■「JRA」の文字を見て、高速で走る四本足の大型哺乳類を直ぐに思い浮かべる人には、どうでも良いニュースでしょうが、1987年に「日本中央競馬会」が名称変更したと同時に略称まで変えてしまった時、特に日本に駐在している海外メディアの中から驚きと当惑の声が上がったのでした。この団体の略称はは、元々、「NCK」だったそうですなあ。何かと思えば、日本語名のローマ字表記 Nippon Chuo Keiba-kai を英語風に頭文字?を取って並べただけの事です。皆様の NHK が「日本放送協会」のローマ字表記から頭文字?を取ったまま使っているのと同じです。横文字に馴染んでいない日本人にはハイカラ(死語かな?)に思えて、英語に通じている人には意味がまったく分からないという、和魂洋才の典型例みたいな省略造語です。NHKの「N」は「日本」のことだろうと分かる外国人も増えたでしょうが、後の2文字はまったく意味不明ですなあ。海外向けの放送事業は、海外の聴視者から「受信料」を徴収していないから、この名称でも大丈夫なのでしょうか?
■何はともあれ、1987年、世はバブルの絶頂期に向ったの空騒ぎの真っ最中で、競馬場は赤鉛筆を耳に挟んだオジサンだけの殺気だった博打場から、何と家族連れや若い女性も気楽に遊びに来れる場所に変貌しようとしていたのでしたなあ。東京都内には、仕事帰りのOLさんを呼び込もうと、ジンギス汗もやらなかった夜の競馬を始めた頃のことです。既に、意味不明のローマ字表記では笑われるくらいには、日本人の英語力が向上していたらしく、中央競馬会は「Japan Racing Association」という外国向けの名称になり、その(正真正銘の)頭文字を取って略称にしたのが「JRA」でした。何だかウルトラマン・シリーズに出て来る組織名みたいですが、競馬の時代が変わったような気分を醸し出すのには成功したようです。
■しかし、この外国人にも通用すると日本人が思い込んだ「JRA」という名称は、既に辞書に載っている固有名詞だったから大変です!日本中央競馬会の方では、そんな事を知ってか知らずか、名称変更を大々的に宣伝したものですから、ポスターやらテレビ広告やらに大金をつぎ込んで日本中に「JRA」の文字が乱舞したのに腰を抜かしたのが、世界を飛び回ってハードな記事を書いているジャーナリスト達でした。一時は連名で日本中央競馬会に、「悪い冗談は止せ!」と抗議文を送ったとか送らなかったとか…。世界にその名を轟かせていた「JRA」とは、日本赤軍だったというお話です。長い黒髪がトレードマークだった女性赤軍闘士も、還暦を迎えてすっかり毒気が抜けてしまったようです。
…「主文、被告人を懲役20年に処する」。裁判長の声が法廷内に響くと、還暦を迎えた女闘士は、強気の笑顔が一転し、しばらく硬直したように立ち尽くした。元日本赤軍最高幹部、重信房子被告(60)への23日の東京地裁判決。重信被告は弁護人や傍聴席の支援者に気丈にガッツポーズをしてみせたが、表情はこわばったままだった。
■何だか痛々しい感じもしますが、元の戦場だった中東が民主化されるのされないのと、世界はすっかり変わってしまいました。別路線を採ったグループも、北朝鮮で寂しい老後を迎えるのが嫌だ!とすっかり里心が付いているようですし、「革命」を売り物にして散々儲けた人達はすっかり好々爺になって、昔の「熱き日々」を時々思い出して年金や恩給の振込み日を楽しみにしているとか、いないとか…。嗚呼。
午前10時前、東京地裁の104号法廷に姿を現した重信被告は眼鏡を掛け、ベージュのジャケットにセーター、黒のスラックス姿。事件当時のトレードマークだった長い髪は短く整えられ、白いものが交じる。ハンカチを手にした重信被告は、長女のメイさん(32)らの座る傍聴席に向かって手を振り、右手の親指を立てた後、落ち着いた様子で被告人席に着いた。証言台の前で判決主文を聞くと、深く頭を下げ、被告人席に戻る際に再び右手を握って軽く突き上げた。
■パレスチナ生まれのメイさんは、なかなか面倒見の良い予備校の英語講師をしているとか…。日本国籍を取るの取らないと一時騒動が有りましたが、母の世界同時革命の夢が適っていれば、国籍など無くなっていたはずなのですが、世界はそのようには動きませんでしたなあ。
主文の後は、メモの手を何度も止め、ぼんやりと宙を見つめたり、傍聴席に笑顔を向けた。無罪を主張し続けたハーグ事件で殺意を認定されると、裁判長を鋭く見つめ、時折強く唇をかんでほおを震わせた。判決言い渡しは約一時間半。判決後、裁判長から「無期懲役にしなかったのは、あなたがリーダーとして主導したと断じることはできない。しかし、責任は重いということです」と言葉を掛けられると、軽くうなずいて被告人席へ。傍聴席に向け「頑張ります、ありがとう」と笑顔を見せると、何度もガッツポーズを繰り返し、退廷する傍聴者を見送った。判決後、重信被告の長女、メイさんと弁護人が記者会見。弁護人は「謀議の日時や場所も特定していない不当な判決」と、判決への不満を述べた。
■法律の外に出て、革命の為ならどんな手段も正当化されると信じていた人が、法廷で「頑張る」姿は悲しいものを感じさせます。パレスチナでは重信さんが知らないハマスが第1党になって、武器を持ったまま政府を作ろうとしているのですから、皮肉なものです。
■何はともあれ、1987年、世はバブルの絶頂期に向ったの空騒ぎの真っ最中で、競馬場は赤鉛筆を耳に挟んだオジサンだけの殺気だった博打場から、何と家族連れや若い女性も気楽に遊びに来れる場所に変貌しようとしていたのでしたなあ。東京都内には、仕事帰りのOLさんを呼び込もうと、ジンギス汗もやらなかった夜の競馬を始めた頃のことです。既に、意味不明のローマ字表記では笑われるくらいには、日本人の英語力が向上していたらしく、中央競馬会は「Japan Racing Association」という外国向けの名称になり、その(正真正銘の)頭文字を取って略称にしたのが「JRA」でした。何だかウルトラマン・シリーズに出て来る組織名みたいですが、競馬の時代が変わったような気分を醸し出すのには成功したようです。
■しかし、この外国人にも通用すると日本人が思い込んだ「JRA」という名称は、既に辞書に載っている固有名詞だったから大変です!日本中央競馬会の方では、そんな事を知ってか知らずか、名称変更を大々的に宣伝したものですから、ポスターやらテレビ広告やらに大金をつぎ込んで日本中に「JRA」の文字が乱舞したのに腰を抜かしたのが、世界を飛び回ってハードな記事を書いているジャーナリスト達でした。一時は連名で日本中央競馬会に、「悪い冗談は止せ!」と抗議文を送ったとか送らなかったとか…。世界にその名を轟かせていた「JRA」とは、日本赤軍だったというお話です。長い黒髪がトレードマークだった女性赤軍闘士も、還暦を迎えてすっかり毒気が抜けてしまったようです。
…「主文、被告人を懲役20年に処する」。裁判長の声が法廷内に響くと、還暦を迎えた女闘士は、強気の笑顔が一転し、しばらく硬直したように立ち尽くした。元日本赤軍最高幹部、重信房子被告(60)への23日の東京地裁判決。重信被告は弁護人や傍聴席の支援者に気丈にガッツポーズをしてみせたが、表情はこわばったままだった。
■何だか痛々しい感じもしますが、元の戦場だった中東が民主化されるのされないのと、世界はすっかり変わってしまいました。別路線を採ったグループも、北朝鮮で寂しい老後を迎えるのが嫌だ!とすっかり里心が付いているようですし、「革命」を売り物にして散々儲けた人達はすっかり好々爺になって、昔の「熱き日々」を時々思い出して年金や恩給の振込み日を楽しみにしているとか、いないとか…。嗚呼。
午前10時前、東京地裁の104号法廷に姿を現した重信被告は眼鏡を掛け、ベージュのジャケットにセーター、黒のスラックス姿。事件当時のトレードマークだった長い髪は短く整えられ、白いものが交じる。ハンカチを手にした重信被告は、長女のメイさん(32)らの座る傍聴席に向かって手を振り、右手の親指を立てた後、落ち着いた様子で被告人席に着いた。証言台の前で判決主文を聞くと、深く頭を下げ、被告人席に戻る際に再び右手を握って軽く突き上げた。
■パレスチナ生まれのメイさんは、なかなか面倒見の良い予備校の英語講師をしているとか…。日本国籍を取るの取らないと一時騒動が有りましたが、母の世界同時革命の夢が適っていれば、国籍など無くなっていたはずなのですが、世界はそのようには動きませんでしたなあ。
主文の後は、メモの手を何度も止め、ぼんやりと宙を見つめたり、傍聴席に笑顔を向けた。無罪を主張し続けたハーグ事件で殺意を認定されると、裁判長を鋭く見つめ、時折強く唇をかんでほおを震わせた。判決言い渡しは約一時間半。判決後、裁判長から「無期懲役にしなかったのは、あなたがリーダーとして主導したと断じることはできない。しかし、責任は重いということです」と言葉を掛けられると、軽くうなずいて被告人席へ。傍聴席に向け「頑張ります、ありがとう」と笑顔を見せると、何度もガッツポーズを繰り返し、退廷する傍聴者を見送った。判決後、重信被告の長女、メイさんと弁護人が記者会見。弁護人は「謀議の日時や場所も特定していない不当な判決」と、判決への不満を述べた。
■法律の外に出て、革命の為ならどんな手段も正当化されると信じていた人が、法廷で「頑張る」姿は悲しいものを感じさせます。パレスチナでは重信さんが知らないハマスが第1党になって、武器を持ったまま政府を作ろうとしているのですから、皮肉なものです。
メイさんは予備校で講師をしてるんですね。