国語を少し出来た事もあり、某市で臨時の日本語教師として採用され、外国から来た子供達に日本語を教える羽目になった事とも関係があるかもしれません。中国、ベトナム、韓国、ブラジル、フィリピン等の国から来て日本の小学校や中学校に通う児童生徒に日本語を教える事になり、子供達と話す際には、当然の様に元号は使わず西暦を使うので、私も帰国後は昭和とか平成等の元号を使う事は、基本的に無くなりました。

1990年代初頃から、私が住んで居た市でも、急激に外国人が増えた時期であります。80年代末頃には、イラン人、その後フィリピン人、ブラジル等の南米日系人、中国人、韓国人、ベトナム人等が色々な形で日本社会では増えて行った様に思います。私が住んで居た街の公園では毎年クルド人が集まる祭りもあり、それに参加した事もあります。

外国人が増えたので、日本人の知り合いと無料の日本語教室を開設したのもこの頃で、その後無料の日本語教室は増え続け、以前私が住んで居た某市では、今では毎週、毎日夜や昼に無料の日本語教室が開かれている様です。また、日本語の出来ない子供を対象に無料の日本語教室を初めてのも90年代中頃の事です。そう云う事情もあり、帰国後は年号は使わない様な状態が続きました。

無論所謂公文書等では、元号を使うので全く元号を使わないと云う訳には行きませんでしたが、他の場面でも、基本的には元号は極力使わないで来ました。私も元号の使用は基本的に止めるべきと考えの持ち主です。今後益々日本に住む外国人も増える様な中で、元号を使う機会は減る様に思います。

 

 

 


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