NANNJYAIブログ

人生は旅、利他愛こそ人の道しるべ!

あなたは誰? (通信記録最終章)

2006-08-31 15:59:00 | 日記
*(コム)*キューピットの愛ちゃん、こんにちは! 長い間、生きること、死んだあとのこと、魂の永遠なこと、などたくさんのアドバイスを戴きました。ありがとう。

半年間にわたり、記録させていただきました。たくさんの方々が訪問してくださいました。

たくさんのコメントに励まされ、今日まで頑張れました。ありがとう。

しばし、愛ちゃんとのコンタクトはお休みさせていただき、9月からは日常の出来事や、自分の心に映る心象風景を記し、必要に応じてコンタクトを取らせて戴きます。

*(ドキュン)*お疲れさまでした。よく頑張りましたね。私の拙いアドバイスで、心を開き、目覚めてくださった方がおられれば幸いです。
ありがとう。隊員ーkさん。

*(コム)*あなたに教えて戴いたアドバイスの中で、特に印象的な教えを記し、通信記録の一区切りといたします。

*(コム)*あなたは誰ですか?


あなたはその身体ではありません。

その身体があなたではありません。

あなたという存在は霊をたずさえた身体ではありません。

身体をたずさえた霊なのです。

本当のあなたは鏡に映っているあなたではないのです。

本当のあなたは肉眼には見えないものなのです。

その身体は、あなたが自我を表現するための機械にすぎません。

あなたという霊が引っ込んでしまえば、その機械は動かなくなります。それを皆さんは、“死”と呼んでいます。

これでお分かりと思いますが、あなたは死んでから霊になるのではありません。

こうして生きている今から立派に霊的存在であり、だから死後も生き続けるのです。

その地上生活での体験から教訓を学ぶことには大きな意味があります。

しかも、あえて言えば、大きな教訓ほど、困難や障害、ハンディを背負った生活に耐え抜くことから得られるのです。

その葛藤の中で内部の霊性が呼び覚まされるのです。

さんさんと太陽がふりそそぎ、全てが平穏で、問題が何一つ生じないような生活の中では、霊的進化は得られません。

困難に遭遇し、それを克服した時にはじめて霊性が向上するのです。

*(コム)*愛ちゃん、あなたの存在に感謝します。ありがとう。

困った時、神はどのように援助するのか?

2006-08-30 13:18:00 | 日記
*(コム)*私たちは困り果てると神に祈りますが、そちらでは、私たちが祈るようになるまで放っておくのですか? それとも、事の成り行きにまかせる時もあれば、援助する時もあるのでしょうか? 教えて、愛ちゃん。

*(ドキュン)*この大霊のしろしめす宇宙という大機構の中においては、誰一人として、また、いかなる存在といえども、放っておかれるということは、摂理上あり得ないことです。

大自然の摂理は完璧ですから、すべてを包摂しております。

何一つ、誰一人として、その支配から逃れることはできません。

大霊が見落とすということは有り得ないのです。

どこにいようと、あなた方は大自然の摂理の支配下にあり、天の配剤を受けております。

あなたにとって今何が必要かは神は先刻ご承知です。

それを祈りによって表現することは結構なことです。

なぜなら、その時点におけるその人の霊的ならびに精神的発達程度に応じて、可能なかぎりの援助が得やすくなるからです。

なるべくなら言葉に出して祈った方が良いでしょう。

その波動によってあなたが何を動機に祈っているのか、その意図が鮮明になるからです。

*(コム)*言葉に出して祈ることが有効なのですね。利己欲の域を越えた切なる祈りに。
愛ちゃん、ありがとう

人生に悩んでいる人に

2006-08-29 12:27:00 | 日記
*(コム)*愛ちゃん、教えて。人生に悩んでいる人がたくさんいます。どうしたらいいのですか?

*(ドキュン)*愛する人を失って悲しみに暮れている人、病床に伏せている人、悩める人、人生に疲れた人など、たくさんいるのは承知しております。

こういう人たちは皆、人生の目的を見失っております。

教会も科学者も思想家も何の力にもなってあげられないのが現実なのです。

“人間の窮地は神の好機”という格言があります。

肉体に包まれた霊・・・本来の自我・・・がその霊性に目覚め、活発に活動を開始するのは、そうした窮地にあって、もう物質の世界には何一つ頼りになるものがない・・・万事休すだ、と観念した時からです。

そうした窮地にいる人が、真の自我に目覚め、地上に生を享けた目的を理解し、他人のために役立てるべき才能に気づくことです。

肉体の死後から始まる永遠の旅路の次の段階にそなえ、この地上にあって自己実現を成就することです。

理解ある人は、人生に疲れた人や、道を見失ってしまった人々に手を差し伸べてあげてください。

「 召される者は多く、選ばれる者は少ない。」と言ったイエスの言葉を思い出してください。

理解ある人は“選ばれた者”なのです。

*(コム)*分かりました。自分の出来る範囲で努めます。ありがとう

車が動かない!

2006-08-28 18:01:00 | 日記
仕事先の用事を済ませ、近くのスーパーに
夕飯の買い物を!

エンジンが始動しない???

3分待ってキーを回す。同じく
5分待ってやっても同じ??

いつもの整備会社は月曜休み、どうする?

困った時の同級生頼み!(自営の自動車整備)

燃料ポンプに不具合があるようで
エンジンに燃料を送れないらしい。

搬送トラックに載せてもらって整備へ
5・6日前にも同じような状態があったので
その時に早めに対処しておけば・・・・。

転ばぬ先の・・・ではないが、
メンテナンスチェックは定期的にした方が
トラブルにならずに済むのだろうな!

過信は禁物と思い知らされる一日でした。

脳死状態の延命処置は正しいか?

2006-08-26 11:58:00 | 日記
*(コム)*愛ちゃん、教えて。脳死状態となったいわゆる植物人間の生命を永らえさせるのは正しいのでしょうか?

*(ドキュン)*こんにちは! これも難しい問題ですね。しかし、何事も動機がカギとなりますね。

植物人間とはいえ、まだ生きている身体の機能を完全に止めてしまう動機は何か。ということです。

本来人間は自然の摂理にかなった生活をしていれば、死も自然な形で訪れるようになっています。

リンゴが熟して地上へ落ちるように、霊が熟すると身体は自然に朽ちていきます。

ところが残念ながら人間は必ずしも大自然の摂理にかなった生き方をしておりません。

それで霊と精神と身体の調和のとれた相互関係が崩れて、いわゆる病気になるわけです。

さて、脳が回復不能の損傷を受けることがあります。医学者の中にはそれをもって生命の終わりとする人がいますが、必ずしもそうとは言えないのです。

パソコンのキーが故障して使えなくなったことをもって、使う人がが死んだとは言えないのと同じです。

その人が仕事をする道具が使いものにならなくなったというにすぎません。

同じことが、脳が損傷して使えなくなった場合にも言えます。

それをもって“死んだ”とするのは間違いです。

本当の死は、霊が身体から完全に離れてしまった時のことです。

それは俗にシルバーコードと呼ばれている発光性の生命の紐が切れた時のことです。

この世に誕生した赤ん坊はヘソの緒が切断されてはじめて一個の独立した人間となるように、霊もシルバーコードが切れた時にはじめて霊界の一員となるのです。

地上の医師にはその事実を確認する手だてがありません。

実を言いますと、身体は植物状態になってもいても、霊そのものも本当の死に至るまでにいろいろと学ぶべきことがあるのです。

ですから、結論としては、最初に言いましたように、動機は何かという点に舞い戻ってきます。

死なせることが患者にとって最善の策だと真剣に考えるのであれば、そうすればよろしい。

ただ残念ながら医師は本来はそういう決断を下す立場にはないということを知ってください。

権利が乱用される心配があります。

信頼のおける霊視能力者がいて、シルバーコードが切れる瞬間を見届けてくれるようになれば、それがいちばん望ましいのですが・・・・。

*(コム)*大変難しいことですね。愛ちゃん、ありがとう