たのしい夢日記

京都奈良寺社巡り・思い出・読んだ本…日々のあれこれを写真と共に。

お花見弁当、翌日京都・東南のお寺・醍醐寺へ。

2012-04-18 00:44:54 | 現実
世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし

と歌ったのは在原業平だが、全くもって3月末から4月にかけてはそう思う。今年は遅かったので4月に入ってからだけれど。

桜と言う花は罪なもので、なかなか咲かないと思ったら、気温がちょっと上がっただけであっという間に満開になってしまう。そして1週間も経てば葉桜。
しかし散り際の美しさと言うものもあるから、場所によっては2週間というところだろうか。
お花見は大慌てでプランするものだ。


日曜日には同居人といつもの「鶴見緑地」へお弁当を持ってお花見に行った。
去年手に入れた二段重ねのお重に詰めるとおいしそうに見える。




ちなみにこれが去年、2011年4月のお花見のお弁当。



これはこのブログを書き始めて間もなく。2007年のお花見弁当。



場所はいずれも鶴見緑地、我が家の近くである。ずいぶん昔に「花博」が開かれたところだ。

お弁当の内容は実は、毎年ほとんど変わっていない。私が「ご飯写真」をよく撮り始めたのは最近なので、写真に残っていないお弁当もあるがいつも内容は同じ。炊き込みご飯、根菜の煮物、卵焼き、鶏の唐揚げが定まり、後は漬物がついたり、菜の花が入ったり、ご飯の内容が違ったり。
今年は珍しく寿司飯でさくらご飯にしたが。

いい場所にあるので毎年大混雑である。

花を愛でるのは世界中ですることだけれど、大挙してお弁当持って花見に行く、集まってバーベキューする、という慣習があるのは日本くらいらしい。大昔から宴会好き、と言われている日本人だけれど、花見は宴会だけでもないし、そう言われて見れば、なんでわざわざお弁当持って花を見に出かけるんだろう?とふと我にかえったりもするのだ。
ピクニック、と言うのとも少々違うし…。


しかしながら、外国人の先生たちなんかも皆、花見に行くのだ。それこそお弁当やバーベキューも楽しんでいる。と言う事は習慣にないだけで、やってみると楽しい、と日本人以外でも思うものなのだろう。

翌日は一人で醍醐寺へ。
太閤秀吉が「醍醐の花見」で北の政所やら側室を皆引き連れて大掛かりな花見をした、という場所であるから、戦国時代が大好きな私は一度行ってみたかったのだ。
しかしここは京都ではかなり東のはずれの方なので、ここを見たら後、行くところは幾分限られてしまうので足が向かなかったというのはある。京都は割に見どころをいっぺんに回れる良さがあるので…。

実際行ってみると不便なところだ。

京阪乗り換え、さらに地下鉄駅まで川を渡って(案の定迷った…ふつう乗り換えというとすぐそばにあると思うではないか)乗り換え、「醍醐」駅についてからさらに歩いてようやく到着、という山の中だ。醍醐山全域が寺域だそう。
しかしこの山の中に凄い人!さすがに有名どころだけのことはある。平日、月曜日にこの混雑、日曜、太閤行列があったという前日なら身動きも取れなかったのでは?という位。

4月9日でまだ七分咲き、というのはやはり今年は遅かったようだ。満開になっている木もあるが。しだれ桜は早く咲くのか、三宝院の名高いしだれ桜は満開で見事だった。
しかしながら桜より人のほうが多いと言う位の混雑、落ち着いて見られないし写真もなかなか、人のアタマ避けてとるのが難しい。
むろん私の様にカメラ抱えている人も相当数いるのだ。譲り合って撮ったりしているが、向かいで撮ってる人が今度は入ったりしてしまう。

おなかがすいたので食事処に行ってみるともう、並んで待っている人がたくさんいるので、仕方なく緋毛氈のお休み処のぜんざいでごまかすことに。

「醍醐の花見」の時も、行列作ってたくさんの人たちが歩いて花を楽しんだのだろうな、などと思いをはせる余裕はなく、とりあえず写真を撮りまくった、という午後だった。
正直いくのは一回でいいかな、というのが感想。



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『お・お・さかレトロ』 坂道、猫たち、通天閣と新世界。

2012-04-11 01:30:09 | 母の記憶
大阪に住んで17年になるが、意外に大阪を見ていない。
どちらかといえば古都、京都・奈良のほうに興味があり、そちらを回る方が多かったという事なのだが。
特にミナミの方にはあまり足を向けていない。職場に近いのに天王寺界隈等はほとんど知らないのだ。



それならば、とカメラを携えてある午後、そのあたりを巡ってみる事にした。

また、この近くには、10年以上前に行くべきだったお寺があるのだ。

一心寺という。ここは浄土宗のお寺だが、宗派を問わず、お骨をあずかり、その集まったお骨を10年分ためて、骨仏(阿弥陀如来像)を作り、安置しているお寺なのだ。 
10年前に亡くなった母がまだ元気な時、一心寺で骨仏にしてもらおうかな、と言っていたのだ。 

「あんた大阪なんだから、パンフレットか何かもらって」と言われてはいたのだが、「骨仏もどうかなあ…」と思い実現はしていなかった。

母の考えとしては、一人っ子の私は北海道には住まないようだし、お墓が北海道にあると面倒かも、という事だったかもしれない。

実際には三笠の菩提寺に納骨堂が出来たので、永代供養して頂けることになったのだが。また喉仏の骨は、本山東本願寺にあるので時折お参りに行っている。

けれど、頼まれていたのに一心寺に行っていない、という事はいつもどこかで引っかかっていた部分があったのだ。

実際行ってみるとなかなか、現代的なお寺。最近はよくお寺でコンサートなどがあるが、ここにはコンサートホールが向かいにちゃんとあるのだ。一心寺シアターという。
骨仏がどんな風なのか、と思っていたが、意外にも境内で誰でも拝めるようになっている。
なんとなく、お寺の奥の方に安置されているようなイメージだったのだが、それは「一心」の心に反するのか。
見た感じ、ごく普通の阿弥陀様に見える。コンクリートでできた、風をイメージしていたのだが、そういう感じでもないのだ。

蝋燭とお線香を供えて、もし母がここで骨仏になっていたらこんなふうにお参りをしたのかな、などと考える。10年ずつ集めるはずだから、すぐに骨仏になるわけでもないのだが。

一心寺から四天王寺へ。四天王寺から坂道めぐりへ。

このあたりは上町台地、大昔からここだけは大阪辺りで「陸地」だったところ、坂道が多いのはそのためだろう。夕陽丘、などというゆかしい名前の付く地域もこのあたりだ。
車の多い谷町筋から一歩入ると、人気のない坂道があるのだ。静かなのに驚かされる。坂道を降りて次の松屋町筋へ出るとまた結構な交通量なのに。 
車を通れなくしているところもあるからだろう。下から見るとヘビのようなので「口縄坂」と言う名のついている坂道もそう。
落ち着いた雰囲気のある一角だ。




ここから少し歩けば賑やかな新世界、二度づけ禁止の串カツの店が並び、放射線状の道々の真中に通天閣がそびえる、というベタに「大阪」な場所。なんだか不思議な午後だった。



 
     

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