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( by 後藤 純一/めるがっぱ )

須田ノート:なぜ「人気がない」か

2014年12月23日 13時17分25秒 | Weblog


 「須田国太郎は絵が暗いので、人気がない」と言う知り合いがいた。
確かに須田国太郎は一部に熱心なファンを持ちながらも、人気の裾野は広がりに乏しい
画家だ。
須田の絵を求める好事家は少なくないと聞くが、一方でマスコミや美術雑誌で取り上げ
られるのはまれで、回顧展でも会場に賑わいは見られなかった(須田展の後に開かれた
藤田嗣治展のにぎわいに驚かされた)。
ただ、その理由はと考えると、「絵が暗い」からというほど単純なことではなさそうだ。
(強弁を承知で言えばゴヤ晩年の代表作「黒の絵」は暗いという点では須田の作品以上に
暗い絵を含むが、「暗い」から人気がないとは言えない。)
結論を先に書けば、須田の絵を見ていわゆる作者の表現、個性が「わかる」という
印象を持ちにくいことが、ファン層の広がりを難しくしている理由だと思う。
絵を見てこの画家はこういう絵を描く人だと納得するものが得にくいといことだ。
これは画面の描き方が変化していったとか、いろいろなスタイルで描かれた絵が多いと
いうことではない。
誤解を招く言い方だが、同じような時期に描かれた同じような画題の絵はそこに共通したものが
現れるのが、多くの画家の例ではなかろうか。
同じ画家の複数の作品を見れば、細部の違いを越えて、一連の絵に作者の表現、個性を納得する
「印象」を見て取れるのでは。
須田国太郎は、その「印象」が得にくい画家なのだ。
須田の絵には難解な絵が多いが、そのことを言っているのではない、
ピカソやダリの絵が「難解」だとしても、その「難解」さがその画家のスタイルと見る側は
納得する。須田の場合、同じような画題の絵を描きながら、一点、一点が時にまるで違い、
結果としてなにを描こうとしたのかが見えにくいのだ。
それぞれの絵には作者の個性が感じられるのに、見終わって振り返ると、この人はどういう絵を
描いた画家なのかという戸惑いが残る。
須田の絵が見る側に不安を与えるのも、根本的にはこの点から来る気がする。
絵を多く見れば見るほど、自分はこの人のなにもわかっていないのではという不安を
抱くのだ。