Across The Universe

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ロスジェネ世代の逆襲

2008年06月07日 | 管理人のひとりごと
   

 先月創刊された超左翼マガジン『ロスジェネ』(かもがわ出版)という雑誌を読む機会がありました。「ロスジェネ」というのは、「ロストジェネレーション」の略語で、1990年代後半の就職超氷河期に社会に送り出された現在20代後半から30代前半の世代のことを指しています。そして、この雑誌はこのロスジェネ世代の声を社会に伝え、その団結を呼びかけています。

 この世代に対しては、つい最近まで「ニート」「フリーター」「ひきこもり」「負け組」「下流」などと世間からレッテルを貼られてきました。そして、ともすれば就職できないのは自己責任であり、努力が足りないからであるというような言説がマスコミや保守政治家等によって広く流布され、当のロスジェネ世代ですらそれを是認しているような状態がこれまで長く続いてきました。

 ところが、ここ最近になってようやくこうした流れが変わりつつあるように思います。一時期話題になった「ニート」という言葉はあまり聞かれなくなった代わりに、働いても働いても貧困から脱出できない「ワーキングプア」や、残業代を節約するために名目だけの管理職に任命される「名ばかり管理職」の問題が大きくクローズアップされ、日本社会が抱える矛盾点がようやく明らかにされつつあるように感じます。

 また、『ロスジェネ』創刊に先立って、今年没後75年となる小林多喜二の『蟹工船』が例年の5倍という異例の売れ行きとなっています。『蟹工船』は、蟹工船で不当に酷使される貧しい労働者たちが団結してストを行なう姿を描いた日本のプロレタリア文学の代表作ですが、このことは小林多喜二が捉えた社会の矛盾が、現代社会にも通じる点があることを示唆しているように思います。そして、こうした一連の現象は、現実にある矛盾を「自己責任」として片付けがちであったロスジェネ世代たちが、社会全体の矛盾の問題として大きく声を上げる段階に達しつつあることをも示唆しているといえると思います。

 私自身も同じ世代に属しており、自らの意思で大学院に進学したものの、研究の傍ら非正規雇用に従事する者として社会に対する矛盾は常々感じていました。そして社会全体の変革を志して学生時代から学生運動に関わってきた者としてここ最近の左翼復興の動きは非常に心強く感じます。

 しかしながら、こうした現象がこれから続く社会変革への一里塚となるのか、それとも単なる一過性のものとして終わってしまうのか。その見極めにはまだまだ時間がかかると思います。なぜならば、ロスジェネ世代の多くは社会に矛盾を感じながらも、その思いが明確な論理性・思想性を持ったものであるかどうかといえば、ほとんどの場合そうではなく、単に情緒的に矛盾を感じているに過ぎないと考えられるからです。

 社会の矛盾を作り出している元凶は何なのか、本当の敵は誰なのか。こうしたことをきちんと筋道立てて相手に反駁されないような論理性を構築することが何よりも求められています。そうでなければ、7年前に論理よりも情緒を重んずる小泉元首相がロスジェネ世代を含む若者を中心に大きな支持を得たような事態になりかねません(現代社会の矛盾は小泉内閣によってさらに拡大されたことを忘れてはなりません)。同じような事態は7年前よりもずっと社会の矛盾が拡大した3年前の郵政民営化総選挙でも起きています。したがって、私は現在の状況もマスコミ等で社会の矛盾点がクローズアップされた結果、ロスジェネ世代たちが情緒的に左翼思想になびき始めたに過ぎないと考えています。それが確固たる論理性・思想性に基づいたものでない限り、風向き次第ではいつ国家主義思想に傾いても不思議ではありません。

 ともかくも、社会の矛盾を「自己責任」としてあきらめるのではなく、社会全体を変革するように求める動きが表面化しはじめたのは例え一過性のものであれ注目に値する現象ではないでしょうか。日本では、これまで民衆が力を合わせて社会全体の変革を試みた例は残念ながら歴史上一度もありません。明治維新はもちろん革命とはいえない代物ですし、戦後の諸変革も国主導で進められたものであり、民衆が積極的に関わったものではありません。これから先、社会全体の矛盾がさらに拡大するのか、ロスジェネ世代を中心に声をあげることにより改善に向かうのかは定かではありません。ただ、こうした動きが表面化している以上、一進一退はあるけれども、社会全体は確実に良い方向に向かいうると思います。そのためにはわれわれロスジェネ世代が確固たる論理性を持って立ち向かうことが何よりも求められているのではないでしょうか。

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