精神世界と心理学・読書の旅

精神世界と心理学を中心とした読書ノート

覚醒へのネットワーク(上田紀行)(1)

2010-03-22 20:31:01 | さとり・覚醒
◆『覚醒のネットワーク―こころを深層から癒す (講談社プラスアルファ文庫)

この本が1989年にカタツムリ社より出版されたとき、かなり反響があり、世に受け入れられたことを最近、ある本で知った。一読して世に広く受け入れられただけのことはあると思った。そしてこの本で扱われているテーマが私自身の関心とほぼ重なることを知った。

まずは、「殻をかぶった自己」からの解放というテーマ。これは、私自身にとっての「自己」とそこからの開放としての覚醒というテーマと同じなのだが、著者は、それを非常にかみくだいた平易なことばで語っている。

著者は、「殻をかぶった自己」が、その殻を破ったときに見えてくるネットワークと、その中の自分の輝きを語る。と同時に、「いま世界で噴出している排除、暴力の問題」」、そして危機に瀕する地球環境の問題が、実は「殻をかぶった自己」の問題と全く同根であると語る。これらは、すでに多くの思想家が指摘し、語ってきたテーマだろうが、この本の価値は、それをきわめて分かりやすく整理し、親しみやすい語り口で語ったことにあるだろう。

「殻をかぶった自己」が目指すのは「抜け駆け」である。自分だけの幸せを求めて、人や自然をとことん利用しようとする。それは競争の修羅場を生む。自分だけの幸せの追求は、いつか限界に突き当たる。

「自己」はまた、国家などの集団と同一化する。集団もまた「殻をかぶった集団」として機能する。他の集団を否定し、他との違いをきわだたせることで自らのアイデンティティを保つ。「あいつらとは違う私たち」として集団のアイデンティティが生まれる。

個としても集団としても、殻をかぶって自己の利益を追求する以上、他との争いは避けられない。個としての「自己」も、集団としての「自己」も、他を押しのけて競争に勝とうとする以上、その内側に暴力を秘めている。その「自己」性、利己性を前面に出せば、争いは避けられない。しかし、争えば集団解体の危機にさらされる。

そこで危機を避けるために「身代わりの羊」が求められる。「問題が起こるのは、あいつのせい、あいつらのせい」と理由を押し付けるスケープゴートを作る。共通の敵を作り、そこに責任の一切をなすりつける。そうすることで集団内や集団同士の暴力による自滅を回避するのだという。ヨーロッパにおいてユダヤ人は、そのようなすケープゴートとして機能した。

家族、学級、会社のなかでも、いけにえの羊はよく発生する。それは多数のものが、誰かの犠牲のうえにたって安易に幸福を手に入れる方法である。「いけにえの羊の存在によって集団の幸福が乱されている」と、本気で感じる人もいる。実は、その羊の存在によって自分たちの安物の幸福がなりたっていることを忘れてる。集団は、いわばその「影」の面をすべて、いけにえの羊に押し付け、自分たちはあくまで正しい人間として行動しようとするのだろう

結局は、個にしても集団にしても、「殻をかぶった自己」という、排他性や利己性が、問題の根源に横たわるのいうのだ。その「殻」から解放されないかぎり、暴力は続いていく。そして誰かが犠牲になっていく。


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