東京文化財研究所と聞いて、ああ、あそこかと
すぐに分る方は多くおられるのだろうか。
つい最近まで、私はこういう研究所があることを
知らなかった。
ネットで調べると、「独立行政法人 国立文化財機構」傘下の
組織で、国立博物館と並ぶ位置にあり、ほかに
奈良文化財研究所がある。
パンフレットによると、東京文化財研究所の沿革は、「昭和5年
(1930)6月に帝国美術院に付属研究所が設置された」という
記述から始まっている。
「日本美術年鑑」を出していた矢代幸雄の研究所のことだろう。
現在の活動は多岐にわたっている。
無形文化財の記録や調査、文化財の修復保存活動、海外との
協力活動、そして各種資料の収集・データベース化と
おおまかに四つの柱があるらしい。
須田国太郎を調べていてありがたいのは、
この研究所に新聞資料が多く集まっていることだ。
図録や美術雑誌も当然あるが、新聞の記事が
切り抜きとなって集められている。
切り抜きとは文字どうりスクラップブックのことだ。
須田の関係で言えば主に昭和35年前後以降の資料だが、
当時の担当者がはさみで新聞を切り抜いて糊付けした
ままが閲覧できる。
スクラップブック作りは地味な仕事である。
当時の担当者はどんな思いで作業としていたのだろうと、
ページをめくりながら、ため息が出る。
新聞記事は現在の図書館中心の資料収集と
データベース化のなかで弱点になっている。
図書・雑誌中心の図書館では新聞資料は各社から出ている
縮刷版が主となっているが、縮刷版は特定の版だけであり、
少なくない記事がそこから零れ落ちているからだ。
美術館のライブラリーは図書館以上に図書・雑誌中心だから、
須田の遺作展の批評記事などは美術雑誌だけに限られて、
新聞での評は抜け落ちてしまいがちだ。
いずれ将来はこのスクラップブックが
デジタル化され共有化される日が来ることを
夢見たい。
東京文化財研究所は上野にあるが、鶯谷で
降りたほうが早いかもしれない。国立博物館の
裏手、寛永寺の墓地近くである。
資料閲覧室は月水金だけのオープンなのが、
悩ましい。予算の関係なのかと思うが、
せめて月火水とか水木金とか連日の公開にできない
ものかと思う。地方から泊りがけで出かける者には
助かる。
すぐに分る方は多くおられるのだろうか。
つい最近まで、私はこういう研究所があることを
知らなかった。
ネットで調べると、「独立行政法人 国立文化財機構」傘下の
組織で、国立博物館と並ぶ位置にあり、ほかに
奈良文化財研究所がある。
パンフレットによると、東京文化財研究所の沿革は、「昭和5年
(1930)6月に帝国美術院に付属研究所が設置された」という
記述から始まっている。
「日本美術年鑑」を出していた矢代幸雄の研究所のことだろう。
現在の活動は多岐にわたっている。
無形文化財の記録や調査、文化財の修復保存活動、海外との
協力活動、そして各種資料の収集・データベース化と
おおまかに四つの柱があるらしい。
須田国太郎を調べていてありがたいのは、
この研究所に新聞資料が多く集まっていることだ。
図録や美術雑誌も当然あるが、新聞の記事が
切り抜きとなって集められている。
切り抜きとは文字どうりスクラップブックのことだ。
須田の関係で言えば主に昭和35年前後以降の資料だが、
当時の担当者がはさみで新聞を切り抜いて糊付けした
ままが閲覧できる。
スクラップブック作りは地味な仕事である。
当時の担当者はどんな思いで作業としていたのだろうと、
ページをめくりながら、ため息が出る。
新聞記事は現在の図書館中心の資料収集と
データベース化のなかで弱点になっている。
図書・雑誌中心の図書館では新聞資料は各社から出ている
縮刷版が主となっているが、縮刷版は特定の版だけであり、
少なくない記事がそこから零れ落ちているからだ。
美術館のライブラリーは図書館以上に図書・雑誌中心だから、
須田の遺作展の批評記事などは美術雑誌だけに限られて、
新聞での評は抜け落ちてしまいがちだ。
いずれ将来はこのスクラップブックが
デジタル化され共有化される日が来ることを
夢見たい。
東京文化財研究所は上野にあるが、鶯谷で
降りたほうが早いかもしれない。国立博物館の
裏手、寛永寺の墓地近くである。
資料閲覧室は月水金だけのオープンなのが、
悩ましい。予算の関係なのかと思うが、
せめて月火水とか水木金とか連日の公開にできない
ものかと思う。地方から泊りがけで出かける者には
助かる。