俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

言葉狩り

2015-12-08 09:52:18 | Weblog
 来年の干支は猿だ。申年(さるどし)の年賀状は毎回「見ザル、聞カザル、言ワザル」の図柄を使っている。勿論これは逆説であって「見聞を広め、勇気を持って発言したい」という意思表示だ。48年間(5回)変わらずこの新年の挨拶を続けているが、昨今の風潮ではこれは差別的表現に該当しそうだ。「メクラ、ツンボ、オシ(いずれも放送禁止用語)」を愚弄していると解釈できるからだ。
 世知辛い世になったとつくづく思う。子供の頃、私はこう教えられた。「戦前は軍隊が自由な言論を封じていたが、戦後は民主主義の時代だから皆が勇気を持って発言せねばならない。」GHQによる占領政策に感化された教師は言論の自由を熱く語ったものだ。
 しかしアメリカ流の言論の自由は実は二枚舌(多分これも放送禁止用語)だった。人種や宗教についての発言は厳しく規制されており、軽率な発言をすれば社会的地位を失いかねない。
 アメリカは移民の国だ。インディアン(これはアメリカでは差別語に当り「ネイティブアメリカン」と呼ぶことが正しい)以外は総て移民だ。メイフラワー号に乗ってピルグリム・ファザーズが移民したのは1620年だ。何と日本の江戸時代のことだ。そんな新参者がヒスパニック系住民の増加を忌々しく思っているし、中東からの難民の受け入れにも難色を示している。まるで「目糞・耳糞が鼻糞を笑う(放送禁止用語)」を地で行くような話だがWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)の本音はガチガチの白人至上主義だ。共和党の大統領候補のトランプ氏の人気が妙に高いのはあの暴言・放言こそWASPの本音でありそれをトランプ氏が代弁しているからだ。
 偽善の民主主義を植え付けられた日本においても本音と建前が乖離する。自由な発言を許さない「道徳的な」人々が言葉狩りを始める。人種や宗教の問題が比較的少ない日本においては些細な差別的表現まで過剰に騒がれる。「ブラインドタッチ」や「片手落ち」や「狂気」などの言葉まで放送禁止用語に指定されている。マスコミが勝手に自粛するだけなら構わないが、放送禁止用語がまるで普遍的基準であるかのように扱われて一般市民の発言まで統制されつつある。
 言論の自由は最早葬られて言葉狩り横行する「物言えば唇寒し秋の空(芭蕉)」の時代へと逆戻りしてしまったように思える。私は民主主義の本質とは異なった意見の共存であり、多数決の乱発や正義の押し付けは最も民主主義に背くことだと考える。日本全体としては寛容な人が増えている中、こんな人々の善意に付け込む不寛容な人々が自分達の偏見を敷衍しようとして吠え続けている。差別反対を隠れ蓑に使った彼らのファッショ的体質を見逃すべきではない。

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