長崎めぐみ教会 tearoom 2

日本イエス・キリスト教団 長崎めぐみ教会から、楽しいお知らせ、牧師のつぶやき、日記、メッセージなどお楽しみください!

良きコーチは、、、

2021-02-09 23:48:45 | 学び


コーチは、カウンセラーではありません。
コーチは、神様がその人に与えておられるものを、その人が見いだすことを手助けするだけです。
コーチが主になって教え導くのではなく、コーチは常に、”I’m second" ,
コーチを受けられている人こそが主。

「その人が自分の内側の隠れた本質を知らされることこそが大切」
「コーチもコーチを受けている人も、共に神様が知らせようとしていることを見出すためにその時がある」と、言うこと?

今日のセミナーを受講しながら、
このセミナーの本質に少し近づいた気がした。
けれど、
すぐに出しゃばって答えを与えようとするから、
まずは、コーチをするよりも、私こそコーチを受けなければならないのかもしれない。
 

Good day 💛

2021-02-05 18:06:30 | ひつじかい日記(2)
スゴイものを見てしまった!
家に帰り着いた今も、まだ、胸はワクワクしている。

🚢

バッシ、パッシと音がするので、
なにげなく音のする方を見たンだ。
すると、
ナ~んと、クジラのの子どものとような魚?が、
私から10メートルも離れていない海中で、
背中を見せては水に潜り、見せては潜り、
背中が上がってくる度にパッシと音をたてて、
そしてまた潜る。
そうしながら、ゆったりとゆったりと海の深みに帰っていったンだ。

🐋

普通の魚にしては大きい。
クジラにしては小さい。
10年前、この地に赴任して間もなく、
「大村湾にはスナメリというイルカのような魚が時折、群れを成して泳いでいます」と、
海沿いのレストランのウエーターの方から聞いて、
大村湾を眺める度に期待の目を凝らしたものの、今まで一度も見かけることはなかった。
まさか、今日、その日を迎えるトハ。。。

…回覧板をもったここに住んでいるらしき人とすれちがったので、聞いてみた。
ヤハリ、そうだったンだ。
群れてなくても、小魚を追いかけてここまで来ることがあるそうだ。
こんな感動は、忘れないうちに書いておかなければ!!
こうした思いは、実際見た者でなければ味わえないものなンだから。

🌊

荒波がこわいほど押し寄せてくる時もあれば、
穏やかな日もある大村湾。
今日は、いつもになく、静かで、コバルトブルーの深みがこわいほど澄んでいる。
なにかが、いつもと違っていた。
このような日は、
人魚がでてきても、河童がでてきてもおかしくないように思えて来る。

🚗

40分ほどのウオーキングを終えて、
ウッスラ暗やみが漂い始め、急いで車を我が家に走らせた。
信号待ちでなにげなく外を見ると、
二匹の小犬を連れたお父さんが目に入ってきた。
小犬たちはしっぽをはちきれんばかりにふりながら歩いていく。
あの二匹は家に着くなり飛び跳ねんばかりにじゃれ合って幸せなひと時を過ごすに違いない、
と思っていたら、ナント、もう一匹が大事そうにお父さんの方腕にしっかり抱きこまれているではないか。
三匹の幸せな小犬たちと、
とても幸せそうな空気を巻き付けて、
小犬を抱えたお父さんは、角を曲がって姿を消した。

🐶

小犬だけではない、
今日は、私にとっても幸せな日だったンだからね!


落葉松  北原白秋

2021-01-25 21:33:06 | 

落 葉 松
   
北 原 白 秋



      
   からまつの林を過ぎて、
   からまつをしみじみと見き。
   からまつはさびしかりけり。
   たびゆくはさびしかりけり。

         
   からまつの林を出でて、
   からまつの林に入りぬ。
   からまつの林に入りて、
   また細く道はつづけり。

        
   からまつの林の奥も
   わが通る道はありけり。
   霧雨のかかる道なり。
   山風のかよふ道なり。

        
   からまつの林の道は
   われのみか、ひともかよひぬ。
   ほそぼそと通ふ道なり。
   さびさびといそぐ道なり。

       
   からまつの林を過ぎて、
   ゆゑしらず歩みひそめつ。
   からまつはさびしかりけり、   
   からまつとささやきにけり。

       
   からまつの林を出でて、
   浅間嶺にけぶり立つ見つ。   
   浅間嶺にけぶり立つ見つ。
   からまつのまたそのうへに。

       
   からまつの林の雨は
   さびしけどいよよしづけし。
   かんこ鳥鳴けるのみなる。
   からまつの濡るるのみなる。
  
        
   世の中よ、あはれなりけり。
   常なけどうれしかりけり。
   山川に山がはの音、
   からまつにからまつのかぜ。





"渇き”

2021-01-15 07:42:43 | 聖書日課
「私が与える水を飲む者は決して渇かない。」 ヨハネ福音書4:14

 
 イエスは人の心をご存知です。人の心が渇いているのを知っておられます。
 激しい渇きの原因は罪にあります。罪は、私たちの心を神に対して閉ざします。
それで魂は空虚になり、何かを求めて叫びますが、それが何であるかは判りません。

それで魂の渇きをいやそうと、あれこれと試みます。気晴らしをはじめます。
娯楽を探し始め、ついには悪い習慣に身を任せるほどになります。
魂がそれほど渇いているからです。

 しかし、これらの試みは成功しません。一時的な処方にすぎないのです。
それは酒や麻薬と同じです。それをやめると、前よりももっと渇き、
その上、健康も損なうのです。
 
 そこで、ほかの治療を探します。
 仕事に夢中になります。一生懸命働き、有能になり、その方面で頭角をあらわします。
しばらくは、そのことが心を満足させます。ここは生き甲斐があると考えます。
名誉、収入、権力への欲望で、気持ちは一杯です。
ところが欲望の水を飲めば飲むほど、渇きは強くなってきます。
人々が有能な人だとほめればほめるほど、心の奥底で、渇きを癒されることを求めて、魂は叫ぶのです。
 それは、まことの神を求めての叫びであり、魂の渇きです。



O ・ハレスビー 聖書日課「みことばの糧」から


 

 

1月のつぶやき

2021-01-14 17:18:52 | ひとりごと
夕方5時が過ぎてもまだ明るい。
気が付けば、新年も1月半ば。
諸事情で、一日が猛スピードで走り去り、
心が落ち着かない。

ともあれ、
私の大切な人生の時が、着々と過ぎてゆく。
不安と期待の入り混ざる微妙な2021年の1月14日、木曜日、午後5じ23分。