ピタゴラ「不思議」スイッチ

ヘタレ霊能者朋(tomo)の幼い頃からの心霊体験話をここで載せています。

はじめに・・・

2022-12-21 16:06:59 | Profile
こんにちは。来てくださってありがとう。

朋(tomo)と申します。
このブログは、霊能者である朋(tomo)の心霊実験サイトです。
ここではメインにtomoモードで話をしています。このモードの際は、真理探究の為に、結構罰当たりな実験も考え付いたり、大雑把でテキトーな科学者気質全開で、書いています。普段解決できない事や、ありえない事、表のブログでは瘴気漂うものの際、こちらに記載しています。

また、私が霊能者になる全てのきっかけになった2回目の臨死体験から始まる霊障の始まりがここにあります。言ってしまえば「朋の黒歴史 プロローグ」♪。

摩訶不思議100話、不思議100話はライフワークとして100話完結を目指しています。

一気読みはこちらからどうぞ。

また、霊能者になった朋の表向きのブログは、「北極星に願いをこめて」(右脳のひらめき)で、引き続き次々に出てくる霊障を自力で片付けていった様子が読めます。そして霊能者として伝えたいことを述べています。メインは、「右脳のひらめき」です。
朋の精神哲学、及び霊感霊媒体質、エンパス向けのくっそ真面目なエントリは手直ししてある「北極星を目指して」(左脳のひらめき)で、お読みください。

まぁ、こういっちゃ何だけれど、ここは摩訶不思議を吐き出す、毒吐きブログ。よろしく。

朋(tomo)


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PS:尚、摩訶不思議話には、全て心霊現象には事実を書いてありますが、時と場所等を変えて書いてあるものが若干あります。ご了承ください。

自分にだけ関するものなら事実をそのまま書きますが、現象のあった土地名、自分以外の人の話に関しては、私だけに不利益が生ずるものではありません。他者の権利・尊厳を守るためとご理解ください。

管理しきれないので、コメント欄、トラックバックをクローズさせていただいています。「退屈で眠れぬ夜の奇妙な読み物」としてご使用くださいませ。

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ゴブちゃん

2009-11-05 22:58:00 | 日常で発見する心霊がらみのオカルト現象
こんばんは。tomoです。

あんまり自分は、もう当たり前になっちゃっているので、別に見てもなんとも思わない。だけれど、ここに残したログが、見えた事で不安になる人の、「やっぱ、見えてていいのか」って決定打になるらしいので、引き続き書いていこうと思います。ここは、長い文章は書かない。

で、今日はゴブリン。通称ゴブちゃん。割と色々なとこにいるんです。にょきっと、下から生えてると、そこに躓く人は結構多いんです。先日は、うちの床に生えてまして、主人が、全く何もない平らなところで転んで、靭帯を痛めました。「なんだよぉ」って言って本人は、何もないところだったので、結構気恥ずかしかったようでしたが、ごぶちゃん、生えてました。

ちなみに、ゴブちゃんは、精霊や式神とか眷属とか呼ばれる中の、あんまりいいイメージのないタイプのやつです。精霊とかの話は表でするとして、ゴブちゃんは、日常何気ないところにいて、よく事故が起こるところでお会いする確率が高いです。また、何気に転んだ時、よくみると、ゴブちゃんの頭が半分出てたりします。

また、ここでも書いていますが、ゴブちゃんは結構ゴミを漁っていることが多いんです。で、ゴブちゃんの好きなものは、ピカピカ光るものです。たまに、電気グッズに一目散に行きます。そうして、我が家では洗濯機が四六時中、ゴブちゃんアタックを受けます。ここでも一度、IPODに突っ込んでいったのを目撃し、瞬間でIPODが動かなくなり、その後、tomoは、IPODを新タイプに買い替えしました。友人は、ゴブちゃんをキャンプ場で見たそうです。(ゴミ漁りか滝汗)

ゴブちゃん。お大事に。

tomo

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摩訶不思議 100話 第54話 「登録されていないアドレス帳」

2009-04-27 16:30:48 | 摩訶不思議100物語 & 補足
こんにちは。

tomoです。全く風邪であろうと、死者は待ちません。
***************************************

ホットなので、ホットに行きます。

今朝、熱は下がったが、声が出ないので、それを承知で母に電話をしました。まるっきり、母に電話をする機会もなかったし、今回は、父の墓参りに行くと言う事だけ伝えたかったからです。
で、ひとしきり話をしまして、そして電話を切りました。電話が終わると、通話時間を知らせるように設定してるのですが、その時間は37分でした。

つまり、通話が切れないと、その時間が出てこないのです。

で今回は切ったと。

その後、ふんかふんか、鼻歌を歌いながら、GWに何処かにご飯を食べに行こうと、ネットを見ていました。そうして、見つけた店の予約状況を聞こうと思って、ふっと携帯を握りました。思いっきり音声をOFFにしていたようで、バイブレーションが手に響きました。

「え?電話?うまいタイミングだな。」

そして、携帯を開いてみて、途端固まりました。
自分の現在の姓、それだけと、電話番号は実家の電話番号です。
まず、自分の現在の姓だけってアドレス登録はありません。自宅には主人の母も父も他には兄弟もいるわけで、かなり深刻に実は「フルネーム」で入っています。
で、大体、隠し電話番号じゃないし、母の電話を自分の姓に当てる事もしません。

まぁ、しかし、電話を切りそこなったのかと思い、出てみたんですが、

「なしのつぶて」でした。

大体、電話を切っていなきゃ、もっと違うメッセージになります。なもんで、ここで、もう一度アドレスをくまなく探したんですが、そんな登録はありませんでした。

「すげー。霊もハイテクの時代か。」
そう思いながら、履歴を見ると、履歴にはありません。あざやか、お見事、多分電話代請求も母には行かないと思います。

「流石電気の帝王」と思って、眠くなかったんですが体を思って寝ちゃうことにしました。耳にIPODからのヘッドフォンをつけ、寝る予定でした。

「うひゃぁ、煩すぎる!!!」

私が青ざめて飛び起きたのは、それからほんの5曲の後でした。
あまりに、ヘッドフォンから人の煩わしいまでの大声での「がやがや」が聴こえてきて、煩くて眠れないのです。

まぁ、昨今は豪胆ですから、「煩いBGMはいらない」とそのまま、IPODを切って寝ました。別に何とも思いません。人が頭の上を歩き回るような煩さが気になったのですが、基本的に私がそういう時聴く音楽は、イージーリスニングなんですが、どうやら、眠くなかった私も、ヘッドフォンをつけて、眉間に圧を掛けたら、俊足で寝たらしいのです。で、その後たたき起こされた・・・と。

そのままIPODも外し、寝ていました。
やっと現れたのは、夢の中でした。冷たい冷たい目をした男の子でした。多分相当びっくりするであろうその表情に、自分では思いました。

「これを受け止められない器量の自分なら、霊能者失格で良し。」

なもんで、鳥肌も頭のてっぺんもゾワゾワしましたが、瞬時に収まり、相手の話を聞けることになりました。聞くと、300万持っていて、妹との生活の為に株をやったと。で、騙されて無一文になったと。

瞬間的に、「自分で勉強しないからじゃん。」と言葉がついて出ました。「普通は1000万からつぎ込むとある程度利益は上がるけれど、生活費のとは言え、何でそこで株なのか。」と聞き返しました。本人はさっきと違いうなだれていました。

「私だって未だかつて、株はした事がないよ。で、株なんて、子供することじゃないだろう。どういう仕組みか勉強しなよ。騙されるのは、自分に悪いことはないんか?」

そう言うと、男の子はうなずいて、「自分が悪かった」と言いました。
「まー、あんただけが悪いんじゃないよ。保険も、株も、宗教もみんなそんなもんでさ、全部同じようなもんだよ。まっとうに働けば良かったんだけれどね。」

で上がっちゃったんです。

で、私はてっきりさっきの電話は、父だと思っていましたが、どうも違いました。それに、首から下のない骨男がずずずっと進んできたりして、「あーぁ、だから、電車の移動は何でも拾うんだよな」と思いながら、日に当たって居眠りをしていました。

先ほどの男の子は、下の息子を動かして、眠っている下の息子がいきなり起きて、ガチャガチャやっています。で、本人は、甘いグミの入ったビンを見つけ、一生懸命開けて、そうして、グミを食べて「凄く甘い。美味しい。」

そう言って今度こそ上がっていきましたとさ。

あのさ、アドレス帳をワンタイム即時に作ったって点で、君は、今まで一番のぴか一の「ハイテク霊」だったよ。しかも、通知不可能とか、公衆電話のコマンドじゃなく、ダイレクトに私の姓で、実家の電話番号。いいとこ、考えたね。
まぁ、今までになく、凄いって事で、グミ食べて幸せになってお母さんのとこに、上がれよ。


こういうことしょっちゅうされると、息子の虫歯が気になるけれどさ、母として。まぁ、ワンタイム。ありじゃないの。

tomo

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摩訶不思議100物語 第54話 「桜が咲く頃」

2009-03-14 18:38:57 | 摩訶不思議100物語 & 補足
こんばんは。

働いていたところは、青山墓地の横だった。
桜が咲く頃、私は会社に疲労しきって、おいしいご飯屋を探して歩いた。すると目の前に、鶯色に桜の絵の描いてある女性が歩いていた。年配の方だった。
その方が、墓地をかいくぐってひょいひょいと、私の前を歩く。私が余所見をしていると、とまって待っていてくれる。
何だか分からないけれど、休み時間までに帰れるようにご飯恵んでくださいってツブヤイたら、おばあさんは、とある店の裏に入った。

なぁんだ。ここのお店の人か。

そう思って、その店に入った。鳥を焼いて香ばしい鳥をそのままパスタに乗せてキャベツと一緒に出してくれた。美味しかった。穴場なのかお客さんは少なかった。お客さんの半分はこの世の人ではないのは知っていたけれど、墓の横だから。そう思った。

帰り道、急におなかが下る感覚があって、そのまま会社のトイレに駆け込んだ。おなかが下った。それだけじゃない。

口から、かなり多い量の茶色い鉄のような味のするものを吐いた。2時間くらい篭った。途中で眠気も襲ったが、がんばって吐いて、そしておなかを下した。水を飲んだ。飲んでも飲んでも出てくるのは、茶色い色の何だかねとねとしたものだけだった。血かと思ったが、違った。お腹からは、随分変なものが出た。長い長い寄生虫かと思うように長いものが出てきた。後日兄に訴えたら、それは食物のスジだろうと言った。納得できなかった。長いまま、2メートルはあった。白くなかった。動かなかった。会社の健康診断では、虫はいなかったのがその前の年の9月だったから。ながいなぁって思って見とれてた。

店が悪かったのかなと思った。
その翌日の朝、心身ともにすっきりした中で、急に人事部長から、呼び出しを喰らい、沢山の墓場までの守秘義務に判を押す代わりに、莫大な慰謝料とともに、会社を辞めることになった。すんなりやめられた。

今では、それでよかったんだと思っている。
ただ、あの店は、二度と見つからない。

tomo

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摩訶不思議話 100話 第53話 「樹海」

2009-03-14 18:17:23 | 摩訶不思議100物語 & 補足
こんばんは。

若い頃、自殺しようと思って樹海に行ったことがあります。かなり何度も。バイクで近所まで行って、バイクを止めて入っていく。トレッキングの服装は、親が高尾山などを週一回登らせる事などをさせていたので、問題はなかった。

至る所に看板があった。

自分に酔っ払って、「さよなら自分」とつぶやいていた。
しかし、よく奥深くまで入れるように、途中の木に目印で、マーカーをつけていった。無論、死ぬ気だった。

しかし、有名な入り口から入ったのだが、とても清清しかった。ここで自殺する人はこの清清しさで、心を洗われるんだなと思って、逆にいい意味で自殺ゾーンだと思っていた。
幾つか、踏み込んでいくと、洞窟もあった。幾つか踏み込んでいくと、奥のほうに神様の社があった。
供養塔かと思った。しかし、兄の言うような汚さなど何一つ泣く、落ち葉が落ちているが、なんとも散策地帯で、ここで死んでいいのだろうかという疑問があった。

私はこれは、一般の人の散策路だろうと思った。だから、コンパスを手に闇雲に進んだ。コンパスがぶれるとよく言われているが、ぶれたことはなく、そのまま北は北を指していた。

で、何度か奥まできたと思うと、そこの木に赤い目印がある。勿論さっき自分でつけたのだ。じゃぁと思って西に向かってみる。ズンズン山を登る。そこにも赤い目印がある。「え・・ここも来たんだ。」

だんだん一日が暮れてきた。情けなくなった。死に場所ひとつ見つけられない自分が何だか情けなかった。そして、随分上まであがった時、「帰れ!!」という声が聞こえた。

「冷や汗が出た」普通のパトロールさんに見つかったんだと思った。有無も言わさず、そのままがけを降りてきた。一時間以上降りたら国道だった。

バイクの置いてあった方面とは全然違う場所に出てしまった。道々に、「赤い目印」が合ったのに。

で、帰りに、こっそり御茶屋のおばちゃんに聞いてみた。
「樹海ってどこで皆さん自殺するの?」

おばちゃんは怪訝そうに私を見て答えた。

「この茂みの少し上。1キロくらい。行けば黄色いテープ張ってあるよ。」

「なかったよ。おばちゃん。何にもなかったよ。きれいな山だったよ。途中に祠があって、その後、誰かパトロールさんから「帰れ」って言われたんですけれど。」

おばちゃんは、私の顔をよく見た。そして言った。

「あんたは自殺者に呼ばれなかったんだね。普通は入ったら、みんな同じ所にたどり着くんだよ。あんたは・・・・」

「ただ散策して終わっちゃった。」

「死ぬ気があったんのかい?」

「ええ。」

「じゃぁ、断られて中に入れてもらえなかったんだろうね。まだ、死ぬ時期じゃなかったんだよ。」

そうなんだ・・・・と思って家へ帰った。あの社は一体何を祭っているのか、あの声は誰の声だったのか、そういえば、足音ひとつしない状態の山だったなぁなんて思っていました。

今では、負のけっかいを張っている町自体に入れなくなっています。
ある意味ネガティブという招待状がなければ、逝かれないのかも。

すみません。私、あの時、ここで自殺できなかったら真剣に、生き様と思っていました。
その自殺者の作る負の結界に入れてもらえず、丁度秋のいい富士山散策をして返されてしまったんですね。(滝汗)



tomo

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摩訶不思議 第52話 「ホテル」

2009-03-14 17:43:48 | 摩訶不思議100物語 & 補足
こんばんは。

tomoです。

若い時、女の子と一緒にドライブに行きました。
職場で知り合った友人でした。そして、二人で散々八ヶ岳とか出かけた後、問題は中央高速が目茶目茶混んでいました。午前12時頃まだ、自分たちは、何と甲府を越えていませんでした、なので、何とか焦りつつ乗っていたんですが、仕方なく、初狩パーキングエリアに止めて寝ようという事になったんですが、その車内の窓を真剣にのぞく変なおじさんがいました。友人は気持ち悪がったので、もう一度都内目指して帰るところが、所が夜中の一時過ぎても大渋滞。

仕方なく、いったん降りて、どうしようか考えたら、友人が石和にあるホテルで泊まろうと言い出しました。断っておきますが、彼女とは友人です。

石和の方面に走って、最初に見つけた所に入りました。一室だけ明かりのともった、部屋のパネルボタン押しても、なんとも言われなくて、そのまま押して入りました。

入ってから、違和感がしました。
違和感は程なく的中しました。

友人がいきなり、お風呂にお湯入れたよ。一緒に入ろう?と言い出してきました。その友人は、そんなになまめかしいタイプでもなかったんですが、その時点で凄く艶っぽくて、何だか断れない雰囲気がありました。でも、実際のお風呂は、重なり合わないと入れないんです!!

で、躊躇している私を、彼女が「声色」が変わってまで、手を差し伸べてきた。その時のしゃべり方は既にいつもの彼女の、「だよなー」とか「だっせー」ってな言葉遣いじゃありませんでした。

「来て。恥ずかしいですから。」
「いや、二人入れないよ。薄いから。」
「じゃぁ、のんさん、私の下になってくださいな。私あなたの上に乗ります。」

・・・・・・・・のんさんって誰よ?って突っ込みもなく、その艶っぽさに一瞬わが身が女性であることを忘れるような色香があったのです。で、服を脱がしてくれる。そして、目線を下に向けながら赤い顔で、

「のんさん、お先に入ってください。」
「薄いしさー、あなた私より体重あるぜぇ」

そんな私の精一杯の冷やかしに、きつい目線を投げつけられて、その人と風呂に入った。

何というか、その風呂場自体、いつでもピッチャンピッチャン音がする。

「蛇口閉めていなんじゃないの?」と聞くと彼女は、ほんのり上気した顔で言った。
「私じゃご不満?私ずっとのんさんが好きでした。こうしてお誘いするのも、今だからです。気持ち分かってくれませんか。」

下手なポルノ映画よりひどいもんだった。憑かれている友人が、いきなり私の体を触り始め、私の手をもって、自分の体に誘導した。

「いかーーーーーーーーん。」
流石に脱兎さんスイッチが入った私。けれど、もうその女性(今は友人ではない)は、私に両手をかけて、うれしそうにしなだれている。
あぁ、これどうやって逃げたらいいんですか。神様。ここ、やばいホテルなんですか?ってか、どうしたらいいんですか。

彼女はひたすら自分を触ってほしがった。いや、遠慮して湯船から出て体を洗い出した私に、猛烈なアタックが来た。正直に言えば、友人の普段のキャラを知っているだけに、この豹変は、まったく違うものだろう。というか、うかうかしていると、実は私が乗り移られそうな気配があった。

そう。完璧男になっちゃいそうなそんな意識が入ろうとしていた。私は、体を洗い、女性を風呂場に置き捨て、そのままベッドに入った。しかし、ベッドに入ってきた彼女を見て、驚愕した。

「顔が・・・・顔が違うよ。」

「のんさん。お願いです。情けをお願いします。」

「うへぇーー。」

脱兎さんスイッチ、マルチターボを押したのはその時だった。
疲れとかどうでも良かった。すぐにその子に服を着せ(服を来てた方が何だかムードでるなぁ等おだてて、服を着せた。断固パンツは履かない。しかし、スカートをはかせて、私も着替えた。その際に、風呂場から、赤子の泣くような、猫の発情期のような声が聞こえた。

「いけねぇ、これ、分けあり物件だ。」

私は、パンツはいていない友人であろうはずの、その女性を引っ張り、そのまま部屋を出た。四六時中甘い言葉を耳にささやいた。そして、会計をしようと思ったら、会計がシャッターが下りていた。私は、やられた、呼ばれたと思いながら、彼女を引っ張って車に乗せ、そのまま後ろも見ずに走り出した。「彼女は抱きかかえられながら、「愛している」等と口走り、友人の面影は全くなかった。私はこの人が本当に友人ではないわけはないと思っていた。彼女の左腕のあざはそのままだったからだ。彼女は執拗に私に触れてきた。

「憑依しちゃったんだ。」私はエンジンをかける時、あまりに掛からないので、繰り返しつぶやいた。「遠くにいく。朝日を見る。遠くに行く。朝日を見る。」ずっとつぶやいた。

高速に再度乗って、何とかスムーズに上野原まで来て、そして、小仏に来た途端、

「彼女の顔が友人の顔に戻った。」そして、朝日が差してきた。何だか涙が出た。

彼女は、聞いてみると初狩で寝ていたらしい。そこから意識がなかったそうだ。で、どうして自分がパンツを履いていないのか不思議がった。私は取り合えず言った。

「覚えてないかもしれないけれど、談合坂のトイレで失敗したって言ったじゃん。だから、その時脱いで捨ててきたんでしょう?」

納得した彼女を見ながら、心の中は、冷や汗だった。
一体どっちが呼ばれて、車に張り付くおじさんを見て、シャッターがさびていたあのホテルに行ったんだろうか。どっちが憑依されていたんだろうか。

朝日がさす中で、私は、もう二度と女性と二人でラブホテルに入る関係がない事を切に祈って、そのまま自宅まで突っ走った。

持論:女性と二人きりでもラブホテルを簡易宿泊にするのは問題がある。


tomo

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摩訶不思議100話 第51話 「まさかの小坪トンネル」

2009-01-08 22:14:06 | 摩訶不思議100物語 & 補足
こんばんは。

まぁ有名な心霊スポットに小坪トンネルってのがあります。
若い頃なんか、サーフィンに行くのに通らずにはいられないトンネルで、確か新倉イワヲの世界でも、私が小学生の頃に取り上げていたような気がします。相当にショックだったから。しかも、鎌倉には大叔父がいて、葉山にも住む大叔父がいて、正直逗子隧道なんか通らずにはいられないんだけれど、だけれど、どういう訳か、今まで「視たことがなかった。」

親に泣きましたね。「逗子隧道って書いてあるよ、ここテレビで出るって言ってたんだよ。おかーさん、引き返そうよぉ」けれど、親はまた、新倉イワヲにたぶらかされたかと思ったらしく話は聞いてくれません。結果、私はどういう訳か、親指を拳骨の中に入れて、「とにかく親だけは連れて行かれないようにしよう」と思っていたりしたんですがね、一回も視た事は本当にありませんでした。ですから、その時から私は、ちょっと疑っていましたね。

サーフィンに行って、足を捉まれても、やっぱ怖いものは、海の帰りの男の性的誘惑。水着姿を見て、うるさいのは男だけ。で、まぁ何度通っても別に視た事はありませんでしたね。

で、昨年の最初位ですか、買出しに行くのに逗子隧道から名越を通ったんですよ。いつもどおり。それで、何にもなくて子供もうるさく言わなくて、買出しから帰って翌日、初めて車の下にオイルだまりを見つけました。
瞬間、「昨日、もしかして何かを踏んだとか?」と思いまして、元々ジャッキがあるので、ジャッキアップして、少し上げてちょっと苦しくなった心臓でぜぇぜぇ言いながら、下にもぐりこんだんですね。で、見たら、穴も開いていない。どこから漏れたんだか分からない。

なわけで、いつものピットに持っていったら、ピットの人が言うんですよ。

「これ、エンジンオイルのとこに穴が開いたんじゃないですよ。で、思うんですが、エンジンをはずしてみた所にパッキンがあるんですが、それの故障かも。今なら、ディーラーさんで見てもらえば、まだ無料ですよ。」

と言われ、とてつもない大雪の日に、持ち込んだ私。

大雪を見ながら、寒いなぁと思っている私にまさかのディーラーの話。

「エンジンをはずしてみないと分からないんですが、パッキンが変なんでしょうね。まだ乗ってもすぐにエンジンオイルが全部出ちゃうわけじゃないんですが、台車の手配をしますので、それまで待っていてください。エンジンをはずさないと、あのパッキンを確認できないんです。」

そうして、ある日やっと修理の日が来てディーラーに持ち込み、そして台車を借りた。いつもながら、台車は乱暴に扱われている。まぁどんな荒くれた車でも乗りこなすつもりがあるが、台車は事故暦も分からないから、最初はアクセルを吹かして、ふつうにハンドルを固定して行くと、「どっちにいくか向きがあるかどうか」だけ確かめる。以前乗ったもので、どうしても、「ハンドルをまっすぐ持っていると、右側に向かって行く車」があったからだ。

そして台車を返しにいき、受け取った自分の車で、驚愕の事態を知ります。

「あのー、エンジンとか取り外しないですよね?個人では。」
「ええ。買ったのも日産のディーラーから買っていますし、ついこの間買ったばかりですし、前のオーナーは2万キロで手放していますし。フル整備してもらって、買ったんですよ。なんかあったんですか?」

ディーラーさんはまずそうに言った。
「エンジンのとこのパッキンがですね、熱で溶けたとか考えにくいんですが、一切なかったんです。今までお乗りになっていれば気がつきますし、エンジンを取り外さないと、あのパッキンには手が届かないんですよ。それが、ないんですね。パッキン自体が。誠にもってすみません。」

私は不思議そうな顔で言いました。

「でも、それまで半年無事にオイルも漏れずに走っていたから、最初から不良品だった可能性は低いですよね。まぁ、いいです。取り付けてもらったんなら。ありがとうございました。」

相手はすまなそうに不思議そうに言いました。

「すみません。熱で溶けるような季節でもないのに。全く不思議ですが、直しましたので、問題はありません。」

私はそうして自車に乗った。その時、あぁそう言えばあれは、「小坪」を通っていった時だったけな。熱かったな、一瞬だけ。
でも、あそこはいないはずだよ。んなわけねーだろ。

ねーだろ。

ねーだろ。

うーん。どうなのかなぁ。

毎度ディーラーに行くのがめんどくさいから、今度から小坪を通るの「なし」。

それでいいじゃん。


それから、私は何かの用事のときに決して通らなくなりました。鎌倉も行かないし、行こうとすると、止めろといわれる。事実、墓を材木座近辺のお寺にするか増上寺にするかで迷ったとき、先祖の意見は増上寺だった。
まぁ、あそこじゃなくても、時折はあるさ。
だけど、それで命とられなかったんだから、いいとして、二度と通らなきゃいいんだよ。

ってことで、私の中で以外にあっさりとルートマップに、逗子隧道を通らないルートが刻まれましたとさ。


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摩訶不思議100話 第50話 「ホワイトアウト」

2008-12-29 23:47:02 | 摩訶不思議100物語 & 補足
こんばんは。

ここでは、普段のおちゃらけた成分が98%入ったtomoモードで進めております。しかし、内容はマジです。

******************************************************
それは、まだ私が穂高山麓に連れてきてもらえた年の冬だったと思います。兄と私で、あずさに乗り、祖母の家に行きました。当時はまだ、改築もしておらず、土足のまま祖母たちの部屋に行くことが出来ましたし、竈も本格派竈で、そりゃ、殆ど土足でした。農家ですからね。有難かったんだと思います。

私が、異変に気がついたのは、ある夜でした。
冬はコタツをつけて、四方から足を突っ込んで寝ます。そのコタツの中には練炭が入っていました。今考えると、危ないですが、当時はそんなもんで、足だけ突っ込んでぬくくなって、布団で寝るんです。家全体を暖めるという概念はありませんから、未だにあそこの家は改築しても、立派に「エアコン」無しです。

夏の暑い盛りをエアコンなしで過ごせるということは相当風通しがいいのですが、昔の家では、大きな雨戸を閉めて歩きました。そして、家の前には凄い送り主にいわくのある石が置いてあるんですが、従兄弟にとっても私にとっても、兄にとっても、そこは「乗り物」でしかありませんでした。

それが小学校1年か2年だったと思います。ある冬の夜、初めて二人で招待されて兄といったのですが、そのあずさに乗った後、どういうわけか、乗り換えた先の大糸線では夕暮れでした。着いたころはとっぷりと日がくれ、私は大糸線のある駅辺りから、同じスピードで駆けてくる人をぼんやり見ていました。

「早いなぁあの人。まぁ、この電車遅いから。」

特急あずさに乗れば大糸線は確かに各駅停車で遅いでしょうけれど、その時は何も疑問に思いませんでした。そしてついて、祖母たちに挨拶をして、寝る準備が整って、寝付けないときにふと声が隣の部屋でしたのです。

「tomoちゃん。おいでよ。tomoちゃん。」

私は、少々そのコタツに足を突っ込む寝姿に疑問を持っていて寝付かれなくて、ふと気がつくと、みんな寝ていました。兄も、念のためと称した叔父も寝ていました。

なもんで、こっそり、その部屋に行きました。すると、その部屋は玄関の大広間でした。そこには誰もいなくて、声は外から聴こえました。私は、そのまま、誘われるように外へ出ました。鍵は捻ってねじ込んでいくものだったので、鍵を開け、ちょっと隙間を作って外に出ました。寒かった。寒かったのでどうしようかと思ったその目の前には、沢山の人がいました。

みんなうつむいていました。顔色が白くて、どうしたんだろうと思いました。登山のような格好をしていました。私は、何を考えたのか、「この人たちは、これから山に登りに行くんだ」と思ったのです。

「行くんだね。行ってらっしゃい。」と言いかけた時、一人の人がこちらを向きました。猛烈に白い顔で、まぶたが凍っています。父の持っているロシア音楽のレコードに厳寒地帯に行くとまぶたが凍るという写真が載っていました。外って凄く寒いんだなと思いました。

「tomoちゃん、山に行かない?」

と誰かの声がしました。

私は咄嗟に「明日なら行けるよ。けれど、今日はもう寝るの。お休みね。」と答えました。何も考えていなかったし、素直にその言葉を言いました。

「そうなんだ。行かないんだ。tomoちゃん。一緒に山に行こうよ。」

かなりその時に短気だった私は言いました。

「私、行けないの。だって叔父さんがいいって言わないし、寝ているんだもん。一人でいなくなったら怒られるもん。」

「tomoちゃん。じゃぁ、私たち行くよ。けれど約束して欲しいの。遭った事、誰かが知ったら、必ず言って伝えて。有明神社にいるよって。」

「え?行かないで神社で寝るの?」

「tomoちゃん。私たち困っているの。山に行ったきり帰れないの。」

私はその時寒くて眠かったので答えました。

「分かった。明日おばあちゃんに言っておくね。じゃぁ寒いからお休み。山がんばってねー。」

そう言って私は、目の前の沢山の人を見て手を振って、引き戸を閉めて鍵をかけてそのまま布団に入って寝ました。

その晩、こんな夢を見ました。

自分が冬山を歩いています。けれど、いきなり吹雪になってしまった。どうしよう、どうしようと思いました。その瞬間、真っ白な吹雪が舞い上がった後、私は山ではなくて、広い原にいました。倒れていました。自分の周りを即座に見ました。どこから来たんだっけ?
しかし、その原は、広く、私の足跡は何一つ無く、ただただ、太陽も無く白い平原でした。どこへ行ったらいいの?どこから来たの?どうやって家に帰ればいいの?
さっきまで登っていた山はどこに行っちゃったの?私どこまで飛ばされたの?
どうしたらいいの。おなかすいたな。食べるもの無いかな。あっ、背中の荷物も無い。私、食べるものもないんだ。どうしたら、帰れるのかな。山に登っていた山はどこなのかな。空も地面も真っ白で何も見えない。お母さん。おなかすいたよ。お母さん、寒いよ。おとうさーん。おにいちゃーん。涙でた。あっ痛い。涙凍るんだ。そうだ、さっきの人凍ってた。涙出しちゃいけないんだ。ここ、どこなんだろう。わかんないよ。わかんないよ。どうしたら出れるの?なんだか苦しいな。寒いからかな。頭が痛いよ。おかあさん。寝ちゃってもいいのかな。段々眠くなってきたんだよ。お母さん。ここどこか分からないし、足が痛いの。でも、眠くなっちゃった。おかあさーん。でも眠いし頭が痛いからお休みなさい。

その時、私の寝方に異常を感じた叔父が即起きてきて私を強引に引きずりました。私は、練炭の入ったコタツの中にもぐりこんでしまったようでした。苦しくて、寒くて、何も見えない。泣きじゃくる私に叔父が言いました。朝になるよ。tomo。朝だよ。tomo。少しだけ頑張って息を吸ってごらん。

そしてその日のうちに祖母の前に連れて行かれ、私は祖母に見たことを打ち明けました。「有明神社に連れてって、おばあちゃん。みんな凍えているの。寒いの。」

祖母は、顔が青くなって、そうしてしばらくトラクタに乗せられて連れて行かれたのが、有明神社でした。その時私は腰を抜かしました。沢山のあの晩の人がそこにいたのです。祖母は黙って黙祷して、私に黙祷するように言いました。

「あの人たち、声出さないんだよ」と言うと、祖母は黙って言いました。

「みんなは寒すぎて声が凍ったんだよ。大丈夫だよ。春になれば、必ず見つけるから。そうして、家に帰してあげるから。だからtomoは、ちゃんとお祈りをしなさい。ちゃんと言いなさい。自分はまだ子供で何も出来ないんだと。連れて行かないでくれと。」

「ちゃんと断ったよ。」

「ばか者。練炭の中にもぐりこんで何を言うか、お前は。」祖母は、一生懸命その後、黙祷し、呟いていました。「この子は連れて行かないでください。お願いします。春になったら約束します。だから、今この子を連れて行かないでください。」祖母は一生懸命泣きながら祈っていました。

すると大勢の人が、そしてその神社の裏手の上り口に行き始めました。ひとり消え、一人消え、そうして、みんな消えました。最後に「tomoちゃん。一緒に行けなくて残念だったけれど、おばあちゃんに伝えてくれてありがとうね」という声を残して。

私はその晩から、コタツ組をはずされ、単品で湯たんぽを足に入れてもらって寝ることになりました。祖母と祖父とがいかめしい顔で話をしていました。そうして、いきなり餅つきが始まって、私はお餅を臼と杵でついてもらって食べて、当初の予定通り2泊3日で、目黒の家に帰りました。

母は涙ぐんでいました。父は、帰ってきた私を、抱っこしてくれました。でも、誰もそれ以上言いませんでした。

それから、私は決して冬山のときには祖母の家に呼ばれなくなりました。春先になって呼ばれるようになりました。

私は、その後祖母が何をしたのか知りませんが、祖母が母に電話で、「あの子の感受性の鋭さには冷や冷やする。あの子はきちんと育てなければいけないよ。」と言っているのは知りました。お金が無い家だったんですが、普通の家でもあまり電話が無かった時代に、家には電話がありました。

けれど、あの時叔父が気がつかなかったら、私は練炭の中で苦しくなって亡くなっていたのかもしれません。呼ばれて断ったつもりではいたけれど、連れて行く気はあったのでしょうか。

あの時の祖母の真剣な顔は忘れません。そして、あの時見たホワイトアウトは、私の中で恐怖心として残り、結果的に、主人の弟に苗場に連れて行かれるまで、私はスキーを拒み続けました。父も母もスキー場に連れて行こうとは決して言いませんでしたし、スケートは代々木かどこかのスケート場だけでした。

冬山で無謀な登山をする人が多いです。あの瞬間を、明晰夢に一度見れば、そんな気が起きないだろうなと思います。ホワイトアウト。真っ白な空と陸の境も無い、ただ白い世界。足跡も、行く先も分からぬ世界。あの銀の世界に取り残された時、寒さで麻痺し、眠くならなければ、人は確実に狂気にさらされるでしょう。

tomo

ちなみに、私はついでに行き倒れて、遠くに灯りのともった家があるのにたどり着けずに凍死するといったビジョンを夢に見たことがあります。それも祖母の家でです。山は不思議です。

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摩訶不思議話100話 第49話 「ブリザードに鳴る鈴の音」

2008-08-09 17:10:04 | 摩訶不思議100物語 & 補足
こんばんは。

tomoです。しつこいですが、このモードの時は霊能者ではなく、単なる霊感体質のおばさんとでも思ってください。

*******************************************************
子供が生まれる前にスキーに行きました。
主人と喧嘩の仲直りに組んだスキー旅行で、主人はあまり体を動かすことを好きな人ではなく、静かに本でも読んでいるタイプです。ですから、テニスに誘ってもあまり、私と対等にテニスはできませんし、どういうわけか、二人コンビを組んだときは、彼を後方にするのではなくいつも、前方に置いておくと、走らなくて済む分、彼氏は結構、高いところにあがってきたボールでも、ジャンプして、ジャンピングスマッシュを強烈にかまします。
後方の私ですが、球は、一ゲーム中、3回位くれば御の字です。彼氏が捕りきれないボールだけです。

で、これが、軟式だったか硬式だったかで、前方、後方が入れ替わると、とんでもないことになります。主人は後方になると、走ってボールに追いつくのが関の山で、相手のコートに返すだけの力はありません。私は、ジャンピングスマッシュと言えど、主人とは身長が17センチは違いますから、飛ぶ高さが違います。

勿論、これは、彼氏が、卓球だと凄いやつだと言うのもうなづけるでしょう。ですが、卓球ですと、私はものすごく速い球をスライスして送るのと、亡父譲りの、小手先の技術が得意なので、あまり一緒にやっても何も続きません。

まぁ、そんな事は置いておきましょう。
ひとつだけ言えば、主人と私は、同じときに苗場のスキースクールで初めて習ったのですが、主人は基本を覚えるのがうまく基本に忠実ですから、すぐ基本形を覚えてしまい、上達します。しかし、どういうわけか、同じ先生の話を聞いているにもかかわらず、私はやりながら覚える派なので、聞いても分からないのです。んなもんで、実は、私こそあまりうまくありません。

そんな私たち、何度か日本で出かけ、アメリカはユタ州のソルトレイク近辺の山にまで行きました。しかし、一緒に出発しても、必ず彼氏のほうが早いのです。スピードも速いですし、きちり、ターンが決まりますし、彼には転ぶというロスはありません。ですので、いつも私は、彼氏の持つ鈴の音を聞きながらどの辺で待っているか考えながら行きます。

しかし、いつもいつも不思議だったんですよ。友達と行っても、主人の弟たちと行っても、どういうわけか、私、いつもコースを走っているつもりなんですけれどね、時折どこか違うところにまぎれてしまうんです。そんなもんで、最後のときも主人は鈴を持ちました。

その時は、吹雪でしたね。
その中を本当に主人の鈴音を聞いて、大体の距離感を図って進んでいきます。ですが、その途中、どこからか、


「おーい」「おーい」


という声が聞こえたんです。

主人だと思いました。しかし、「なーに?」「なんなの」と聞いても主人から返事はありません。でも、鈴の音は聞こえないんですが、


「おーい」「おーい」


とは聞こえるんです。

まさか、主人が転んだのかしら。でも、自分の先に走った主人の滑走の跡はどんどん消えていきます。そして聞こえる

「おーい」「おーい」。


私は、主人がひねったんだと思いました。だから、鈴じゃないんだと思いました。

思い切り方角を変えました。そこでターンの予定を変えて、もう少し森林のほうに向かったのです。

「おーい」「おーい」

という声はどんどん大きくなります。私も、「大丈夫?」と言いながら、つたなく滑ります。

その時、「がこっ」といって、私が瞬時に普通に滑っている中で転びました。私のスキー板は片方外れ、どんどん先に滑って行きます。「まずい。あれ、履きに取りに帰るの大変だわ。」と思いながら、転んだ拍子に、ストックも手からひとつ離れてしまいました。

私はそれを見ながら、転びながらずるずる下がっていきます。止まらないのです。ずるずると下がって下がって、そのとき、私の前に見えたのは崖でした。

「まずい。」とにかく自分を止めなくちゃ。スキー板やストックより、自分が落ちる。
しかし、ずるずると下がっていきます。

「ちょっと、たすけてぇぇぇぇぇ。」

けれど相変わらず声は、


「おーい、ここだ。おーいここだ。」


と言う声。

主人もこのまんま落ちちゃったのかしら・・・どうしよう。私も落ちたら、誰が麓に知らせるのよ、止まってよ私。頼むから止まって、何なのこの新雪は、エッジも引っかかりもしないじゃないのよぉぉぉ。なんなのよぉ。ふざけんじゃないわよって、頼むからとまってよぉぉ。

その時、私、どう思ったんでしょうかね。いきなり凄く大きな声で、


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁあ。」と叫んだのです。
「止めてぇ、止まらないの、誰か助けて、止めてぇぇぇ。」
「この先に誰かいるみたいなんです。だれかぁぁぁぁぁ。」



それでも、ずるずる崖に落ち込むその時、後ろから、シュッツと言う音がして、突然私は、ガツンと、どこからか着た人のエッジで、頭を打ちました。頭をエッジで殴って止めてもらって、やっと、崖の下に落ちるのが寸前で止まったのです。

「やっばいなぁ。あんた。さっきから見てたけれど、何であっちに行ったんだよ。こっち、だめだって書いてあんじゃん。危ないよ」

私、ちょっとそのエッジで殴られたので、軽い脳震盪気味で、しばらくしゃべれなかったんですが、その人が、自分のスキー板を脱いで立てて、私を座らせてくれて、私のスキー板を探してきてくれました。

その人は主人ではなく、その人は監視員でした。

どうも、実は聞いてみると、私のスキーの滑走があまりにおかしかったのでずっと付けてきたそうです。しかし、「おーい」というのは彼の声ではなかったんだそうです。「おーい」と言う声は私にだけ聞こえていた声で、実はその後連れて行ってもらった主人に会った時、主人の手には鈴がありませんでした。

そう、主人は、最初から鈴を部屋に忘れていたんだそうです。私はそうではなくて、主人が鳴らしているとばかり思い込んでいたのです。

じゃぁ、あの鈴の音は・・・・私を誘導していたあの鈴の音は?

監視員さんが言いました。

「あのさーあなた、途中で見てあぶねぇと思って見てたんだけれど、ドンドンコースアウトしていくんだよ。それもさ、何度か止まって耳を澄ませているのも俺知ってたんだ。だから、知り合いが先にいるんだとおもって、ゆっくり滑っていたわけよ。」

「でも、あなた、どんどん、禁止区域に入っていってさ、それでまた立ち止まって何か聞いていたんだよ。それで、何か大きな声で言うじゃない?俺、友人がまずいことになったのかと思ったんだよね、で行こうと思ったとき、あなたいきなり転んで、そのまま崖に転がって落ちていくんだよ。しかも、止めようとあなたわめいても止まらなかったでしょ。
猛烈に俺、とにかくあぶねぇと思って、最終手段で、エッジで先回りしてあんたの頭をエッジで止めたんだよ。痛かったでしょ。ごめんなさいね。」

「主人が鈴を持っていてその音を聞いて、進んでいったんです。今日ちょっと見難い視界でしたしね。それに、おーいって聞こえるからてっきり私、主人が怪我したんだと思って・・・・・」

「僕は鈴を置いてきちゃったんだよ。って、君にゴンドラで言ったじゃない?忘れたの?」

「じゃぁ、私は何を聞いて、どこに行こうとしていたのかしら。とにかく、ありがとうございます。たんこぶ位で済んでよかったです。」

「・・・・・まじに気をつけて。あそこね、いつもはテープ張ってあるんだよ。禁止だって。それが今日はなかったんだよね。昨日の風で飛んだのかもしれないけれど、見回りに来ているからテープ無くなったら、俺、見落とすことないんだけれどさ。」

「ただ・・・・・」


「ただ?」


「あんたの向かってた方向ね。あの崖に下に落ちて死んだ人がいるんだよ。だから危険でね、いつもテープを張ってあったんだよ。俺には、おーいって声は聞えなかったけれど、あんたマジであそこの崖から落ちてたら死んでたよ。本当にあんた、呼ばれるように、耳を澄ませながらあっちに行くのが本当に怖かった。」

「すみません。」

「呼ばれやすいと思うんだよね。」

「??」

「スキー。もうやめなよ。俺、監視員としてスキー一級持ってるんだけれどさ、あんた、呼ばれる人だから。もう、ゴンドラに乗るような所行ったら、真面目に何あっても知らないよ。」

「いるんだよ。よく呼ばれていく人がね。どうしてかわからないけれど、みんな鈴がとか、おーいって声がって言うよ。監視員を辞めるわけには俺、行かないんだ。だけど、毎回付き合って滑るわけに行かない。もうスキーはやめてください。」

「はい。」


そうして、私は二度とスキーをやらないことにしました。
本当にその脳震盪レベルのエッジで蹴られなかったら、私は今頃崖の下の死体の2番目になっていたんでしょうね。あのあるはずない鈴の音と声に惑わされて・・・・・・・。


tomo

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摩訶不思議話48話 「真夜中の海・夜明けの海」

2008-08-08 18:30:33 | 摩訶不思議100物語 & 補足
こんばんは。

tomoです。
何度も言いますが、ここでは人格者もへったくりもなく、怖い思いは怖いのだという視点で語りたいと思います。

**************************************************

高校生のころ、サーフィンが流行っていましてね。その頃は、FINEという雑誌が流行って、「これからはスパッツが流行る」なんていう企画が組まれましてね、早速買い求めて履いた私に対する同級生の一言目は、「モモヒキ履いてどうすんのよ。恥ずかしくないの?tomoったら!」でしたね。あぁ勿論、父親も言いました。ストッキングはカラーストッキングが流行り、グレーの服が多かった私がグレーのベレー帽にちょっとかわいいショートジャケットを着て、ワインカラーのカラーストッキングに、グレーのふんわりしたスカートに足がちょっとした小さなブーツ。まさに、現代のコスプレを髣髴とさせるその17歳のカラーストッキングを見て、そのまま、はさみを入れて切っちゃったのは父でした。

で、問題は私は夏中、友達の車に乗ってウェットスーツを着て、サーフィンに行ってました。

高校三年生。受験は捨てたか、どうしたか。既に学校内の教師同士のトラブルの犠牲に巻き込まれ、私はちょっとした高校では有名な人でした。唯一ヤンキーではなかったのは、やはり、相変わらず好きな科目の点数は異様に高いこと、そして、嫌いな先生の科目は徹底して名前しか書かないことでした。それと、うちの高校は8時半から授業が始まって、9時25分に1間目が終わるのですが、5分前に教室に入室すれば、なんと単位が認められるのです。そこで、毎朝、9時20分に学校について、徐に、5分待ち、その後、弁当を取り出して食べ始めた私は、ふつーのじょしこーせーとはちょっと違っていました。

サーフィンに行く友人たちの学校は、小学校からの内部進学組みで、そのままK大の内部進学が決まっており、もう既に彼らは免許を取れる人から取っていました。私が、彼らに受け入れられた点は、ただ単に、猛烈な判断力と、即決力、また、難問中の難問の数学を、簡単に解くことができて、その当時、まぁよく夜も遊び、一緒にバイトに行き、まぁ、朝もこうして早くから、サーフィンに行くのでした。私は、自分のバイト料で十分、学費も、大学の入学費も貯え、そうして、遊ぶことができたのはたぶんバブルという時代のせいだったと思います。

で、夜中の2時位には迎えに来ます。
こっそりこっそり、ウェットスーツやボードは既に馴染みの店においてあり、出かけるのみでした。まぁ、真っ黒に焼けるほど、よく海にいました。

ところで、ある日それはやはりお盆近かったのではないかと思います。当時の私は、お盆なんてどうでもいい投げやりな人間でしたから、お盆は逆に波が高くていいなと思っていたんです。で、いつもより少し早めに、みんなで出て、浜辺で花火したりして、そして待っていたんですよね。夜明けは4時位には始まりますから、もうその時には波に乗っているんですよ。ですから、2時や3時ってのはちょっと暇話をしていてね。

そのときじゃないですかね。
浜辺の向こう側に、明かりが揺れていたんですよ。見えましたね。ゆらっとひとつ。
船じゃないかとみんなで言って、見つめていたんですよね。イカ釣り船かとか、分けわからないことを言いながら、揺れた明かりを見ていた。その明かりが、すーっと波の上を走るようにして、あっという間に、目前10メートルに来てしまった。

焦りましたよ。そりゃ。だって、その明かり。どう見ても、もう人魂ですものね。
で、みんなで寄り添ってじっと見ていたんです。逃げるという気持ちがあー言うときはないんですよね。つい、見入っちゃう。で、その明かりに気を取られているうちに、音がしているのに気がつきました。

「ペタ」「チャプ」「ペタ」「チャプ」

・・・・・ん何の音?と思ったときには、既に遅かったですね。波から人がたくさん上がってきたんです。私たち、まじめに腰が抜けて、とにかく後ろずさりしながら、いつもの店に駆け込もうと思いました。上がってきた人の中には、私たちに興味のない人もいましたし、興味がある人は、やはり手で掴んできました。
で、大体こういう時つかまれるのは、私と愛ちゃんでしたね。
二人で必死に、相手を叩きのめして、それで、みんなに「逃げろー」と大声で叫ぶ。その時、灯台の明かりがふっとこっちに見える。その灯台の明かりで、相手の顔が見える。「馬鹿野郎、捕まってんじゃねーよー」と言われながら、それでも、引きずってくれる男の子がいて、みんなで、花火を押し当てようにも、ライターの火なんかそういう時に限ってつきませんし、マッチは折れていくばかり。

「畜生畜生」「なんなのよぉ、はなしてよぉ。」「いいかげんにしてよぉ。」

でも、沢山の人が上がっていきます。これはもしかして、目的のいつもの店に行っても危ないんじゃないかと思ったんですね。まだ、これがまた、幽霊経験の多いメンバーばかりで、私も愛ちゃんも足を捉まれても、大分色々体験したために、正気を失う事がなかったんです。それ故に、これをどうして外したらいいのか考えました。

「バチバチバチバチ」

いきなり私とその変なものの間に、煙と火花が散りました。愛ちゃんにも同様に、そんなものが投げ込まれました。一人だけ、車に戻ってあわてて爆竹をありったけ持ってきて、「なむあみだぶつ」とか、「南無妙法蓮華経」とか唱えながら、こっちに投げつけてくるのがいるんです。

「あつ、あっつ、あぶねーじゃんかよぉぉ。」とその爆竹音で踊りました。「きゃー、こっちに火がついたらどうすんのよぉ。きゃぁ。」「バチバチバチバチ」投げられる投げられる爆竹。終わりのないほど、投げてくる爆竹。
その時、相手と格闘していた私に、そいつが一瞬ひるむ隙があったんです。

「いまだ」

私は、手元にあった、水の入った大きなバケツを一気に持ち上げると、自分を掴んだやつに思いっきりぶつけました。それでも、飛んでくるくる、爆竹。その火花とその爆発音、凄い恐怖です。ですが、もうめちゃくちゃ。そこらへんにちょうどよく、座る席があった。その御座ごとまとめて、ぶつけて投げました。その縁台も投げつけました。

そいつがひるんだ隙に、私は、愛ちゃんの手をとって、奪取で走りました。元々逃げ足の速い、ダッシュで80メートルというと、男を引き離して早かったものですから、もうそのまま、店になだれ込みました。

結果いえば、店は閉まっていました。いつも開いているのに、閉まっていました。ゆっくりながら追いつかれる。私たちは即座に車を目指し、南無阿弥陀仏とか言いながら、爆竹を後方に投げ捨てて、走っていきました。

そうして、見つけたデニーズで、着替えをし、そうして夜明けを待ったのです。

もう一回見に行く勇気があったのかといえば、私たちその場の面子は、誰もが何が起きたのか本当のことを知りたかったのです。私たちは、そのまま、車で明るくなってからもう一度さっきの場所に行きました。

そこには、竹が刺さった箇所が二つ、その竹と竹の間に、しめ縄があって短冊がぶら下がっていました。私たちは知らないことに、そこにあったお供え棚に腰を下ろし、そして、どうも中の一人はそれを食べてたようでした。

私が狂乱した箇所は、アオグサが散乱しそこに、爆竹の後と、罰当たりにも、その慰霊のための物を壊して、バケツは割れて飛んでいました


私はその時、ふと自分の友人の語った話を思い出しました。

お盆の間にやっとデートができて、恋人と海に行った。夜明け前の海に行った。寒かったから、毛布を持っていった。二人で包まって、灯台の明かりを見ていると、自分たちはがけの下の岩のところにいたのだが、砂浜に向かってどんどん進む者たちがいた。
彼女はとっさに毛布で、彼氏と自分を頭から包んで、一心に思うお経を唱えたそうです。そして明るくなったとき、彼女は二度と、夜明けの海に行かないと思ったという話で・・・・。その子は確か38話で、キャベツ畑でのっぺらぼうを見た子です。

私は恐怖というより、罰当たりな気がしました。
急いで私はその精霊棚を直し、お供えを食べたやつには、お供えを買ってくるように言いました。そして、お供えを買って、お線香を焚いて、意味があるのかないのか、一生懸命、一心不乱にその場所に謝りました。

済みませんでした。知らなかったとはいえ、申し訳ありませんでした。もう、お盆の時期の海には行きません。どうも粗末にしてすみませんでした。


実際には私たちはそのまま、みな正気で、帰ることができ、みな正気で、翌日の夢も何ともありませんでした。

さて、時期はもうじきお盆。お盆は急に水の流れが変わったり、くらげが増えたり、それから、思わぬ事があります。
私たちは、幽霊にあったのが初めてというメンバーではなかったゆえに、このようではありましたが、初めて会った人にとっては、きっとあの後現場にもう一度帰る勇気もないかと思います。

台風が来ると波は高くなり、毎度ながら慢心するサーファーはその波にめがけて行き、台風の高波に飲まれて亡くなるケースが毎年あります。それでも、その自然を乗りこなす気持ちが面白かったのです。

ですが、私は、体調上もうサーフィンに行くことはできません。が、思い出します。そして、あの時瞬時に思い出した事も思い出します。

私の先輩に当たる方が、大学生でやはり台風の高波にのまれて、亡くなっていました。私はそういうことを即座に思い起こして、精霊棚を作り直して謝ったのです。


さてはて・・・冬はスキーで、スキーでもやはり私には、色々な経験があります。ですが、今回の話は、お盆は無闇やたらに海河川に行かないというお話しです。
実際に見て、足を握られるとですね、凄い腐敗臭がしてね。あんまり正気でいられるもんじゃないです。さすがに私たちのメンバーは、その夏でサーフィンをやめました。そして、各々大学に行き、私は何年か予備校に通って、大学にいきましたが、未だに、お盆のときの、屋形船も案外怖いです。

tomo

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