なみへい☆ブログ

青春時代アタマが固すぎてはじけられなかった後悔から、今頃はじけようとあがくちょっと見苦しい日々の記録

日本がつぶれるのだ

2012-05-23 06:41:06 | 日記・雑感
これで〜いい野田〜 これで〜いい野田〜

税率アップ 消費不況

景気がドン底

日本沈没


これで〜いい野田〜 これで〜いい野田〜

庶民に増税 富豪は減税

げんぱ〜つ再稼動

米軍 来い来い



これで〜いい野田〜 これで〜いい野田〜

政権交代過去のもの

自民と変わらない

公約ポイポイ


……ちっともよくないノダ

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骨折り詰め

2011-08-29 06:55:48 | 日記・雑感
 おととい、骨折夫はめでたく添え木がとれました。

 靴を履けるようになり、ひと月ぶりに今日から出勤。

 これまで6時半に家を出ていたのでそれくらいだろうと思っていると、6時に行こうとする!

 なんだとお!筋力が落ちてよけいにコケやすくなっているだろう夫が、昼に歩き回らなくてすむように、せっかく弁当をつくりかけているのに!

 「別にええよ〜」とか言って出かけようとするので

 「なにがええんよ、よくない!車で行くんやからあと10分くらい待ったってバチ当たらんやんか!」と朝から逆上するなみへい。きい。

 ゆうべ暑くて寝つきが悪かったので機嫌が悪いのだ。

 夫にすればいつもより余裕をもったつもりなのだろう。そうでないと危ないもんね。

 ・・・反省。押し売り弁当だなあ。

 それにしたって、夫の始業時間は9時10分。ふつうの人が電車で行けば8時過ぎに出たって間に合うのに、おつかれ様なことだ。

 今日も一日、夫がこけませんように。

 あ、弁当はちゃんと間に合いました。
 
 
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骨折り得!?

2011-08-08 06:00:19 | 日記・雑感
足の指を骨折して家で療養中の夫。

歩き回ることができない以外はいたって元気。

老眼鏡をかけて、「下町ロケット」を読み、「マルクスのかじり方」を読み、日本共産党創立89周年の記念公演を動画を見ながら読み、なんだか楽しそうだ。

家にはエアコンないから暑いやろうけど、……でもええなあ。

こっちはお疲れモード。

三度三度の食事。夫の昼食も準備してから出勤しなければならないし、「今日はお互い遅いから、晩ごはんはそれぞれ食べてかえろな〜」などというズルができない(生ビールが飲みたひ)。

仕事帰りに車で迎えにきてもらうついでに買い物することもできず、汗を流しながら重い荷物を下げて帰らなければならない(缶ビールの買いすぎという説もある)。

夫が家にいるから麦茶をつくってもつくってもすぐなくなっちゃうし、夫の行く手を遮るものがないよう片づけに気をつかうし、洗濯もん入れとってーとか洗い物してーとか頼めないし。

はよなおってくれ〜〜!!
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骨まで愛して?

2011-08-01 00:12:48 | 日記・雑感
 おとといの朝6時前。洗面所からドッス〜〜ン!!!と派手な転倒音。脊髄小脳変性症を患う夫のいる我が家ではしばしば聞かれる音だけど、心臓に悪っ。

 行ってみると、出勤前の支度をしていた夫がひっくり返っている。

 「大丈夫?」
 「うん、ちょっと頭打ったけどどうもないわ」。

 「この引き戸にぶつけたんなら、やわらかいしまあ大丈夫やろ」と夫の上半身を起こしていると夫が言う。
 「なんか足も痛えわ。あら……??なんじゃこりゃあ」

 「なになに??」と見れば
 なんとまあ、右足の小指があらぬ方に曲がっているではありませんか。

 「こりゃあ、どねえかなっとるなあ。外に曲がっとら。うわー気色わる」と自分の足の指を気味悪がっているが、痛くないのか??前から思っていたけど、だいぶ鈍いんじゃ……?

 どう考えても折れているので、病院が開くのを待つ。
 「うわあ、色が変わってきた」「うわあ、ものすごうふくれとる」と、相変わらずのんきな観察をしている夫をつれていく。
 ただでさえ歩行困難な夫、さすがに一人では歩けない。

 診察の結果、「骨折してますね」。
 ……あちゃあ、やっぱり。

 右足は靴もはけない、骨折でいつも以上に踏ん張りがきかないとなれば、一人で歩けば“二次災害”は必至。こりゃあ、しばらく休むしかないね、と思っていると…
 
 夫「先生、ちょっとくらい歩いてもいいですかね?」
 
 (私 なんやとお?休まへん気かコイツ?)
 
 医師「ああ、ちょっとならいいですよ。重心を小指にかけないようにしてね」
 
 (私 そんな芸当できませんて。重心をとること自体に一苦労してんですよこの人は。またそんなこと聞いてコイツはどうする気やねん)

 私の脳内抗議行動を無視して、医師と夫は会話を終了。
 
 帰途、夫はまだ「なんとか行けるんと、ちゃう?」などと言っている。

 ならへん。絶対ならへん。片足サンダルばきで支えなしに歩けるわけがない。輪をかけた大けがをするに決まってる。いまだって、私につかまってようやっと歩いてるんやん。


 帰宅後、何時間もたってから突如、夫が言い出した。
 
 「なみへいちゃん。こりゃあやっぱり行けんわ〜」

 ……。最初からそう言ってるやろ、アホウ。


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1周忌

2011-05-29 23:19:40 | 日記・雑感
 義父の1周忌法要があり、4日間夫の実家に帰っていました。

 命日まで1か月ありますが、暑くなるし、座敷にはクーラーがないし、農繁期でもあるし……ということで、ひと月早くしようと去年から決めていたのです。

 なのに、はや梅雨入りとは想定外でした。

 足下が危なくなって、裏山のお墓にあがるときが心配でしたが、なんとか無事すませました。

 家でやる法事はたいへん。

 家の中や外回りのそうじ、お供え、湯飲みやお茶碗やお酒のしたく、お返しの準備、祭壇のこしらえ、何升も蒸す赤飯……

 義母の仕切りと事前準備があるからなんとかなりますが、自分たちだけでやれと言われたら、仏具の扱いも飲み込んでいない私は困ってしまう。

 あまりそういうことと縁のない家に育ったし、信仰もないので、結婚して以来何度もあったこうした仏事にはとまどいと反発がありました。

 でも、親戚や隣近所との交わりを深める貴重な機会となってきたのも事実。法事がなかったら、いまほど夫の兄弟やいとこたちと仲良くなれたかどうか……

 夫や私の番になったらともかく、いまは父がやってほしいと思っていた通りにしてあげたいと思っています(お互いに物入りなのと、仕度の負担が重いのは女ばっかりだというのはやっぱり不満ですが)。

 それより、生きているうちに、してほしいと思っていることをしてあげないといけないんだなあ。義母にも実母にも……

 法事のことで頭がいっぱいのときに、実母がおなじことをなんども電話してくるので冷たい受け答えになってしまったことを反省。
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コタコタの再開…

2011-05-26 07:10:26 | 日記・雑感
 知人に心配かけるような記事をアップしたっきり、放置していたので、更新しなくちゃと思っていた矢先、あの東日本大震災が起こりました。
 あまりに衝撃が大きくて、ことばを失ってしまい、なにも書けませんでした。

 その頃、いっせい地方選挙を延期してほしいと首相官邸や各政党にメールを送りましたが、実現せず。
 はじめはいたたまれない思いでしたが、阪神淡路のとき、政治が被災者のくらしの再建を置きざりにしたための苦しみを味わってきた私たちだから、同じ思いを繰り返させたくない。保険料が払えない人から医療をとりあげ、「自己責任」を強いるものと、被災者に自力でたちあがれといってきたものの正体は同じだということに思い当たり、それをただすチャンスとしていっせい地方選挙をたたかってきました。

 でも選挙が終わったら絶対ボランティアに行こうと決めていて、先週ようやく福島県いわき市にいくことができました。共産党の募集しているボランティアです。
 ほんのささやかな活動ですがいってよかったと思っています。でもおととい、報告したらパワポ77ページにもなったから、もういっぺんここに書く元気は出ん……。
 おいおいに、書けたら書きます。

 ただね、帰ってきてから、「福島に行ってきた」って言ったら驚かれてしまった。
 その人のまわりでは、「福島からはもう逃げるしかない」という話になっているそうなのです。その人は「逃げられない人はどうするんよ」と思っていたそうですけど。

 たしかにまだ放射性物質の漏出は続いています。
 わたしも自分の被ばくの可能性について全然気にならなかったわけではありません。でもわずかな期間だし、事前にいくらか勉強して、行き先では神経質になる必要はないレベルだと判断しました。

 現地では、地元で39年前から原発の危険性を指摘し、とくに津波がきたときに冷却機能が失われる可能性について東電や国に警告してきた運動団体の方のお話も聞きました。
それだけにいっそう怒りはつのりました。

 同時に、福島の人は汚染されたふるさとで身をまもりながら生きていかなくてはならない。
 実際、たいへんな津波被害の道路一本へだてたところで、代掻きや田植えがはじまっていたり、なんとか元の家に住めるようにとがんばっている被災者の姿に出会ってきました。

 現地では、ただでさえ深刻な地震・津波被害にくわえて、原発事故の影響により、事業所が撤退したり、風評被害で工業製品までもが売れなくなり、地域経済が壊滅の危機に瀕している。そんななかで、ただ危ないとだけあおるだけの議論は、いっそう被災者を追いつめてしまうと私はおもいます。

タイトルについて…
 ボランティアセンターの方が炊き出しをしてくださるというので、ボランティアは自立自助が基本ですから、と辞退しようとしたら、「作業がはじまったらコタコタになって帰ってくんだよ」って。クタクタでなくてコタコタなんだね。たのしくなって、使わせてもらった。
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もういやっっ

2011-01-13 01:44:10 | 日記・雑感
 このところ、一番悩まされているのは実母のこと。

 一昨年末、どうもおかしい、単なるもの忘れの範疇を越えていると感じ、「もの忘れ外来」に連れていった。「認知症」ではなかったが、「軽度認知障害」という状態だとわかった。時間の観念がうすくなり、すぐ前にした約束を忘れてしまう。同じ話をくりかえす。一日中、ものをさがしてばかりいる。

 食事も一応自分でつくるし、火の不始末などもない。調子のいい日は問題ない。傍目にはあまりわからないと思う。だから、善意かもしれないけど「年取ったらだれでもそういうものよ」などと言う人がいる。


 もともと、外とのかかわりが少なく、世間が狭いから、どうでもいいようなことを気にやむタイプ。そこへもってきて自分のそういう状態がストレスになっている。暇なので一日中おなじことをくりかえし考えている。

 それがたまって、「死にそうだからきてほしい」などと電話をかけてきて、約束をキャンセルしていったら電話したことも忘れていたりする。わたしに「いつもありがとう」などといいながら、最後にはひどいことばで責めたりする。「あんたが病気のときには○○してあげたのに」などという。
 「きてくれ」というのに、集会に行く予定だったから、いっしょにいこうと誘ったときは、初めて会った私の仲間に、「近くにいるのに放っておかれている」と訴える。

 ここんとこ、毎日毎日、ポストに母からの手紙が入っている。どこから始まっているのかわからず、紙にも封筒にもところかまわず脈絡もなく、筋道なしに書かれている。言いたいのは自分がどんなにつらい思いをしているかということらしい。

 きのうもおとといも長い時間話して「うん、わかった」といったこともまたゼロにもどってしまってる。疲れて帰ってきて、手紙が入っているとうんざりする。

 年のせい、認知障害のせいでもあるから、寛容にならなければと思う。でも、被害者意識のつよさやものの言い方が昔と同じなので、なかなかやさしくできない。

 仲のいい母娘ではなかった。
 10代の終わりくらいから、どろどろの毎日。母の話は、私を責める材料をさがしてどんどん筋道をそれていく。わたしが自分の主張をしようとすると「○○(弟)が寝てるでしょっ!静かにしなさい!」とか「親にむかって!」ということばで封じたり、しくしく泣いたりする。大学に入ったのも分不相応だ、といわれた。私が自分の生き方を見つけたいと共産党に入ったのも気に入らず、責める(支持はしている、自分は理解者だ、というのであるが)。そんな家に帰りたくないからよけいこじれる。

 その頃言いたかったことは、子離れして、わたしの生き方に干渉するのはやめて、おかあさんの生き方を見つけて欲しいということだった。
 これは親離れしていない自分の未熟さを棚にあげた言い方だし、実際には早く死んだ父の生前の事情などもからんで話はもっと複雑だったのだけど、でも核心はそういうことだった。

 考えれば、子供の頃から母は私を支配したかったのだと思う。小学校4年のときに、ノートを渡されて、「ここになんでも思っていることを書きなさい」といわれた。あるとき「今日死のうと思った」と書いた。小4で死にたいというのも尋常でないけど、それを読んだ母は「どうしてこんなこと書くのっ」と烈火のごとく怒った。
 それで子どもながらに、私の考えを知りたいというのは、わたしの心のためでなくて、お母さんのためなのだ、お母さんが書いてほしいと思うようなことを書かなくてはだめなのだ、と思った。自分の本心はいわず、母の思うような自分になろうとして、大きくなるにつれ、どんどんどんどん、自分が嫌いになっていった。今で言うリスカを繰り返していた。

 それでも、だんだんと、私も変わってきた。
 母を客観的に見るようになって、そういう生き方しかできなかったのだと理解しはじめた。
 上海で生まれ、9歳で終戦。ようよう引き揚げて、5人兄弟の一番上として、大家族の食事の確保や家計をささえる手助けをした。洋裁の専門学校にいくことになったが、入学式の電車賃がなく、いけなかった。弟妹たちは全員、高校以上の学校を出ているのに、母だけが中学しかいけなかった。そのとき「どうせなら世界一の馬鹿になってやろう」と決意したそうだ。「あんな決意をしたのが間違いだった」と言ったことがあった。

 結婚して、ものすごく貧乏だったけど、落ち着けるかと思ったら、4歳の私と2歳の弟を残して、父が死んだ。家で洋裁をしながら必死に私たちを育てた。外に目をむけるとか子ども以外になにかを見つける余裕などなかっただろう。
 私が学生になり、弟が就職して今度こそ落ち着けるかと思ったら、隣家からの類焼で家が焼けてしまった。

 母とのいさかいは直接・間接に貧困に起因するものだった。母を親としてでなく、ひとりの女性として接するようになった。自分の未熟さもわかってすこし謙虚になり、母への接し方も変わってきた。そうしたら、母の態度も変わってきた。

 そうやって、近年はそれなりに仲良くやっていた。ときどき腹がたっても、こころのなかで「負ける強さと負けるやさしさ またおとなに変わってゆく」とビギンの歌を歌って、言い返さないようにしてきた。

 でも、5年前に神戸のアパートを出なくてはならなくなって、私の自宅近くに引っ越してきたが、私が母が思うほどの頻度で来ないからか不満をつのらせていた。わたしなりにいっしょに遊びにいったり、訪ねたりしてるのだけど、昨年は特に母にかまっていられなかった。
 仕事ができなくなって、趣味も外にでていくこともなく、母には空っぽの時間が流れるようになった。そして軽度認知障害に。

 一方、夫の父が亡くなって、義母がひとりになった。私が夫の実家に住まなければならない日が遠からずくるかもしれない。
 見守りつきの高齢者住宅を、母が帰りたがってる神戸でさがしてみようと、とりあえず気軽に見に行くことをもちかけたら、それが混乱のもとになった。

 手紙に「どんなにさびしいか、この夏ひとりで寝込んでたのに声もかけてくれなかった。近くで安心ってあんたがいったのに云々…」

 この夏といえば、義父が亡くなり、葬儀、初七日、追いかけるようになくなった義母の兄の葬儀、逮夜。香典返しの準備。位牌、墓碑、仏壇の買い替え。年金、相続、名義のきりかえ。納骨、家でやる供養と接待、初盆、粗供養の準備。
 岡山―神戸を通勤しながら、体の不自由な夫に代わっていろんな後始末と慣れない仏事に奔走していたころ。私だって心身ともに疲れ果てていた。

 それでも、合間に母を食事に誘ったのだ。そしたら、弟の香典のことを少しもらしたら怒り出し、急に葬式にきてほしいなどというからみんな混乱するのだなどと言い出し、いろんなことを持ち出して責める。

 口をきくのもいやになって電話もしなかったら、義母に「娘はどこにいるんでしょうか。うちには1,2回しか来てくれていません」と電話してきた。

 声をかけなかったのはおかあさんのせいじゃないのといいたいのをがまんして、「別にいま引っ越すとかじゃなくて、先のことを考えて見てみるだけ見てみようよ」といって「わかった」といったのに、また翌日「この夏…」という手紙。

 もういやっっ!!
 だいたい夫の親も抱えてるのになんでわたしばっかり責められないとあかんの!弟夫婦なんて、数年前に母といさかいをして以来、盆や正月ですらウンでもスンでもないのに!

 私には子どもがいなくて、義務を果たしてないとかいわれちゃうけど、かまうもんか。母にさせられてきた思いを、絶対に自分の子どもにさせることはないと思うとほんとうによかったと思う。

 以前のように、母の境遇に心を寄せてみようとするけど、今日は頭の中にビギンの歌も流れてこない。
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鼻づまりだけど鼻で判断

2011-01-11 07:21:02 | 日記・雑感
 やっとかんとあかんな〜と思う家事も、風邪でしんどいからほっといて寝床に入る。

 やばいな〜と思っていたら、やっぱり。

 餅(自家製・いっぱいある)にかびがふわふわ……。
 ま、お酒で洗っとけば問題ないでしょ。目立つところはナイフで削って余分は冷凍室へ。

 黒豆の煮返し。
 
 大量にある野菜の保存食づくり。

 もらっていた練り物、余りもののかまぼこをつかっておでんづくり。
 賞味期限は4日前か…くんくん。だいじょうぶ。火通すし。
 だいたい、賞味期限を境に突如食べられなくなったりしないしない。弁証法さ!(はあ?)

 夫はねえ…しんどいとき、ご飯してくれるのはいいけど、わざわざ買ってきた材料でするんだよねえ。

 ましてや、黒豆の煮返しやら保存食作りなんて。「こうやって、ああやって」っていったらするだろうけど。のどが痛いのにそんなんやってられへん。

 なかなかしつこい風邪のようです。用心してたのにね。みなさまもご自愛ください。

 
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卯ぅ〜

2011-01-08 21:45:50 | 日記・雑感
 ぐるぢい。

 やっばぢ、夫の風邪がうづっでしばいばした。

 ……鼻にティッシュをつめこんでいるのでごめんなさいよ。

 久しぶりに39℃の熱が出てしんどかったです。熱は下がりましたが、咳で寝られないし、鼻の奥とのどに熱っぽさが残り、鼻水がとまらない。

 ふだん、ティッシュはせいぜい半年に1回、5箱セットを買うくらいのものなのに、1日1箱の頻度で使ってしまい、鼻の下は赤むけを通り越して、なめし皮になっておる。かちかち山のウサギさん。
 
 う〜、またいきなりダメダメ大人や〜ん。この連休は、4月の選挙にむけてがんばらんとあかんですのに。

 はよ治そ。卯酒、じゃない、卵酒でも飲むか。

 
 う〜う〜言っているところに、母が初詣の帰りに買ったといって「う」を持ってきてくれました。

 

 

 上はメロンパン、下はクッキー。
 昔から顔のあるお菓子は気の毒で食べられないんよなあ。バリバリ。
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初出です

2011-01-04 07:14:20 | 日記・雑感
 お正月はあっという間に過ぎました。

 各地で雪が多くてたいへんでしたね。うちのいなかでも30日の晩に帰省したら積もっていて、翌日も溶けませんでした。

 義父のいないお正月、初詣もなく、おおみそかに義姉の家に届け物をしたほかはどこにもでかけずに過ごしました。

 今日から出勤です。

 夫は昨日から仕事だったので、昨日は朝5時に起き、いっしょに車で出ました。山陽自動車道はいつもより車が多い気はしましたが、市内へのバイパスはすいていて、いつもより30分も早くつきました。

 そこから私は電車で帰宅。
 田舎では朝早いし、台所仕事と畑仕事に追われ、たくさん持っていった本もほとんど読めなかったので、ゆっくりしたいなあ、と思ったけど、今度は一人で過ごしている実母を呼ばねばと買い物と料理…なんだかつかれちゃった。夫のかぜが移ったかなあ…。

 あらら、新年早々しゃんとしないことを書いていてはいけませんねえ。

 今年はいっせい地方選だ。

 明るい年にしたいです。

  
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