俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

生きがい

2012-05-29 14:47:30 | Weblog
 何でも生きがいになる。蓄財であれ女漁りであれ子育てであれ本人が「これが私の生きがいだ」と決めれば生きがいになる。決める必要さえ無い。思うだけで充分だ。
 生きがいは創造されるものではない、捏造されるものだ。大した根拠も無く信じ込まれる。だから容易に失われ再生される。「彼女こそ我が命」と思っていた男が幻滅すればすぐに次の偶像をでっち上げるようなものだ。この心理を背後で操っているのが「盲目的な生への意志」だろう。生きることが予め肯定されているから生きる意味など何とでも捏造できる。
 「生への意志」とは奇妙な欲求だ。通常の欲求は欠乏を充足しようとするものだが、これは現状を維持することを目標とする。「死なない」ということが本来の目標であり「何をやりたいか」は後付けだ。尤もらしければ何でも構わない。
 「死にたくない」という欲求を裏付けるための消極的な生きがいではなく「これをやり遂げねば死ねない」という積極的な意志こそ望ましい。仏教では、愛着は執着に過ぎないとして諦念を説くが、執着こそ本来の生きがいだろう。安易な生きがいは無価値だが執着は「生」を意味あるものにしようとする積極的な意志として尊重されるべきものだろう。

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