ピタゴラ「不思議」スイッチ

ヘタレ霊能者朋(tomo)の幼い頃からの心霊体験話をここで載せています。

摩訶不思議100話 第47話 「観世音菩薩」

2008-07-19 20:37:50 | 摩訶不思議100物語 & 補足
こんばんは。

久々に摩訶不思議の更新です。まぁ、最近霊能者になっちゃったので、そうそう昔のような純粋におっそろしーって思いはしなくなりました。が、哀しい想いはよくします。それが今回の話です。

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私って、時に観世音菩薩のお力をお借りする時があります。それがどうして、観世音菩薩なのか、私にもわかりませんし、私も初めはその存在すら知らなかったのです。ですが、某女性に憑く生霊を祓おうと思った時思わず声に出していました。
「南無観世音菩薩」

言った後ビックリしました。その効果もそうですが、一瞬にして、うまくいってしまった。で、その女性に何度か聞くと、実家は日蓮宗だと言います。しかし、何度か念を押して違うはずだと聞くと、実は浄土真宗の方でした。

観世音菩薩は、阿弥陀如来仏のよこにもう一人の人と鎮座するお付の人です。で、問題はこれではなく、私はある日増上寺に行った際、私があまりに切なくて目をそらす観音像や仏像などないのですが、どうしても見ていると涙が出る像がありました。大門の傍に立っているその像には書いてありました。

「聖観世音菩薩」

そうか・・・これが観世音菩薩なんだなぁと思いながら、どうしてか、涙が出て涙が出て、哀しくて悲しくて、泣けてきます。それが、どうしても自分らしくない。
けれど、下手したら、地べたに打ちひしがれたくなるほど泣けてくる。もう・・・悲しくて。
これは、何かの慰霊碑のような何かを救済されていらっしゃる仏像なんだろうと思いました。自分がこれほど、思いに囚われてしまうほどであるのは、この菩薩はありとあらゆる悲しみを今までも癒し、これからも癒していく。それでも、救われない気持ちが残っている。

私は、ちょっと醜態を曝しそうだったので、あわてて車に戻りました。
涙を出ないようにして、悲しさを打ち消すように、呼吸をしました。そうして、そういう気分は去っていきました。

先日、その観世音菩薩を調べていた際、あの観世音菩薩は、「ホテルニュージャパン」の被害者の慰霊碑だったという事がわかりました。私も覚えています。私が小さな頃に起きた火事でしたし、とても記憶にあったのです。まだある一面だけ、本当にくっきり記憶のある部分があります。

そして、何年かたって、私は赤坂で器楽演奏のバイトをした時、毎度毎度、悲しい思いに囚われました。それが行く度に精神が持たない。若い私はコントロールの仕方も知らず、本当に行けば、狂わんばかりに泣けるのです。

未だに、私はあそこの跡地前を通るのが怖くてできません。それは、被害者の悲しみなのか、残されたものの悲しみなのかわかりません。

ですが、たまたま、芝にあったあの観世音菩薩は、その慰霊碑でした。私は、その事件にはまだ感応しやすいんですね。悲しみがあって、それをお救い下さる観世音菩薩の深いお心に心が沁みました。

あまり怖い話ではなかったですね。
ですが、現場の悲しみが残る事件と、残らぬ事件と在りますが、残る事件の場合、30年以上たっても、悲しみは雪のように降り積もるのです。それを、夏の肝試しとして、そこに遊びに行ったり、そこの話を面白半分にされると、私はとても悲しく思います。

私の主人はワールドトレーディングセンターのテロが起こる日の出張を私にわがままを言われて辞めた人でした。その後グラウンドゼロを目の前にしたオフィスで、グラウンドゼロを毎日窓の景色として見つめながら2年間勤めました。彼は、テロの後、自分の変わりに行った人の消息を寝ずに調べたり、何度か精神状態が滞った時がありました。その上司は体を壊しても、毎年9.11になれば、足を運んで冥福を祈りに行きます。被害者の気持ちを逆なでするからやめてくれと会社に言われた時には、会社を有給を取って休み、NYに飛び、冥福を祈っています。私もあそこを見ると、愕然とします。あまりの皆の死を受け入れられない戸惑いの気持ちに、どう接していいのか悩んだ時もあります。
そして、あの当時マンハッタンに住んでいて、あれが壊れたために、多量のアスベストがマンハッタン中に撒かれたであろう、自分たちは子供も含めてそれを吸ってしまった2次被害者だと嘆く人もいます。
そして、新たに建設されるといいますが、私達残されたもの、そして寸前で逃げた者の心には、とてもとても大きな傷がついているのです。それを、夏の怪談としてお話されると、とても辛いです。

それでも、夏は暑気払いが有名ですね。古いお話でも、どうぞ怨霊にならずにはいられなかったそのやるせない気持ちなどを汲んで、どうぞ、肝試しとして、土足で入らないようにしていただきたいと思います。

それが、沢山あるはずの怪談話の被害者の本音だと思います。
私が、普通の怪談ではなく、自分に起きた事件がらみではない怪談を書くのはそういう理由からです。

tomo

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