「大大阪パノラマ地圖」(大正12年)に書かれた福島一丁目界隈。
画面右にある「大学病院」は「阪大病院(大阪大学医学部附属病院)」。
wikipediaによると、堂島浜通に移転したのは大正13年。
その後、1993年に現在地(吹田市)に移転。
跡地は「ほたるまち」になっています。
大学病院の左に流れているのは、蜆川。別名を曽根崎川、梅田川、福島川とも。
江戸時代は近郊農村だった福島区。
明治42年の「キタの大火」(天満焼け)で大きな被害をこうむりましたが
わずか15年ほどで、これだけ建物がびっしり建てこんでいます。
福島駅あたりは「古き佳き下町」と呼ばれますが
「下町」としての歴史が始まったのは、
大火の復興後のこの時期からではないかと思います。
現在は二号線沿いなどにビルが並んでいますが、そこから少し入ると
古い建物が点在する下町風情漂うエリアです。
コインパーキングになる前は何か建っていたんだろうけど
思い出せない…
長屋だったような気がするけど。
福島は市内中心部からも近いし、交通の便も良い。
(昔は国鉄以外にも市電が走っていました)
また近隣には大きな工場があったので
長屋には会社や工場にお勤めのサラリーマン家庭が
住んでいたのではないかと思います。
こんなところに空き地が。
私が子どもなら、ここで絶対遊ぶやろなぁ。
路地(ろおじ)をうろうろ歩くのが楽しい場所です。
ただカメラ片手に歩いていると、変な人と間違われないかちょっと心配。
そういうわけで、できるだけコギレイな格好で出かけるよう
気を付けています。
※「福島区の風景・街並み」
画面右にある「大学病院」は「阪大病院(大阪大学医学部附属病院)」。
wikipediaによると、堂島浜通に移転したのは大正13年。
その後、1993年に現在地(吹田市)に移転。
跡地は「ほたるまち」になっています。
大学病院の左に流れているのは、蜆川。別名を曽根崎川、梅田川、福島川とも。
江戸時代は近郊農村だった福島区。
明治42年の「キタの大火」(天満焼け)で大きな被害をこうむりましたが
わずか15年ほどで、これだけ建物がびっしり建てこんでいます。
福島駅あたりは「古き佳き下町」と呼ばれますが
「下町」としての歴史が始まったのは、
大火の復興後のこの時期からではないかと思います。
現在は二号線沿いなどにビルが並んでいますが、そこから少し入ると
古い建物が点在する下町風情漂うエリアです。
コインパーキングになる前は何か建っていたんだろうけど
思い出せない…
長屋だったような気がするけど。
福島は市内中心部からも近いし、交通の便も良い。
(昔は国鉄以外にも市電が走っていました)
また近隣には大きな工場があったので
長屋には会社や工場にお勤めのサラリーマン家庭が
住んでいたのではないかと思います。
こんなところに空き地が。
私が子どもなら、ここで絶対遊ぶやろなぁ。
路地(ろおじ)をうろうろ歩くのが楽しい場所です。
ただカメラ片手に歩いていると、変な人と間違われないかちょっと心配。
そういうわけで、できるだけコギレイな格好で出かけるよう
気を付けています。
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