NANNJYAIブログ

人生は旅、利他愛こそ人の道しるべ!

物欲や権勢欲は、死後の世界でもあるのか?

2006-06-30 14:01:00 | 日記
*(コム)*愛ちゃん、教えて。物欲や権勢欲は、死後の世界でも存在するのでしょうか?

*(ドキュン)*こんにちは。死後の世界でも、幽界の低階層では、相変らず物欲と権勢欲が残っています。

忘れてならないのは、死ぬということは肉体がなくなるだけで、霊的には生前と少しも変わっていないということです。

しかも、地上と違って、死後の世界は思念が実体をもつ世界です。あなたの考えることがリアルであり、実体があるのです。

やっかいなのは、地上時代の物欲や権勢慾が鎖となって、地球圏へ縛りつけることです。

物的に死んだのですが、霊的にも死んでいて、こちらの世界よりも、そちらの世界の方に近い存在となっています。

困ったことに、そういう存在が、地上界の欲望と権力欲にとりつかれた人間を、ますます深みに引きずり込んでいくのです。

*(コム)*その様にならない為には、人間の存在と死後も続く魂(生命)の存在をよく理解した生き方が大切ということですね。
愛ちゃん、ありがとう。

スピリチュアリズムは宗教心を学ぶ上で良いもの?

2006-06-29 12:21:00 | 日記
*(コム)*キューピットの愛ちゃん、教えて。
地上界にはさまざまな思想、信仰がありますが、どう対処すべきでしょうか?スピリチュアリズムに批判的な者は自分達の信仰を押し付けてきますが、寛容的な態度でのぞむべきでしょうか?それとも徹底的に排除して、わが道を行くべきでしょうか?

*(ドキュン)*こんにちは、隊員ーkさん。
「スピリチュアリズム」といった用語は、ただの言葉にすぎません。私達は、言葉には関心がありません。

言葉というのは、観念や真理を表現する道具に過ぎません。私達としては、霊の力・・・あなた方のいう神、私のいう大霊の力・・・が地上のどこでもよいから根付いてくれることを願っているのです。

私達が行うことの背後には、必ずそういう目的があるのです。

なぜ霊力を根付かせたいか? それは魂の琴線にふれさせ、本当の意味で生甲斐を感じさせてあげたいからです。

それがどこであっても良いのです。教会の中であっても、教会の外であっても、家庭内であってもよいのです。

目標とするのは個々人の魂です。手の届く限りのところで行います。

物的な眠りから覚める段階に来ている者のほうから、あなた方のもとを訪れる場合もあるでしょうし、あなた方のほうから訪れて、霊的真理の種子を植え付けることもできるでしょう。

もしも効を奏さなかったら、涙を流してあげなさい・・・・自分の為ではなく、種子が根づかなっかた人のためにです。せっかくのチャンスなのに、それが生かせなかったのですから・・・・。

しかし、根づく条件が整った人は、そこここにいるものです。やがて芽を出し、花を咲かせ、ついには美と愛の結晶を実らせます。

神性を帯びた種子だからです。そのときはじめて、真の自我に目覚めたことになるのです。

地上生活のそもそもの目的は、人間的存在の全側面、すなわち物的資質、精神的資質、霊的資質を発現することであり、それがまんべんなく発掘されるまでは、自己実現ができているとはいえません。

肉体と精神のみで生きているだけで、幻影を追い求め、実在を知らずにいます。

それが霊性に目覚め始めると、霊的資質の開発と冒険へのドアを開くことになります。それが地上に誕生した、そもそもの目的です。魂が、真の自我を見出すためです。

ですから、大切なのは、どういう立場で真理に目覚めるかではなくて、真理に目覚めるということ、そのことです。

地上生活の苦痛と悩みが絶えないのはそのためです。つまり、もはや物的なものでは解決のつかない窮地に追い詰められ、霊的なものを受け入れる用意が整うのです。

バイブルにも「風はおのが好むところに吹く」とあります。どこでもよいのです。吹きたいところを吹いていればよいのです。

受け入れる者に出会えば、精いっぱい自分を役立てることです。

*(コム)*解りました。愛ちゃん、ありがとう。

人間は究極的にどうなるの?

2006-06-28 13:34:00 | 日記
*(コム)*愛ちゃん、教えて。地上生活を何度か体験した後、人間は究極的にどうなるのですか?

*(ドキュン)*究極の運命ですか・・・・。

私は究極のことは何も知りません。

始まりと終わりについては、私はどう扱っていいのか解りません。

生命には限りがないのです。

進化も無限に続いています。

サイクルには、終わりも始まりもありません。

生成発展は、無限に続くのです。

*(コム)*無限ですか? ・・・・無限ということを理解できないな~。人間の脳で理解しようとしても無理なのかな。
でも、永遠に私の魂(生命)が生き続けることができるなら、生きている、今、艱難辛苦を
乗り越えて、少しでも人の役に立つ生き方を実践し、それを携えて行きたいな。
愛ちゃん、ありがとう。

睡眠中は邪霊に憑依されないのは何故?

2006-06-27 08:17:00 | 日記
*(コム)*愛ちゃん、教えて。睡眠中は霊体が肉体から脱け出て、肉体はいわば空き家になるわけですが、その肉体に自縛霊が入り込んだり憑依したりしないのは何故ですか?
背後霊の誰かが当番で警護にあたるのですか?

*(ドキュン)*そのようなことにならないように自然法則ができあがっているからであって、憑依されるような条件を宿していない限り、低級霊に憑依されることはあり得ません。

霊は身体の中にいるのではありません。霊と身体とはバイブレーションが違うからです。

本当のあなたは、その肉体の中にいるのではありません。心臓と肺の間に押し込められているのではありません。

あなたという存在は、肉体という地上の機会を通して自我を表現しているのであり、したがって、その間は霊的階層で生活していることになるわけです。

他の霊が、あなたの肉体に入り込んで来るとか、来ないとかの問題は生じません。

寝入ると同時にドアが開き、誰かがのこのこ入ってきてドアを閉める、といった図を想像してはいけません。

そんなものではありません。その間も自我は肉体を管理しながらも、意識は別の次元で表現しており、肉体に戻るべき時間がくるとすぐに意識が戻ります。

*(コム)*すると、憑依された場合は、霊的自我が憑依することを許したということでしょうか?

*(ドキュン)*そうではなくて、憑依を可能にする条件を、当人みずからがこしらえていたということです。あくまでも当人の問題です。

例えば、あなた方人間が、愛と献身の心を宿せば、それに応じて高級霊が引き寄せられます。

それと同じ法則です。親和力の法則は善にのみ働くのではありません。悪にも働くのです。

最大の福祉に役立つ法則でも、悪用することが出来るのです。

高く上がっただけ、それだけ下がることもありますし、堕落しただけ、それだけ高尚な次元まで霊性を高めることもできますよ。

*(コム)*愛と献身の心を磨き、高級霊を見方につけて人に対処することが大切であると理解します。そして、少しでもその様になれるよう、心して日常をおくります。

愛ちゃん、今日はありがとう。あなたの存在に感謝します。

魂の永遠性を信じない人は死後どうなる?

2006-06-26 13:24:00 | 日記
*(コム)*愛ちゃん、こんにちは。もしも善人が、魂の死後存続の真理を聞かされていながら信じなかった場合、そちらへ行ってなにか報いを受けるのですか?

*(ドキュン)*肝心なことは、どういう人生を送ったかということです。

どれほど人のために役立つことをしたかということ、潜在する大霊の資質を開発する機会をどれだけもったかということです。それが全てですよ。

死後存続の事実は、知らないよりは知っていた方がいいでしょう。が、最後の試金石は、どのような日常生活を送ったかということです。

*(コム)*人としての生き様が大事なのですね?

*(ドキュン)*その通りですよ。

*(コム)*ありがとう、愛ちゃん。