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うんどうエッセイ「猫なべの定点観測」

おもに運動に関して、気ままに話したいと思います。
のんびり更新しますので、どうぞ気長にお付き合い下さい。

翼を手に入れた魔法使いが、前人未到の個人種目4つ目の金メダルを獲得

2010年02月21日 | 五輪&パラリンピック
バンクーバー五輪は20日、ノルディックスキー・ジャンプの個人ラージヒル(HS140メートル、K点125メートル)の決勝を行い、葛西紀明が1回目で121.5メートルと2回目で135メートルを飛び、239.2点で8位に入賞した。
 そのほか日本勢は、伊東大貴が117メートルと128.5メートルで20位。竹内択と栃本翔平は2回目に進めなかった。
 優勝は144メートルと138メートルで283.6点だったシモン・アマン(スイス)。アマンはノーマルヒルに続き2個目の金メダルを手にした。
 このほか、アダム・マリシュ(ポーランド)が銀メダルは、グレゴア・シュリーレンツァウアー(オーストリア)が銅メダルを獲得した。

〔ロイター 2010年2月21日の記事より・写真も〕


                              *  *  *  *  *
 

シモン・アマン(スイス)が、前々回のソルトレーク五輪に続いてノーマルヒル(NH)&ラージヒル(LH)の2種目制覇の偉業を達成しました。現在W杯首位の実力を遺憾なく発揮しました。スキーのジャンプの個人種目で4個の金メダルを獲得するのは、今回のアマンが五輪史上初めてです。“鳥人”と呼ばれたマッチ・ニッカネン(フィンランド)も五輪で2大会に渡って4個金メダルを獲得してます。ただ、ニッカネンは1984年サラエボ五輪ではLH、1988年カルガリー五輪では個人2種目&団体の3冠を達成してますので、個人種目のみでは3個ということになります。

アマンは初出場した長野五輪ではまだ16歳で大会最年少のジャンパーでした。次のソルトレーク五輪では2冠を達成します。ただ、当時20歳だったアマンはそれほど国際的な実績が無かったこともあり、誰もが意外な結果と受け止められました。NHで勝った勢いのままLHも制覇。若さと勢いでの2冠達成をした感じがありました。スイスは同じスキーでもアルペンは世界的な強国ですが、ジャンプは盛んではないです。まさに突如現れた魔法使いのようでした。そして、アマンは眼鏡を掛けたあどけないその風貌から「スキー界のハリー・ポッター」と呼ばれました。

しかし、その後は低迷。身長172㎝のアマンは体格も日本人とたいして変わらないこともあり、背の低い選手に不利に働く国際スキー連盟(FIS)のルール改正がモロに影響しました。前回のトリノ五輪ではNHが38位、LHが15位に終わります。その後アマンは見事に復活を遂げます。しかし、アマンは魔法を駆使して復活したのではありません。アマンは元々天性のバランス感覚を持ち合わせてました。地道な努力によって肉体改造を敢行してバランス感覚を更に磨いたのが復活した要因です(五輪開幕前にNHKで『ミラクルボディー』という番組で、アマンのことを取り上げてました)。

その結果、重心が安定して踏切がしっかりし、たとえ不向きな風であっても他の選手より遠くへ飛べる技術を身につけました。普通のジャンパーは風を克服するには、空中では無駄な力を抜いてリラックスするそうです。しかし、アマンは、空中では全ての筋肉を複雑に動かしてスキー板を操って安定した姿勢を保持し、体格の不利を補ってます。この番組で印象的だったのは、アマンは「風は僕の友達」と呼び、さらに「自分はジャンパーではなくフライヤー」と発言してたことです。今回の2冠は、前々回のような若さと勢いだけでの達成とは意味が全く違います。本来ジャンプでは不利であるはずの背の低い選手が、自らの特徴をしっかりと分析した上で、弛まぬ努力をした成果なのです。だからこそ、とても価値があるのです。

今大会はメダル候補をたくさん揃えたオーストリアの連中が、アマンのスキーのビンディング(スキーにブーツを取り付ける器具)が規則に反すると物言いを付けてましたけど、ハッキリ言って負け犬の遠吠えでしたね。しかも、この余計な行為がチーム内で不協和音を生み、個人2種目ではグレゴア・シュリーレンツァウアーの銅メダルに留まりました。まさにやぶ蛇です。ちなみに、アマンは「個人的な問題とは受け止めていない」と余裕たっぷりの応対。今回はアマンが勝つべくして勝ったと思いますし、オーストリアには奢りすら感じます。

今回は優勝したアマンだけでなく、個人2種目で銀メダルを獲ったアダム・マリシュ(ポーランド)に至っては身長は169cmと同じく小柄の体躯です。もう日本はルール改正を言い訳には出来ないと思います。選手の体格の向上も確かに重要ですが、彼らの姿勢を見習った上で独自の技術を新たに開発する姿勢こそ、今の日本に問われているのではないのでしょうか。

それにしても、日本はジャンプの団体戦は大丈夫かな・・・

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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アマンの話 (elinor-marianne)
2010-02-22 17:28:32
 知りませんでした・・・。
素晴らしい努力家だったのですね。

 太字のアマンのセリフは、
そこまで努力して、拘って、メダルまで摂ったアマンが言うと、重みがありますね。

 彼は、友達の背中に乗って、
空を飛んでいたんですね。

 またまた、良い話を、
ありがとうございました。
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コメントありがとうございます (猫なべ)
2010-02-22 20:54:49
こんばんは、elinor-marianneさん

アマンが発言した「自分はジャンパーではなくフライヤー」
漢字で書くと「跳ぶ」と「飛ぶ」の違いなのでしょうか。

アマンは練習の仕方も一風変わってました。
サーカスのピエロが使用するような直径1m近い大玉(バランスボール)を使用。
しかも大玉の上に乗り、立ったまま自由自在に歩いてましたから
こうしてバランス感覚に磨きを上げ、風を捕まえて味方に付ける技術を会得しました。

他の選手は「風を待つ=運に委ねる」といった感じです。
しかし、アマンは飛んでいる瞬間は「夢の中にいるように感じる事がある」とも語ってました。
おそらく自分自身も風と一体化しているのかもしれませんね。

たしかに、今回の日本のジャンプ陣は決して芳しくはありません。
しかし、アマンが勝った事に対しては、素直に嬉しさを感じます。
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