精神世界と心理学・読書の旅

精神世界と心理学を中心とした読書ノート

ポケットの中のダイヤモンド(ガンガジ)

2010-08-29 22:21:08 | ★特選の本
◆『ポケットの中のダイヤモンド―あなたはすべてをもっている』(ガンガジ、徳間書店)

ガンガジは、アメリカ人女性だが、ラマナ・マハルシの弟子パパジによって覚醒を得たという。そのため、ラマナ・マハルシの教えに共通しながら、それでいて彼女独自の新鮮で平易で説得力のある言葉によって覚醒の真髄を語っている。覚醒についてこのような語り方もあったのかという驚きをを感じた。

この本の冒頭に、彼女がパパジと出会って覚醒に至るまでが語られている。その部分を読んで印象深いのは、彼女の人生が、「一般的なものさしで測れば素晴らしいもの」だったということ。夫を愛し、経済力はほとんどの人のそれを上回わり、仕事を愛し、その価値を信じていた。にもかかわらず彼女は、それ以上のものを探し続け、自分が持っているものを失うのを恐れ、将来に希望を馳せたり、将来を恐れたり、を繰り返していたという。

そんな中で、これまで瞑想や修業の様々な取組みをしてきた彼女は、パパジに「何もしないでいなさい」と言われる。それがきっかけとなって、これまで彼女が欲しがっていたすべてが「すでにここに、純粋で永遠なる存在の基盤として存在している」ことに気づく。

「このことに気づいたとき、私という存在の物語から、物語の奥底にいつもあった存在の終わりのない深みへと、驚くべきフォーカスの転換が起こりました。それは何という平安、何という休息だったでしょう! それまでにも私には宇宙との一体感や崇高な至福感を感じた瞬間がありまあしたが、これはまったくその性質が違っていました。それはいわば冷静な恍惚状態であり、その瞬間、私は「私」という物語に縛られてはいない! ということに気づいたのです。」

私は、ガンガジのいう「物語」という言葉が好きだ。結局、私が思考によって織り成す一切は、ひとつの「物語」にすぎない。自分が自分の都合にあわせて作り上げた「物語」。でありながらその「物語」こそ、この世でいちばん大切なものと思い込んで、それに執着し、苦しみを生み出している。しかし、所詮それは「物語」に過ぎない。

「物語」は、いずれは消え去る。一夜で消え去る夢まぼろしと変わらない。しかし「物語」の底には、消え去らない無限の存在の基盤がある。「物語」が飛び散るように消えてしまうことで、かえって開ける無限の地平がある。子供の頃、母が読んでくれた恐ろしい物語が終わってほっとしたように、私が今、夢中で織り上げている「物語」も、そこから解放されてしまえば、まったく別の、思考を超えた限りなく静かな世界が開けるのだろう。「物語」という言葉は、そんなことまで予感させる言葉だ。

彼女の言葉を読んでいると、瞑想や修行一般によって自分の意識状態を「より高次」の状態に変えようとするような試みが、いかに「自我」の強化につながってしまうかが、強く意識される。彼女は言う、

「焦点が定まっていようと拡散していようと、どんな特定の意識状態にも到達しようとするのを止め、またどんな状態を避けることも止めてごらんなさい。代わりにいつでもそこにあるものは何かについて気づいてください。」p103
「今、この一瞬、すべてを止めてごらんなさい――探し求めることも、否定することも、拒否することも、すがりつくことも、それら全部を手放し、今この一瞬だけ、あなたの存在の真の姿の中に身を委ねてごらんなさい。」p109

確かに、私が日常のサティ(気づき、ヴィパッサナー瞑想のかなめ)に一生懸命になっていた心の中には、自分の意識状態をより高次の特定の意識状態に到達させようという「野心」が存在していた。何かになろうとする「野心」が今を見失わせてしまうのだ。しかし一方でサティは、過去を悔いたり未来を心配したりする「思考」に気づき、今に立ち返らせる働きがある。問題は、何かになろうとする「野心」そのものであり、サティ自体ではない。この本は、私の瞑想への「野心」に打撃を与えたが、一方で、サティの意味を改めて確認できた。強い目的志向によってサティを始めたにしても、サティそのものが、そうした意識のあり方さえも自覚化させていく力を持っている。常に今ここで起っている心の現象に気づいていくのがサティだからだ。

最後に、この本のタイトルにつながる言葉を読んで欲しい。「もしもあなたにこうした感情の重なりを最後まで徹底的に経験する意思があれば、あなたは最終的には底なしの深淵に見えるところに辿り着きます。この深淵は、無、空虚、無名と理性が認識するものです。これは非常に重要な瞬間です。なぜなら、完全に何ものでもなく、誰でもないことを進んで受け入れるということは、自由になることを積極的に受け入れるということだからです。何層にも重なった様々な感情はすべて、無の経験、すなわちあなたが自分だと思っているものの死に対する防衛手段です。いったんその防衛手段が崩れ、扉が開いてしまうと、恐れていた無と完全に向き合うことができます。この対峙こそ真実の自己探求によってもたらせれる啓示であり、それによってあなたの心の真ん中にずっと隠されていた真実という秘密の宝石が露にされます。見つかったダイヤモンド、それはあなたです。」


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。