あなたと夜と音楽と

まあ、せっかくですから、お座りください。真夜中のつれづれにでも。
( by 後藤 純一/めるがっぱ )

須田ノート:「発掘」について(その2)

2012年09月29日 20時47分41秒 | Weblog
 
「発掘」について岡部三郎の「資料研究」は、「おそらく
南イタリヤの古代遺跡、ヘルクラネウムを訪れたとき興味
深く見た地上発掘現場の自由な記憶画である。」と書いている
(p9)。
須田はイタリヤを2度、訪ねている。
同書の須田の日記に「ヘルクラネウム」の名前も現在の地名の
エルコラーノも出てこないが、1921年(大正10年)3月6日の
日記に「単独Pompeiへ」とある。
あるいはこの際、ポンペイの北西にあるヘルクラネウムも同時に
訪ねたのかもしれない。ポンペイと同時に火山の灰に埋もれた
都市だ。
岡部の書き方でははっきりしないが、須田は遺跡を「興味深く」
見ただけではないのだろう。
「地上発掘現場」とは、実際に発掘作業が当時進められていたのを
眼にしたと読める。
日記原文には「ヘルクラネウム」の名称や発掘作業に触れた
記述があるのだと思われる。
(須田は帰国時の1923年4月にもイタリヤを訪ねているが、その
日記には遺跡を訪ねた記述はみあたらない。)
遺跡の向こうに見える山なら、では「発掘」の遠景に描かれた山は
ヴェスビオス火山を意識したものだろうか。
これは違うと明確に言い切ってよいかと思う。
写真やネットで見られるヴェスビオスは「発掘」の山とはまるで違う。
ゆるやかな裾野を広げ頂上の火口に向け急峻な、富士山に
よく似た形である。
「発掘」の、テーブル状の火口を見せ、等高線がゆるやかに続く
山並みとは明らかに違う。
むろん、日本の山岳風景でもないことは明らかであり、
素直に考えれば、この絵の山はスペインの高地を思わせる。
須田が滞欧期に描いたスペインの風景の延長上にあると見える。
たとえば、「モヘンテ」(京都新聞社画集#26:1922)の遠景に
「発掘」の山並みに、よく似た卓状の山が描かれている。
山は遠く形状をぼかして描かれており、「発掘」の臨場感、
現実感をもって迫ってくる姿に描かれているわけではないが、
よく似ている。

 強いて言えば、「モヘンテ」に限らず、滞欧期作品に描かれた
スペインの山岳風景と、「発掘」の山はやや雰囲気が異なる。
その月の世界かと思わせる、こころなしか死後の風景とも
思える、人を拒む佇まいは、この絵独特のものとも感じさせる。
スペインの風景にさほど親しんでいるわけではないが、
その荒涼としながら奇岩、異形な形を見せる風景は
どこかユーモラスでもあり、見方によれば、人懐っこさを
さえ感じさせるものがある。
その奇異な姿は近づく人間を懐に誘い込み、包み込む
雰囲気を持っている。喩を言えば、ハロウイーンの
飾りものが持つ幼児的な親しみやすさに似ている。
(個人的には、ガウデイの建築にこのスペインの山岳、
奇岩の記憶の反映を連想する。)
しかし、「発掘」に描かれた山は、そういう山ではない。
親しみやすさよりは、人を寄せ付けない威厳と冷たさを
感じさせる。






須田ノート:「発掘」について(その1)デルボー

2012年09月21日 19時00分47秒 | Weblog
 画面を見ると、近景にシルエットのように描かれた人馬像が
鮮やかな印象で飛び込んでくる。
左側の(発掘の作業者らしい)人物から2頭の馬にまたがった
裸体の人物へとシルエットが画面の左下から右上方向へと
対角線上に走っている。
(この人馬像の動線は、遠景のなかの動線に
静かに受け止められている。
遠景の山並の作る等高線が右上のテーブル状の火口?
から左方向に少しづつ下がっていく動きがさざなみの
ような左から右への動線となって、遠景に埋め込まれている。
この等高線のかすかなリズムが近景の人馬像の動きの鋭さを
木霊のように受け止め、画面に奥行を作っている。)

 中景の発掘現場は抽象的で、どこかデルボーの夢想的な
画面を思わせる。
作業現場の仕切りはまるで監獄の壁のようだし、壁際の
ポールもなんのためのものか分からない。
人馬像の足の向こうに円柱が横たわっているが、「発掘」と
いう題名がなければ、そこが遺跡とは思えない。
私見では、この現場は近景の人馬のシルエット像を
補完するために描かれたのであり、画面上の存在感は薄い。
人馬の神話的な現実感の薄さを支えるために、より抽象的で
非現実的な雰囲気を持つ舞台を用意したと思える。
これは現在の画面から見た結果論であり、制作途中で消えて
いった構想を想像してみると別の見方も可能だ。
おそらく絵の構想の初期、須田が描こうとした原モチーフでは
現在の画面上にある近景、中景は一体のものとして
あったのではなかろうか。
遠景の山並みに対峙する近景の骨組みを模索しながら、
構想を具体化していく過程で、結果として「発掘現場」と
「人馬像」に分離、独立していった気がする

(もともと発掘現場と人馬像を一体であったと考えれば、
その絵の重心は中景の壁際に立つポールにある。
実際、人馬像はポールの頂点を焦点とする一点透視法で
描かれていると見ることができる。
あたかも、人馬像はこのポールを映写機として近景の
スクリーンに投影されたかのようだ。)
 
 「発掘」の絵に戻って、あらためて見てみると、
人馬像の背景となっている遠景の山が眼に入ってくる。
須田は多くの山を描いているが、そのなかでもこれほど
存在感と臨場感を感じさせる山の眺めは少ない。
「発掘」の絵としての存在感は、遠景の山並みにある。
この山の描写には作者の視線が丹念にその山肌を見つめた
実在感がある。どこまで実景に忠実かはともかく、須田は
現実の山を描いたもので、空想の山ではない。
特に、手を伸ばせば届くような、その場にいて作者とともに
視線を向けていると感じさせる臨場感は、他の絵では
みられないものだ。
「発掘」の画面を支えているのは、遠景のこの
山並みである。

「発掘」の山並みはまるで月面の山脈を、月面の
砂の上に立って、見つめているかのようだ。
人を拒むような風景であり、ひどく苦い思いが感じられる。
赤土の禿山で緑が皆無な表面がどこまでも続いている
ためなのか、見ていて息苦しい。
その山肌を上って行っても無味な乾燥した景色が広がる
だけだという諦念が続く景色だ。
この山並みの存在感、臨場感があるから、生き生きとした
逆光下の人馬像の躍動する姿が見る者により強く迫って
くる。