たのしい夢日記

京都奈良寺社巡り・思い出・読んだ本…日々のあれこれを写真と共に。

入院記録5

2009-01-19 21:46:20 | 母の記憶
前回入院記録を書いてからちょうど1年が経った。

この季節に書きたくなるのは、母の入院記録がこの時期に一番多く書かれているから、という単純な理由。


この日記には、母のお友達が病院に来られた時の事が書いてある。
その方の苦労話を聞き(私もよくそのお話を聞いていたが)涙した、と書いてある。
自分の病気のことも合わせ、心が寄り添うような気持ちだっただろう。


母にはこの方も含め小学校時代の同級生のお友達が数人おり、時々連れ立って小旅行をしたりして楽しんでいた。気兼ねない幼馴染とのお付き合いがよかったのだろう。
若い頃は店をやっていたので、めったな事では出かける事も出来なかった母だが、店を閉めてからは自由な時間が増え、あちこちに出かけていた。

急に京都にやって来て、私を驚かせようと事前に連絡せずに、京都に着いてから「来れない?」と電話して来た事があった。
その時は母が場所の指定を間違えたので、京都まで出て行った私は結局会えずに仕事に戻らなくてはならなかった、というおかしな事も。

間に合わなくては、と私はあせって嵯峨野の竹林の中の道を駅まで走ったのに、その日母は清水に行っていたのだ。
今となっては懐かしい思い出である。


この日記にも、そのうち近くへ旅行に行こうという事になった、と書いてある。
当時札幌の病院にいた母は小康状態、というのか、先進治療も受け、かなり調子が良くなったように見えていた頃、母自身それからたったのふた月で亡くなる、などとは考えてもみなかったのではないだろうか。



この日記に書いてある方に母が亡くなった旨連絡をした時に私が考えたのは、こんなことだった。

「声が似ているから、『○○です(苗字)』と言ったら、母が電話したと思うかもしれない」などということだった。
実際電話ではよく間違えられたのだ。

結局、「○○です、娘の方です」と言ったのだが、今考えてみれば、「あ、ヒデちゃん?(母の名)」と言われたらそこで「娘です」と訂正してもよかったのに、と思う。
母から電話が来た、と思ったお友達にショックを与えたくなかったのか、それとも私の方がそう言われたら辛かったのか、今となっては、よく思い出せない。

落ち着かなければ、と思いすぎて色々な事に対して心のシャッターを閉じてしまっていたのだろうか。


母の通夜には、幼馴染のお友達がみな揃って来てくださった。

その際か、また違う機会だったかもしれないが、皆で旅行しよう、と少しずつ貯めていたというお金、母の分を返していただいた。

亡くなっていなければ、春にどこかへ桜でも見に行くのに使ったかもしれない。

あれから6年になるが、母のお友達は皆さんどうしていらっしゃるのだろうか。母抜きでも、お元気で小旅行を続けていられることを願うばかりだ。
コメント (6)
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