『悪魔には実体が無く、ただ己の心の内を映し出して
いるに過ぎない』と、難行苦行の末お釈迦様が
仰っています。
すべてが自分の心だと言うことで、
その他は“何も無い”ということです。
ここで言う悪魔とは欲望、執着のことを指している
のですね。
この悪魔の欲望、執着は事実、実体はありませんが、
心の中に在ると思えるから悪魔であり「幻想」なのです。
「幻想」は過去から出てくるのですけど欲望、執着は
身を滅ぼすほど危険極まりない恐ろしいものです。
ですからこの欲望、執着という「幻想」を忘れ去る、
消し去る“只なる実践”の持続をしているのです。
心の中から悪魔が消え去ると、穏やかな安らぎの境地
が訪れてくるのです。
そこは『生死』によって発生する欲望、執着という
「幻想」の無い、永遠の“絶対安心”がひかり輝いているのです。
いるに過ぎない』と、難行苦行の末お釈迦様が
仰っています。
すべてが自分の心だと言うことで、
その他は“何も無い”ということです。
ここで言う悪魔とは欲望、執着のことを指している
のですね。
この悪魔の欲望、執着は事実、実体はありませんが、
心の中に在ると思えるから悪魔であり「幻想」なのです。
「幻想」は過去から出てくるのですけど欲望、執着は
身を滅ぼすほど危険極まりない恐ろしいものです。
ですからこの欲望、執着という「幻想」を忘れ去る、
消し去る“只なる実践”の持続をしているのです。
心の中から悪魔が消え去ると、穏やかな安らぎの境地
が訪れてくるのです。
そこは『生死』によって発生する欲望、執着という
「幻想」の無い、永遠の“絶対安心”がひかり輝いているのです。