遊戯(ゆげ)

世の中は、なるようになるわ。
あきらめないで、悠然と生きる事を楽しむ・・・・
それが遊戯(ゆげ)の心です。

ポテンシャルな植物

2013-07-31 | Weblog



糸井重里の「ぽてんしゃる」という本を買ったらおまけに付いてきました。


「チランジア ウスネオイデス」

土も要らない。
水もほんの少しだけ。

ポテンシャルとは 潜在的な力。
可能性としての力。

なんか素敵なあれこれ
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お元気ですか?

2013-07-31 | Weblog
暑中お見舞い申し上げます


今年も、残すところ5か月です。「時間が早く過ぎる
と思う」と夫は言いますが、変わらない日々を、ただ
ただ重ねているようで、心に少しずつカスが積みあが
るような気分です。
もう少しましな人生になると思って居ましたが、悔い
なく生きるには何が必要なのでしょうか?
この世の生命体は、子孫を反映させるのが至上命令で
あるとするならば・・・・
我が家には一向に幸せの気配がめぐってきません。
多分、あきらめちゃっているのですね。今の私に足り
ないものは、希望を持つ事、あきらめない事、生活を
変えること。

 幸い、明日は8月1日。新しい生活を試みてみよう。
ダメでもともと。皆様もどうかお元気でね。

できれば今日よりも明日が良い日になりますように。
お体いたわってくださいね。
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半沢 直樹

2013-07-30 | Weblog
評判が高いので、テレビを見ました。
面白くって、池井戸 潤さんの本を買ってきて 一気に読みました。
  文春文庫
   オレ達バブル入行組
   オレ達花のバブル組

半沢 直樹の魅力は、サラリーマンでありながら 上司からの横暴や
いじめ、無理難題などに 立ち向かうことができるということ。
現実は、我慢して 我慢して 立場を失い、病気になるようなしくみ
が多いのに・・・・・。
見ている人は、ハラハラドキドキしながら追い詰められ、最後に
決め台詞とともに 相手を倒す。気持ち良い。溜飲を下げる。
弱いものの立場を十分にわかったうえで、でたらめをただす。

芸達者がそろって 面白いドラマにしている。
毎週楽しみ。


「下町ロケット」や「空飛ぶタイヤ」「鉄の骨」「金融探偵」なども 
弱いものが、理不尽に立ち向かい真相を突き止める話。
  
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希望の国

2013-07-30 | Weblog

園子温監督の「希望の国」という映画を観ました。
3.11以降、 地震をテーマにした映画はこれだけ。
(ドキュメンタリーは別として・・)
夏八木 勲さんの遺作になったものなのですね。
代表作になりましたね。落ち着いた、静かな演技の中に
原発事故により、愛するものを失った主人公を重厚に
表現されていました。隣の家との間に突然杭が打たれる
理不尽・・・・・国への声に出せない怒りが・・。

大谷直子さんのひさびさの女優復帰作でもあります。
彼女も素晴らしかった。重苦しいテーマの映画の中で
彼女の存在が光でもあった。


★★★★原発について考えさせられる、つらい映画だけれど
みんなに観てほしいと思います。

★★★原発はリスクが高すぎる。
全て廃炉にしてほしい。
誰が 責任とれるの?地球に、空に、海に。

    
園子温監督の映画は初めて見ました。
声高に叫ぶわけでなく、ありのままを見せてくれる。
そして私たちは福島について 改めて たくさんの事を思うのです。

【心に残った言葉】
 

        生きていれば、杭は何度でも打たれる。
        庭にある木は、祖父の木、父の木、そしてこれが私たち夫婦の木だ。
        木は生きている。生きているしるし、刻印だ。
        それを捨てて どこかへ行こうとは思わない。

★★★婦人公論6,7月号を見て私が感じたことをブログに書いたものを再掲します。

【大谷直子さんの記事が載っていました。】


「転ばぬ先の杖」という言葉は嫌いです。
80歳のおばあさんだって、40代の人だって将来は判らないのです。
明日何があるか誰にも判らない。

41歳で離婚して 18歳の長女、10歳の長男、6歳の次女を一人で育ててきた。
こどもたちはみな それなりにぐれたけどほおっておいた。
52歳で家のローンを払い終え、二人の子どもが出ていったので
家を売りに出して小さなマンションに移り住みスケールダウンした。
57歳のとき 悪性リンパ腫で余命5ヵ月と宣告された。
抗がん剤を8回やって楽になったが四年間仕事を入れないようにして 
ただ韓国語の勉強をしていた。語学を学びたいと思って居たから。
もう仕事に戻る気はなかった。

園子温監督から「希望の国」の主人公の妻の役を打診された。
責任の重い重要な難しい役だったので断ろうと思ったが・・・・・・・。 


試写会のとき おきゃくさんが「大谷直子って自然に演じてるわねえ。」
といっているのを聴いて嬉しかった。
「希望の国」の映画を観て こどもたちが認めてくれたので驚いた。

すぐあとで 新藤兼人監督と乙羽信子さんを描いた「最後のガチンコ」という
ドラマに出て、二作続けて良い映画に出られて女優になってよかったと思った。

一日一日 無事に過ぎれば良いと、淡々ととシンプルに生きている。
やまない雨はないから 欲張らず分をわきまえて生きていくのが良いと思う。



一人の女優の地に足の着いた生活を垣間見た。もともと物欲は無かったから
離婚してからは つましく生活してきた。抗がん剤を打つ時でさえタクシーに
乗らなかったという彼女の生活は 庶民の意識だ。誰でもいつ命が尽きるか
わからないのだ。潔い気持ちに圧倒された。
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桐島部活やめるってよ

2013-07-24 | Weblog
朝井 リョウ 著
集英社文庫 刊


話題になったのに、タイミングが合わなくて、映画を観そびれてしまったので
本を買って来ました。

今日は家族の通院のための待ち時間が三時間くらいあったので、めでたく読了しました。

ただ、病院や喫茶店で読んでいると、雑音が多くて、感情移入がしづらいのを発見しました。

群像劇の様相があるので 人間関係を何度か遡って、理解しようとつとめなければなりませんでした。


朝井リョウという若い作家の青少年についての洞察は深く

忘れていたものを思い出しました。

映画も観たくなりました。

スター的な存在の高校生、かっこよい高校生、地味で、目立たない存在の高校生、

目立たなくて、ダサいと言われている人が、光輝いているのを作者は見逃さないし、

軽い女の子の価値観をさりげなく風刺しているし、

様々な人生を見て興味深い作品でした。

桐嶋君はバレー部に戻ってくるのかしら?
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やなせたかしと「詩とメルヘン」のなかまたち

2013-07-24 | Weblog



1973年から30年間、詩とメルヘンのファンでした。
妥協を許さない 充実した内容で、大好きでした。
ずっと取っておいたら良かったのに。残念です。
今日は久しぶりで、詩とメルヘンを見て、素晴らしい本だったなあと再認識しました。

やなせさんの毎月の表紙は洒落ていて、それじたいがポエムでした。
今は季刊になりましたよね。
本屋さんで見かけると、買っています。

やなせさんはアンパンマンで認められたのが54歳だったとか。
挫折も、認められない気持ちも悲しみもみんなわかっている素敵な詩人です。

私がアンパンマンに出会ったのは保母の時代です。
生まれたばかりのアンパンマンに仰天動地の思いでした。
おなかがすいた人を助けるのに、自分の顔を差し出すという行為に、
本当に驚いたのを覚えています。
食べる人も遭難して食べないと死んでしまうという状況の中で 
「ごめんね」と言いながら食べるのです。
人を助けるということは献身と自己犠牲をは避けることはできないと、
やなせせんせいは言います。

「手のひらを太陽に」という歌は不遇だったやなせさんが
くじけそうなときに作った歌だそうです。
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岐阜県美術館

2013-07-24 | Weblog




2013年6月14日から8月4日

やなせたかしと「詩とメルヘン」のなかまたち展 開催中

お近くのかたは是非どうぞ。

帰りに・・・・・

お向かいの岐阜県図書館のカフェレストラン「杏」でお食事してきました。

カレーライスとピザでしたが絶品でした。
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NHKこども科学電話相談

2013-07-22 | Weblog

NHKこども科学電話相談

この番組がはじまって、今年で30年だそうです。
私は仕事を辞めてから聴けるようになったのですが、
ほほえましい子どもの質問にハラハラドキドキ。
先生方が、子どもにわかりやすく説明しようと悪戦苦闘
している様子が感じられてついにんまり。

きょうは、病院へ通院の日だったのでトランジスタラジオを
イヤホンで聞きながら楽しんでいました。


・・・・・・今日の主な質問・・・・・・

カエルを触っていると、大きくなるのは何故?
流れ星は、どうして落ちるの?
星座は、どうして88なの?
玉虫はどうしてきれいなの?
カブトムシは昼間はどうして動かないの?
闘牛の牛はどうして赤い色を見るとこうふんするの?



質問する子どもが小学校高学年なら、かなりのことばや、感情を
伝えられますが、3歳や4歳の幼児に電話で言葉だけで伝える
むずかしさ・・・・
手に汗握る格闘技のようだね。
楽しみ。
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今夜は最高!  裏話・・・

2013-07-22 | Weblog
そうだったのか?

今更わけを知ってがっかり。
大好きな番組でした。グレードが高く、粋でセンスがあって
タモリの持っているものが うまく引き出されていました。


昨今のテレビのバラエティ番組のレベルの低さには
目を覆うものがあります。
芸人やタレントは、それぞれが 素晴らしい技を持っているのに
ただの「有象無象」扱い。
大人は見ないよなあという内容。

ずいぶん前から笑っていいともは見ていないのだけれど
演出家のせいだったのね。


【参考】

日本テレビで、1982~89年10月まで放送されていた、タモリが司会を務めた
トークバラエティコント番組『今夜は最高!』。マニアックながら玄人受け
する番組として、業界関係者からも高い評価を得ていた。
故・美空ひばりさんも出演するなどして、夜11時台の枠にもかかわらず、
視聴率は良かった。

 ところが、87年からスタートしたフジの裏番組『ねるとん紅鯨団』に押されて、
視聴率が低下。同番組のスポンサー筋から「タモリではもうダメだ。
数字は取れないだろう」といった情報が漏れ伝わり、それが耳に入ったタモリは
「だったら、こっちから願い下げだ」と激怒して降板し、番組が打ち切られた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今、笑っていいともが、タモリ降板とか、番組打ち切りとか取沙汰されているらしい。


大人のタモリの番組を作る人はいないのか。
折角の才能を活用しない手は無い。

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風たちぬ

2013-07-22 | Weblog

「風たちぬ」また観てきました。
素晴らしい。
清純な菜穂子、ぼくとつな正義感の二郎の出会いや愛はアニメでしか表現できない気がしました。
全ての風景が細部にまで手抜きのない出来映えで 引き込まれました。
目を閉じれば,どの場面も印象深く目に焼き付いて居ます。
青空、白い入道雲、ああ美しいものでした。


美しい飛行機「零」は 戦争のために作られたのが切ないです。
一機も戻っては来なかった現実。戦争は実に多くのものを奪っていきました。

愛する人も死んでしまった。
それでも、「風立ちぬ、いざ、生きめやも」
生きなければ・・・・
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暑い山形

2013-07-22 | Weblog
山形と言えば暑さで有名ですが、1933年 40.8度 の記録が残っているそうです。昔から「水ままごはん」を食べるとか。
暑い時は氷水でごはんを洗い、漬物を乗せて食べるのが暑気払い。

食欲も無くなるから生活の知恵かも?

それにしても、そんな昔に暑い記録が残っているのが意外。地球温暖化と言われる前から?
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映画 風立ちぬを見て・・・

2013-07-20 | Weblog
感動で 胸がいっぱいになりました。
宮崎駿ならではの、スタジオ・ジブリならではの傑作です。
また みに行きたいと思います。

主人公の二郎は少年のころから飛行機に憧れを持った少年で、純粋に美しい飛行機を
作りたいという気持ちを持ち続けます。関東大震災の日に美しい少女菜穂子と出会います。
・・・・・・・
時代は戦争へ向かい、二郎は時代の要請で戦闘機を設計することになります。
・・・・・・・
日本は何故愚かな戦争をしたのでしょうか?
二郎の設計した飛行機は・・・・・・
この映画は、破滅へ向かう時代に、出会い 生きようとした二人の愛を美しく
描いています。

関東大震災の地面が揺れる感じや、逃げ惑う人々が 実写以上の
緊迫感で描かれています。

また背景の美しさは実写以上の感動でした。
青い空、雲、雨、川、虹、星空、林・・・・・








パンフレットを何度も見て
インターネットで堀辰夫や堀越二郎を検索して・・・・
以下の文章を見つけました。
映画を観る前に読んでください。





堀 辰雄著『風立ちぬ』

篠原暁子

 堀辰雄の結核発病は、19歳の時であった。時に1923年(大正12年)、関東大震災の年である。
災害や戦争があるたびに、日本人の結核死亡率はいっそう高くなったという。
特効薬もない時代、彼は病巣を抱えたまま学業をつづけ、文筆活動に入っていく。

 『風立ちぬ』は、自ら病みつつ、より病状の重い婚約者に付添って信州のサナトリウムに入った
数か月の経験をふまえて、書かれたものである。

 婚約者が実際にサナトリウムに入ったのは、1935年(昭和10年)夏のことで、その年の暮れに
彼女は亡くなった。翌年から少しずつレクイエムともいうべき『風立ちぬ』が書き継がれたのである。

 その1936年は、二・二六事件の起きた年で、これ以後軍部の政治支配力が強化されていく。西欧の詩や
小説を耽読し、その上病弱な堀辰雄にとって、けっして生きやすい時代ではなかった。
しかし、『風立ちぬ』全章を貫くものは、あくまでも清澄なロマンである。抒情の世界である。
感傷的な通俗の甘さとは異質の、日常生活に根ざした抒情なのである。

 『風立ちぬ』は「序曲」から始まる。病気の予兆ははあるが、まだすこやかな様子の若い女性が、
熱心に絵を描く姿が映し出される。そして、まだ少女らしさの残った無心な美しさに、心ひかれる青年(私)がいた。

 何もかも始まったばかりで、「何物かが生まれて来つつあるかのよう」な希望のひとときに、
不意にどこからともなく、風が立ったのである。

  風たちぬ、いざ生きめやも

 不思議な美しさをもった詩句である。どこか不安な風のざわめきに、心をふるい立たせている繊細な魂、
「さあ、何とか生きてみよう」と自分に言いきかせるような、また呼びかけるようなフレーズである。

 「生きめやも」という文語的な表現は、元来は反語の意味をもつ。しかし、作者がフランス語の副題、
ポール・ヴァレリイの原詩をつけているところから、「生きることを試みなければならない」という
直訳の通り、意志的にとるのがよいだろう。生きようとする意志と、その後に襲ってくる不安な状況を
予覚した「いざ生きめやも」なのである。

 さて、堀辰雄の描いた病者の世界が、社会とのかかわりの中でどうとらえられているか。

 婚約者・節子の周囲には父親だけが登場し、「私」の家族はいっさい描かれていない。この大胆な省略は、
あくまでもこの物語が、若い男女の「いざ生きめやも」に収斂されていることを示している。
隔絶された世界ともいえる設定である。

 2章の「春」になると、節子の発病が決定的となり、「花咲き匂うような人生をそのまま少しでも引き留めたい
二人の切々とした様子が描かれる。そして、本篇ともいうべき「風立ちぬ」の章では、信州のサナトリウムが
舞台になる。「普通の人々がもう行き止まりだと信じているところから始まっているような特殊な人間性を
おのずから帯びてくる」サナトリウムの侘しい生活である。

 周囲の誰かれが、具体的に二人を疎外する描写はない。だが、「何度となく山を攀じのぼってやっと
たどりついた」山深い所で、たった二人身を寄せ合う姿は、読者に深い孤独感を呼び覚ます。

 当時の結核患者には、治療薬というものがないため、「大気、安静、栄養」療法が、回復への手引として
示されていた。自分のもっている治癒力にすがるだけの、いつも死が間近にある病い―それだけに二人だけで
ともかくも生きようとする一筋の光の世界を、作者は描きたかったのである。

 しかし、節子の病状は確実に悪化し、青年は自分の書く物語の中でも、女主人公の死を想定するようになる。
それを一方でふり払いつつ、実際に凍てつく冬のサナトリウムでは、死の予覚がついに「死に行かんとする」
婚約者を看取る日々へと移ってしまう。

 あらがうことのできない死に向かって、一歩一歩時が進んでいくように、「冬」の章は
日付入りの文章になっていく。

 小説の中の「私」は、節子の死を認めることができず、直接には描かれていない。
終章「死のかげの谷」で、一人きりになった「私」が、死者を悼む寂しい山小屋暮らしをするが、
そこで、だんだんに現実をとり戻すところで物語はしめくくられるのである。

 『風立ちぬ』は、自らの経験をふまえつつ、普遍的なロマンとして結実しているが、堀辰雄自身の精神的な再生は、
どういうかたちでなされたのであろうか。生涯、病気から解放されることのないまま、小康状態の時は
小説を書いて生活を立ててきたその力は、どこから得られたのであろう。

 作家の中村真一郎が、敬愛する堀辰雄について、「若い日の『驢馬』(注)の同人たちとの交友が、
繊弱なモダニスト作家たちとは違った強さを育てたのだ」、と書いている。『風立ちぬ』のいかにも
モダンな文体を支える一つに、昭和の初期に世の中の変革を願って、実践活動家になっていく中野重治らとの
交友があったというのは、見逃せない。

 生きつづけようとするエネルギーは、自分の感性とはいくぶん違っても、刺激し合える仲間の存在から
得られることを、私たちもまた明るい情報として受けとる。

 私自身の発病は1955年のことで、ストレプトマイシンなど化学療法が普及し始めていた。
死にすぐ結びつく病気ではなくなっていたが、まだ回復には長期療養が必要で、私は高校を卒業するとすぐ
入院をしなければならなかった。

 大学にも行かれず、手に職もないものが、これからどうやって生活を立てて行くのか。
当時、父親もまた同じ病気で家庭療養中であった。生きていくことは、やはり容易ではない環境であったといえよう。

  片虹や病みても生きよと父言いし

 療養中にはじめた俳句の一つである。やや無責任とも思える父の便りに「病気というのは、
人の一生の中で特別なことではない。病みつつ生きていきましょう」とあったのに応えて、詠んだものである。

 結核は克服される病気になった。しかし、化学療法の開発が進むと同時に、より強い耐性菌が現れる。
肺切除や胸部成形手術の際の輸血によって、肝炎を引き起こすといった後遺症は、結核回復者が現在
抱えている大きな問題なのである。人間を襲う病気は、克服されたかと思うと、次の思いがけない
おとし穴を用意する。病みつつも 「さあ、生きてみよう」という呼びかけは、今もなお切実なものなのである。

(しのはらあきこ 俳人)

〈注〉
 『驢馬』=詩に重点を置いた文芸雑誌。詩の尊重と人間の尊重を一致させたいとした。
1926年創刊。当時の同人は、堀辰雄、中野重治、平木二六、窪川鶴次郎、西澤隆二ら。のちに佐多稲子が加わる。

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(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年3月号(第17巻 通巻188号) 62頁~64頁
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雑談力が上がる話し方

2013-07-18 | Weblog
教育学者 齋藤 孝 さんの著書。
雑談力?こんなテーマの本が売れるのか?

今日は 朗読会で会った方とお茶しました。
なんと一時間近く話に花が咲いてしまいました。
自由人になるって素敵。
昔は同じ職場で、いろいろ利害関係があり、それぞれの立場でものを言っていましたが、
今日は同じ時代を生きているものとして、親しい話が出来ました。
姑の愚痴やら、夫の事やら、スッキリしました。
女は雑談力はちゃんと身に付いているのかもね。

TPOにより話を止める意思力について述べようか?
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朗読会  ユーカラ ”いのっこ” 読み語り

2013-07-18 | Weblog
午後は友達の朗読会に行ってきました。
斎藤隆介の花咲き山、ベロだしチョンマ、白猫おみつ、寒い母
みんな読んだことのある絵本や童話でした。

今年、結成7年という ユーカラ”いのっこ”
ひとつひとつの作品を7人全員で交代で読んでいきます。
七人で ひとつの作品を読み分けていくのは 実は難しいと思うのですが、
心がひとつになっているので力強く素晴らしいものでした。

きょうの題材は どれも保育園勤務時に親しんできたものです。
斎藤隆介さんの絵本は、力強い信念を持った男たちが登場します。

他人を想う優しい心が花を咲かせる。
自己犠牲の強い意志は山をも動かす。
八郎潟に沈んだ八郎や皆の為に命を投げ出した三こは
保育園児にも感銘を与えました。

ベロだしちょんまは 私も好きで持っていました。
特に妹を泣かせないようにちょんまがあやす様子
市中引き回しの上はりつけという刑場で幼い妹やちょんままで
殺されたんだった。胸をえぐるようなお話です。

寒い母は、昔読んだ時 不思議な感銘を受けた作品でした。
数十年ぶりにきょう力のこもった朗読を聴いて思い出しました。
結婚する頃に、年老いたら背中を掻き合うのが愛情の形なんだという
この話を胸の奥に畳んだものでした。


二部では 胡弓やダンスが加わり、東北の被災地に思いをはせるものでした。
照井良平詩集「ガレキの言葉で語れ」から
猪子さんが読まれた詩は感動でした。
胸がいっぱいで言葉になりません。

本当に悲惨な災害でしたね。
私達にも今後25年間の復興増税があります。
いかに取り返しのつかない災害かが実感されます。




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奇跡のりんご・ 考

2013-07-17 | Weblog
映画を観た後、我が家の畑を見て、畑も自然の摂理にのっとって雑草と共存ってありかなあと
希望的観測。でも、どれが作物かわからないくらいではダメよねえ。

木村家の家族は、無農薬のリンゴを作るため、全財産をなげうち、極貧に耐えて10年目に
やっと花を咲かせた。

貧乏は我慢できるのに・・・・笑顔を無くした夫の姿がつらいと妻。
家族みんなが心を寄せ合って生きていたのは、あとから思うと不幸ではなかったのですね。

不可能と思われることにずっと取り組む木村の姿は、村の人には受け入れられるものでは
無かったけれど、頑張り続けて花を咲かせ、実を結んだ時の喜びは、皆をも感動させた。

決してあきらめない心って素晴らしい。



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