「発掘」について岡部三郎の「資料研究」は、「おそらく
南イタリヤの古代遺跡、ヘルクラネウムを訪れたとき興味
深く見た地上発掘現場の自由な記憶画である。」と書いている
(p9)。
須田はイタリヤを2度、訪ねている。
同書の須田の日記に「ヘルクラネウム」の名前も現在の地名の
エルコラーノも出てこないが、1921年(大正10年)3月6日の
日記に「単独Pompeiへ」とある。
あるいはこの際、ポンペイの北西にあるヘルクラネウムも同時に
訪ねたのかもしれない。ポンペイと同時に火山の灰に埋もれた
都市だ。
岡部の書き方でははっきりしないが、須田は遺跡を「興味深く」
見ただけではないのだろう。
「地上発掘現場」とは、実際に発掘作業が当時進められていたのを
眼にしたと読める。
日記原文には「ヘルクラネウム」の名称や発掘作業に触れた
記述があるのだと思われる。
(須田は帰国時の1923年4月にもイタリヤを訪ねているが、その
日記には遺跡を訪ねた記述はみあたらない。)
遺跡の向こうに見える山なら、では「発掘」の遠景に描かれた山は
ヴェスビオス火山を意識したものだろうか。
これは違うと明確に言い切ってよいかと思う。
写真やネットで見られるヴェスビオスは「発掘」の山とはまるで違う。
ゆるやかな裾野を広げ頂上の火口に向け急峻な、富士山に
よく似た形である。
「発掘」の、テーブル状の火口を見せ、等高線がゆるやかに続く
山並みとは明らかに違う。
むろん、日本の山岳風景でもないことは明らかであり、
素直に考えれば、この絵の山はスペインの高地を思わせる。
須田が滞欧期に描いたスペインの風景の延長上にあると見える。
たとえば、「モヘンテ」(京都新聞社画集#26:1922)の遠景に
「発掘」の山並みに、よく似た卓状の山が描かれている。
山は遠く形状をぼかして描かれており、「発掘」の臨場感、
現実感をもって迫ってくる姿に描かれているわけではないが、
よく似ている。
強いて言えば、「モヘンテ」に限らず、滞欧期作品に描かれた
スペインの山岳風景と、「発掘」の山はやや雰囲気が異なる。
その月の世界かと思わせる、こころなしか死後の風景とも
思える、人を拒む佇まいは、この絵独特のものとも感じさせる。
スペインの風景にさほど親しんでいるわけではないが、
その荒涼としながら奇岩、異形な形を見せる風景は
どこかユーモラスでもあり、見方によれば、人懐っこさを
さえ感じさせるものがある。
その奇異な姿は近づく人間を懐に誘い込み、包み込む
雰囲気を持っている。喩を言えば、ハロウイーンの
飾りものが持つ幼児的な親しみやすさに似ている。
(個人的には、ガウデイの建築にこのスペインの山岳、
奇岩の記憶の反映を連想する。)
しかし、「発掘」に描かれた山は、そういう山ではない。
親しみやすさよりは、人を寄せ付けない威厳と冷たさを
感じさせる。