『自己との戦い』とよく聞く言葉ですが、自分を自分で
奮闘鼓舞するのですね。
自分の辛さや苦しさに負けてはならないぞ!と
いうことです。
ここで『自己とは何ぞや?』ですが、私(自我)のことを
指しているのですね。
“ひとつ”である“真の自分”のことではありません。
『自己との戦い』は、言葉の通り戦いをしていては苦痛に
なるのです。
それは勝ったり負けたりが永遠に続くのですから、
いつも幻想の中に入ったままということです。
ですから『自己との戦い』の真の意味は、戦いを放棄して
忘れ去るということです。
生きているうちに、遠く遠く『自分』と離れていくと
いうことです。
それが“只なる実践”の持続です。
本来に還り着く道ですから、『自己との戦い』は
「思考自我」を消し去ることですね。
同じく心配、迷い、不安、苦悩、恐れ等を創り出す
私(自我)を消し去ることです。
そこに還り着けば、穏やかな安らぎのある“絶対安心”の
境地と成るのです。
ここが「嘘か真か」を超えた“真の世界”といえるでしょう。
奮闘鼓舞するのですね。
自分の辛さや苦しさに負けてはならないぞ!と
いうことです。
ここで『自己とは何ぞや?』ですが、私(自我)のことを
指しているのですね。
“ひとつ”である“真の自分”のことではありません。
『自己との戦い』は、言葉の通り戦いをしていては苦痛に
なるのです。
それは勝ったり負けたりが永遠に続くのですから、
いつも幻想の中に入ったままということです。
ですから『自己との戦い』の真の意味は、戦いを放棄して
忘れ去るということです。
生きているうちに、遠く遠く『自分』と離れていくと
いうことです。
それが“只なる実践”の持続です。
本来に還り着く道ですから、『自己との戦い』は
「思考自我」を消し去ることですね。
同じく心配、迷い、不安、苦悩、恐れ等を創り出す
私(自我)を消し去ることです。
そこに還り着けば、穏やかな安らぎのある“絶対安心”の
境地と成るのです。
ここが「嘘か真か」を超えた“真の世界”といえるでしょう。