ヤングライオン通信

ocnブログから引っ越してきました。

SCOOP!

2016-10-06 21:05:04 | 映画
昨夜は遅くまで東京で吞んでいた。

そのおかげでお休みだったはずの本日午前中の予定を完全に寝坊。

悔やんでいてもしょうがないので映画に向かう。


「モテキ」「バクマン。」とスタイリッシュでポップな作風が気に入っていた大根仁監督の最新作。
以前TBSラジオで彼がパーソナリティをしていた番組も毎週聞いていた。

ただ今回は正直、あまり作品そのものが話題になっているとは言えない。


朝10時の上映回。私の他は私と同世代くらいのご夫婦らしき2人組のみか。





フリーのカメラマン都城静(福山雅治)は、芸能人のスキャンダルを追いかける写真誌のパパラッチ。

編集長からの依頼で静は女性新入社員、行川野火(二階堂ふみ)を助手として押し付けられる。

静の古い友人である情報屋チャラ源(リリー・フランキー)の協力を得ながら、2人は有名人のスキャンダル写真をどんどんゲット。
掲載した写真誌「SCOOP!」は大人気雑誌へと上り詰めていく。

そして最初は反目し合っていた静と野火もパートナーとしてのお互いを意識し始めていた。

しかしそんなある日、静の携帯にかかって来たチャラ源からの電話に、静は青ざめる。







事前の作品に関する話題は「あの福山雅治が汚れ役に挑戦!」という点。

確かに「ガリレオ」シリーズの湯川学や「そして父になる」の野々宮をはじめ、比較的冷静でどちらかというと寡黙なインテリといった役の多い彼が、派手な柄シャツに革ジャンを羽織り、無精ひげとモジャモジャ頭でタバコ(葉巻?)を咥えて下品なことばかり口走っている姿は、彼のイメージとは結びつかない感じはある。


見どころであったはずのそのイメージのギャップ。
それが私にとっては最後まで飲み込めず、いつまでも喉の奥でイガイガするのが気になってしまった。

結果、福山雅治という俳優の「演技の下手さ」がすごく目立ってしまっている気がする。


それは彼の技術的問題もさることながら、演出、特に会話のシーンに問題がある様に思えてならない。

福山を含め他の出演者にも、二階堂ふみや吉田羊・遠藤憲一など比較的最近評価されている役者たちを揃えている。
それなのに、彼らが顔を突き合わせていながら、本当に上っ面の会話しかしていない様にしか見えないのは、やはり演出に問題があると思わざるを得ない。

何がどうおかしいか明確に言えないのが悔しいが、簡単に言えば「(会話が)つまらない」のだ。
こう言ったらこう返すよね、そしたらこう答えるよね…という会話の展開がただの状況説明になっているだけ。そこに何のヒネリも工夫も感じなかった。

その結果キャラクター達に興味を持てなくなってしまう。





ただ、一つだけ言っておくと、今回物語のキーマンとなるチャラ源。
演じたリリー・フランキーは間違いなく過去最高のデキ。

最優秀助演男優賞クラスの好演だった。

プライベートでも2人は仲良しだというのがスクリーンからも伝わってくる。




「モテキ」「バクマン。」ではセンスの光ったエンドロールの作りにも今回は興味は持てなかったし、同じく大根監督得意のエロシーンも総じて無味乾燥な感じ。
「セクシー女優やグラビアの女の子を出しとけば男は喜ぶだろ。」と思ってはいないとは思うけど、こんなもんじゃないよね、監督。というのが正直な印象だ。

ベランダで見せたあの人とあの人とのキスシーンだけは良かったけど。



あらためて振り返ってみて、退屈な映画。

ここのところ急激にファンを減らしていると話題の福山雅治。
根強く支持する彼のファンでもこの作品を観て満足はできないんじゃなかろうか。


オススメ度:58点










映画 聲の形

2016-10-01 00:11:45 | 映画
今日で9月も終わり。

月内に片付けねばならない仕事を、大まかに、極めて大まかに整理して帰途についた。


その途中。

思い立って今日も映画館へ向かう。


夜8時過ぎ。
ロビーのモニターにいくつも並んだ作品名の中、一つだけ光る「満席」の文字。

これがすでに公開から1か月以上経過した「君の名は。」のスクリーンだということを知り、この人気はとんでもないところまで来たものだとあらためて実感する。


「聲の形」。

原作コミックが存在する(した?)ことくらいしか予備知識はないが、「君の名は。」ブームで陰に隠れてしまうこともなく、むしろ相乗的に好評を得ているらしい。


受付でタイトルと上映開始時間「8時35分」を告げると、スタッフのお兄さんが座席表のモニターをこちらへ向けてくれる。

劇場中央部はほぼ埋まっていたが、ど真ん中に1席だけ空いている。多くのペア同士が距離をおいて席を取るとこういったデッドスポットが発生するのは1人客の私としてはありがたい。

おそらくカップルだらけの谷間であろう席を確保して中へ。


…いやぁ。

客席の3分の2程を埋めた観客の平均年齢は20歳に満たないだろう。
仕事終わりでそのまま来た結果、ワイシャツのサラリーマンはこの空間では完全なる異端者だ。

そして相変わらず上映開始時間が過ぎてからもダラダラと入って来る奴ら。
彼らに気付かれない様に睨みつけながらCMをやり過ごす。

そして「映画泥棒」も終了。


さて…私はどうにも隣席に恵まれないらしい。

今、本編が完全に始まってもなお、右の2席が空いている。


ああ、神よ。

実は数分前に核戦争が起きて、もうこの映画館型シェルターの外は生命反応ゼロ。
少なくともネオ・ジャパンが新政府の元、復興の時を迎えるまでのあと2時間は誰も入ることも出ることも叶わぬという事態でありますように。


しかし、願い虚しく数分後には悪びれもしない若者がやってくるのである。
ため息をつきつつ意識をスクリーンへ戻す。






小学生の頃いわゆるガキ大将だった石田将也。

ある日、その小学校のクラスに耳の不自由な女の子西宮硝子が転入して来る。

西宮をどう受け入れていいのか分からないクラスメイト達。
次第に西宮は浮いた存在になり、将也も悪ふざけから西宮をからかい始める。

そしてそれは西宮の母からの苦情へと繋がり、将也はその犯人として逆にクラスの仲間全員から距離を置かれる存在になってしまう。

そして5年が経ち、高校生になった将也はまだ心を閉ざしたまま、学校の誰とも仲良くなれずにいた。

そんなある時、転校した西宮の所在を知ることとなった将也は、彼女の通う手話サークルの会場へ向かうことを決意する。







ヒロインの西宮は耳が聞こえず、口をきくことができない。

物語の発端は「いじめ」。
でも、この作品のメッセージはそこではない。

筆談か手話しかコミュニケーションの手段がない彼女を健常者と比較して一般的に「不自由」と表現するが、果たして本当に不自由なのはどちらなのか。


相手の気持ちを理解したい。

自分の気持ちを伝えたい。

誰もがそう願いながら、その自由に使える言葉によって結局お互いを傷つけながら生きている。
その傷つけあいの中で登場人物たちは学び、成長していく姿が描かれている。


その意味では、物語のリアルとフィクションのバランスがもう少し取れていると良かった気もする。


なにしろ主人公の将也があまりにもピュア。

これが現代高校生の平均的姿だというなら仕方がないが、やはり高校生はもっとしたたかで利己的で、それでも傷つきやすくて…これだけ可愛らしい女の子たちに囲まれながら、年頃の男の子がその誰ともほぼ下心なく触れ合っていく不自然さは終始感じざるを得なかった。

好青年であるからこそ、そこにもっと観客が共感できるリアルが欲しかった。


私自身が原作をまったく読んでいないことが、物語の展開やキャラクターをすんなり受け入れることを多少なりとも阻害しているのは間違いない。

序盤でいじめっ子だった将也が逆の立場になっていく描写が、あえて時間を細かく前後させながら示されるあたりも、初めて観る者には最初何が起きているかよくわからない。

また、おそらく物語上重要な要素なのであろうエピソードだということは分かるのだが、あまりにもあっさりと挟み込まれた結果、全体の流れが止まる様な箇所もいくつかあった。


印象的なシーンも多く、泣ける映画ではある。
後半は劇場のあちこちで鼻をすする音が聞こえた。

ただ、正直な感想としては、良くも悪くも「泣かされた」といった感じ。



それぞれ観る人の過去や環境によって、登場人物の誰に自分を投影するかは異なるだろう。

ある人は周りに気を遣い過ぎる結果、ぎこちない笑顔と「ごめんなさい」と謝ることを身に着けてしまった西宮かもしれないし、ある人は気になる相手を大切に思うが故に将也に近付く異性を過剰に攻撃してしまう上野かもしれない。

この上野は比較的わがままなヒール役として登場するが、むしろ私たちの心の底にあるエゴは彼女に一番近い気もする。




「私を周りから孤立させているのは、他の誰でもなく自分自身なのだ」というメッセージも、多くの共感を呼ぶだろう。


今年正月から数えて30回目の作品は間違いなく、すごくまっすぐですごく前向きな映画だった。



オススメ度:77点