佐渡に棲んで

退職後の第二の人生を佐渡島で半農半漁の生活でおくり、日々の雑感、釣果の報告などを綴る

わら草履つくりの初体験。

2011年11月30日 18時12分20秒 | 日記
先日26日、近くの小学校で「わら草履」作りの 講習会が開かれ参加しました。

今の時代になんで「わら草履」と思われるでしょうが 実はあるわけがあって

大量のわら草履が必要となっているのです。

そのわけとは、 今をさかのぼること65年前、昭和21年1月14日夕方、

ここ高千地区の 北立島集落の海岸に英軍機が不時着しました。

その時に地区の総力を挙げて機体の引き上げから、乗員の世話

さらに入川海岸に石を敷き詰めたにわか作りの滑走路を作り

40日後に無事離陸して飛び立ったという事実があり

今度、その実話に基づいた映画が製作されることになって

「飛べ!ダコタ」という題名が決まって準備が進められています。

その映画の撮影時にエキストラが履くわら草履が大量に必要と

なっているのです。

協力を呼び掛けるポスター。


事実を伝える記念碑 (英国機着陸記念塔)



わら草履製作講習のインストラクターの方々


私の作品

これを履く人は災難と思ってください。

地区の協力を呼び掛ける"高千弁”の寄せ書き。


高千弁では「だ行」と「ら行」がごちゃまぜとなって

だ・ら、ど・ろ、で・れ、がひっくりかえったり

「す」の発音が「し」や「しぇ」、「しぃ」になったりします。

ここに書いてある「やられ ろーしぇる」

「やらんで どうする!」「いっしょにやろうや」という意味です。


ちなみに、だら、どろ、でれ、がひっくり返る例としては

「労働組合」は「ドーロー組合」となり、旧国鉄労組のひとつになります。

「道路」はひっくり返って「ロード(ROAD)]英語になるかと思いきや

「ろうろ」となって力が抜けます。

「らちあかん(だめだ)」は「だちかん」


数え上げればまだまだありますが、方言の解説は又の機会に。

時化続き

2011年11月25日 14時49分19秒 | 日記
冬間近の佐渡島は時化ています。

気温も低くなり炬燵に加えて今日からは

座敷にストーブを入れました。

女房が大豆を転がして選別するのに

冷えるからです。

海も波が高く怒涛の波音が部屋でも聞こえます。

「波の花」が波打ち際から道路を超えて畑や家に飛んでいます。

遠くから見ると綿のように白く風流ですが実際は

海中のプランクトンの死骸なので粘っこく色も汚れた

泡です。

塩分を多量に含んでいるので車の錆の元になります。

これからの時期は時化た時は出来るだけ車での

外出は控えることになります。



時化になる一昨日の夕方、久しぶりにアジ釣りを

してみました。

豆アジに混じって25センチ前後が50ほど、

空揚げと天麩羅にして、天麩羅は冷凍しておき

これからの季節の天麩羅うどんや天丼のネタにします。




冬支度

2011年11月18日 06時58分00秒 | 農作業
つい先日まで暑さすら感じていたのがここ数日は

冷えこんで炬燵とすっかりねんごろとなっています。

秋が短いというより夏が長かったのでしょうか。

農作業の方は豆類の収穫で大豆や小豆の取り入れを

おこなっています。

又冬に向かっての冬支度で玉ねぎの風除けも行いました。

1000本以上の苗を植えていますが風でやられて

消えてしまう苗もあります。


手前の長ネギは今年は根切り虫にやられて例年の半分もありません。

年末に子供達に送る分がやっと確保できるかどうか。

昨年は大豆が虫の害で収穫がほとんど無く、味噌も仕込めませんでしたが

今年はなんとか頼まれた分を収穫できそうです。

田畑の事はほとんど女房が主役で私は労力を提供する形ですが

女房はプロの専業農家の友人たちからアドバイスを受けたりして

あちこちに点在する畑にいろいろと作っています。

ほとんどが子供達に送るものです。



同級会

2011年11月15日 18時24分40秒 | 友人知人

12日に伊香保温泉で高校時代の同級会が開かれ参加しました。

会場は野口雨情の定宿だった「森秋旅館」館内には

BGMで野口雨情の童謡が静かに流れていて旅情をそそります。


昼前に新潟で同郷の級友に拾ってもらって佐渡からの参加者と

2台に分乗して15時に会場に到着、

早速旧交を温めます。

卒業以来46年ぶりに再会する者、

前回の12年前の湯田中温泉以来の者・・・

話は尽きません。

一旦、各部屋に分かれて、入浴後

宴会場で開始。


入学時、男子36名、女子12名の計48名のクラスが

編入者、中退者がいて卒業時は50名。

この日集まったのは男性15、女性6の計21名。

50名中すでに鬼籍に入った者10名、2割の人が亡くなっています。

物故者に黙祷をささげた後、宴会です。


恩師の近況や不参加者の近況を報告しあいながら盛り上がります。

紋付、袴の正装で謡曲を披露する者、サックス、ギターの演奏あり。

ひたすら飲む者、食べる者、・・・

宴会を一旦お開きとして2次会場へここではほとんど飲む者は居なく

各自の近況報告。

話題は親の介護、老人福祉、

病歴自慢?常備薬の数自慢?


今だから話せる裏話。


やんちゃに明け暮れた悪たれ坊主がもっともらしくうなずいたり

マドンナたちもそれなりに上品に歴史をきざんでおり

探せば何とか男子生徒の心をときめかせた面影がかすかに残っていたり

話は尽きませんがてんでに部屋に引き揚げて朝食で再開。


朝食が済んだとたんにほぼいっせいに朝食後の薬の服用タイムです。

あっちでもこっちでも意外やあのかつてのマドンナまでも

ガサゴソと薬を取り出しコップを傾けています。


旅館をチェックアウト後、分乗して榛名高原へロープウィで榛名富士神社へ

水沢うどんで昼食後各方面に分かれて解散。


私は新潟に住む二人と相川の一人計4人で新潟へ。


新潟駅南口の居酒屋で4人で反省会、22時まで話し込みました。


次回の再開を約して解散しました。








佐渡に戻りました

2011年11月15日 17時13分50秒 | 日記
先月29日に佐渡島を離れ、自宅のある滋賀県の近江八幡で

過ごして11日に近江八幡を出発して新潟市の義妹宅へ

女房は3泊して、私は12、13日は伊香保温泉での

高校時代の同級会に参加して新潟に戻り、昨日朝の

フェリーで佐渡島に戻りました。


行った先々で天候は良く寒さは感じることは

有りませんでしたが、佐渡に戻ったら一転して

昨夜から雨模様で冷え込み、早速炬燵に電源を入れて

あったまっています。


近江八幡では滋賀県内に住む3人の娘たちとその家族と

食事をしたり、孫たちへの誕生日プレゼントや

新入学のランドセル、お小遣い・・・・・

財布が軽くなる材料に事欠きません。


3女が休みを採ってくれて次女の娘達、三女の娘達と

北近江リゾートへ出かけて温泉と大きな海老フライで有名な

バイキングを楽しんだりしたことは良い思い出となりました。

今度近江八幡に帰るのは来年の秋となるでしょうから

今10歳になる3女の上の娘が0歳の時から行き出した

保育園も次女の二人の娘、3女の下の娘と絶え間なく続き

三女の下の娘が来年入学すると縁がなくなります。

足掛け10年の保育園の送迎も今回で終わりと思うと

感慨もひとしおです。


市街地の様子も行くたびに変わっていて、大規模なショッピングモールが

毎回増えていっています。

その反面小さな店舗がシャッターを閉ざしているのが気になります。

道路がドンドン変わっていっています。

カーナビにはまだ登録されていない立派な道路が増えています。


戻ってきた佐渡島でも佐渡総合病院がヘリポート付きの新建屋に

移転しました。