いとうな日々

MLB、プロ野球他野球全般、ニュースなどについて、勝手にコメントさせて頂いてます!

「球春到来」:西南学院大対東京大学オープン戦

2012-02-25 | 九州六大学野球
対東京大学オープン戦天気はあいにくで、曇り、小雨もちらついて寒さを感じましたが、同級・球友の船津君と西区田尻にある西南学院田尻グリーンフィールドに野球観戦に出かけました。



糸島のリョーユーパングラウンドで春合宿中の東京大学とのオープン戦です。東京在住の節には神宮球場や東大グラウンドで時々見ていたチームなので興味がありました。当時の印象はさすが東大、クレバーなチームであることが脳裏にあり、その点に注目してオープン戦を観戦しました。



グラウンドに到着した時は、第一試合の7回裏で西南学院が7-2でリードしていましたので、ゲーム的な分析をすることはできませんでした。結果はそのまま西南学院が勝利しました。この時期は、勝った負けたよりも重要なことはそのゲームで何をテストしたか?であると考えます。春のリーグ戦までのスケジュールで、目標に対しその進捗状況を計るためのテストをどれほど行ったか?だと思います。



対東京大学オープン戦昼食を挟んで第二試合が予定されているということで引き続き観戦しました。昼食時、バックネット裏で東大の石上君と話す機会がありました。彼は一年生の投手だそうですが、肩を痛めていて今は投げられない状態でした。よい機会ととらえじっくり走りこんで下半身の強化に努める等、有意義な話ができました。話していて頭のよさが十分に感じられる好青年で、きっといい投手になると感じました。



第二試合を5回まで観戦しましたが、東大はバント、走塁をキッチリやるチームとの印象を受けました。東京六大学の強豪チームに勝つには絶対必要なことです。自分たちができることを手抜きをせずキッチリやる。大切なことです。



短時間でしたが、久しぶりに野球を堪能することができました。西南学院大が学ぶべき点が随所にあり、現役の選手は参考にしてほしいと思います。
野村元監督の言う「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」は、けだし名言であると思いました。


行徳正祐元監督を偲ぶ会

2012-01-30 | アマチュア野球
行徳前監督を偲ぶ会昨年12月10日に開催された、行徳正祐前監督を偲ぶ会の報告がS46年卒の眞鍋君より送られてきましたので、ブログに掲載します。

福岡市西区姪の浜の臨済宗大徳寺派の海晏山・興徳寺本堂に参集し、住職福山正文先輩(修猷館野球部のS35年卒)による読経、供花、焼香のあと、敷地内のお墓に移動し、再び読経、焼香を行いました。

その後、バスで修猷館高校に移動し、練習中の現役を激励しました。

会食はアークホテルで行い、各学年のOBが行徳前監督との思い出を語り合いました。普段は顔を合わせることのない同窓生多数とお会いでき大変有意義な会でありました。


警固神社の桜 満開

2011-04-02 | WEBLOG
警固神社の桜4月2日である。すっかり暖かくなりました。いよいよ旅立ちの季節です。東日本大震災は昨日からの3日間、集中的な遺体捜索だそうです。起こったことを悔やんでも仕方がないですが、全ての遺体が発見されることを祈ります。

第二次大戦では、「靖国神社」の桜となって会おう!と、多くの兵士が命を落としました。今回の震災で命を奪われた人達もきっと毎年満開の桜となって帰ってきてくれるものと信じます。

バスの乗り継ぎで天神の「警固神社」を通りました。桜は満開になっています! 自然は厳しさもあるけれど、優しさも持ちあわせています。ブログを書いている今も、余震です。早くおさまって欲しいのもです。

パッと咲いてパッと散る。桜はそういう花です。今年は、「花見」「桜まつり」など震災で自粛ムードのようです。早く平凡な日常が訪れるよう祈らずにはいられません。震災の影響をうけている人々に比べれば幸せな我々は、出来ることをして復興に協力することが、役割であることを肝に銘じる日となりました。




長嶋茂雄氏 東北を激励

2011-03-19 | プロ野球
長嶋茂雄氏のメッセージ

長嶋茂雄被災された皆さん、頑張ってください。いま言えることはそれだけです。そして自分に言い聞かせているのは「信頼すること」の大切さです。
被災された皆さんが、避難された時の助け合い、自己犠牲、忍耐、秩序だった行動など、テレビで報じられたそんな姿を見て、人が互いに信じ合うことの強さに打たれました。
被災地から離れたところにいる私にできることは何か、節電や不急、不要の電話や車を使った外出を避けるぐらいしかできないのをいら立たしく思いますが、日本人のすべてが皆さんを見守って、できることをやるぞ、と決めていることを信じてほしいと思います。
東北地方には、選手時代に公式戦の遠征で何度か行きました。いつでしたか、不調の時の遠征で、仙台のすし屋でバッティング談議を始めたところ、主人が子供用のバットを出してきたので素振りをしたことがあります。その翌日の盛岡の試合で私は本塁打したのですが、そのすし屋の主人はその子供用のバットを大切にしていて、なんと野球体育博物館に寄贈してくれたそうです。
色紙東北というといつも思い出す話です。野球とファンの結びつきをうれしく思うと同時に、私たち野球人ができることは野球を通じての復興へのお手伝いなのだ、とあらためて心に銘じています。
選手がいつでも試合ができる状態で備えておくのはもちろんですが、被災された方々と常に心を一つにして非常時に立ち向かう気構えを持たねば、と覚悟しています。
東北地方の皆さんの忍耐強さとくじけぬ心を信頼します。私もできることに力を尽くす、とお約束します。
皆さん、頑張ってください。頑張りを信じています。
北海道新聞=「長嶋氏が被災者に手書きで激励 「がんばれ東北」」

「がんばれ東北」の色紙は長嶋氏が自らリハビリ中の左手で書いたもの。現役時代「天才」と評されたが、不断の鍛錬、努力は知る人ぞ知るところであった。長嶋茂雄氏からの激励はきっと震災に遭遇した人々に勇気と希望を与えるの違いない。




海晏山 興徳寺 (かいあんざん こうとくじ)

2011-03-05 | アマチュア野球
興徳寺福岡市西区姪の浜に臨済宗大徳寺派の海晏山・興徳寺がある。住職は修猷館野球部の先輩の福山住職である。そして此処に西南の先輩であり修猷館野球部の時お世話になった行徳正祐先輩のお墓がある。

五木寛之氏の言う「林住期」のいまは、これまで、たくわえてきた体力、気力、経験、キャリア、能力、センスなど自分が磨いてきたものを土台にしてジャンプ時なのである。世の中への恩返しの時なのだ。

社会に出てがむしゃらにいろいろやってきた。今振り返ってみると、意思決定の節目々々で行徳監督の教えがその判断、決断の元になっていたことが窺うことができる。曰く『君は今、将棋の駒の動き方を学んでいるのである。社会に出たら将棋をさすのは君なんだぞ。今のうちに駒の特徴を頭に入れるように』と。

銀行時代、その後の転職のたび、修猷館野球部のコーチをさせていただいたとき、西南学院大学の硬式野球部のコーチをさせていただいたとき、思考の根底にあるものは行徳監督の教えであった。行徳監督ならどう言われるだろうか? これからは、人脈、地脈を徐々に簡素化して本当にやりたいことに集中する。世話になってきた、世の中に奉仕しなければならないのだ。





八百長告発記者逆提訴

2011-03-05 | ニュース
週刊誌で八百長の告発記事を書き、日本相撲協会に敗訴したフリーライターの武田頼政さんが「裁判で嘘の主張をした」などとして逆に相撲協会を相手取り、損害賠償を求める裁判を起こしました。
ANN
フリーライターの武田頼政さんは2007年、週刊誌に大相撲の八百長疑惑に関する記事を掲載しました。これに対し、日本相撲協会や力士らが武田さんや出版元に損害賠償を求めて提訴し、去年、武田さん側の敗訴が確定しました。武田さんは今年に入って現役力士らによる八百長相撲が発覚したことを受け、「記事が取り上げた2006年の時点で八百長は存在していた。相撲協会は問題を放置し、裁判で『八百長はない』と嘘の主張をして名誉を傷つけられた」などとして、相撲協会に対して1000万円の損害賠償を求める裁判を東京地裁に起こしました。相撲協会は「訴状を見たうえで対応を決めたい」とコメントしています。
週刊誌は確か「週刊現代」だったと記憶しています。出版社は講談社ということです。八百長を否定し続けてきた相撲協会にとっては動かぬ証拠がでて、存続が危ぶまれる事態です。

八百長を記事にし敗訴し、損害賠償をさせられた武田氏と講談社は腹の虫が収まらないのは当然です。記者会見に講談社の顧問弁護士である、ミネルバ法律事務所の喜田村洋一弁護士が同席されているのを見て懐かしく思いました。

虚偽の証言をしてもいつかは真実が白日のもとに晒されるということを認識できない相撲協会は生き残る価値はありません。小沢さんも肝に銘じておくべきです。






博多もつ鍋発祥の地・新生飯店

2011-03-02 | グルメ
今日の福岡は風が強く、晴れている割には暖かさを感じない一日でした。九州新幹線全線開通にあわせて明日開業する新博多駅ビルが本日プレオープン。博多阪急のピンクの袋を持った人々が至る所目立った。その他おなじみの東急ハンズも出店する。

今は全国的に有名になった「博多もつ鍋」発祥の店が中央区天神の新生飯店である。高校時代、野球部で一緒だった劉楽東君が発案したものである。

中国・福建省出身の華僑であった父親の中華料理店を引き継いだあと特色を出すために考えたものである。中華スープをベースに醤油味の秘伝のスープをつくり、ホルモンの油の溶け具合で絶妙の味わいを醸しだすものとなった。

現在は「もつ鍋専門店 楽天地(ラクテンチ)」に受け継がれている。東京では中目黒の「博多もつ鍋 鳥小屋」と新橋駅ビルの「博多もつ鍋 がんこ」が忠実に劉君のあじを受け継いでいるように思える。

もつ鍋だけでなく、もつのフルコースなら中央区・大名の「味味 (みんみん)」だ。ホルモンの新鮮さ、メニューのバリエション、店の雰囲気全て満点の店だと思っている。

ラーメンも同じことがいえるが、変にコルよりもオリジナルが一番である。そういえば辛明太子にも言えるかな?辛子明太子ならやっぱり「ふくや」だ。




Good-by Wally :与那嶺要氏が死去

2011-03-02 | プロ野球
戦後の日本プロ野球を変質させた男。アメリカンフットボール仕込みの果敢な走塁、強烈なスライディング。巨人で首位打者を3回獲得、中日監督として巨人の10連覇を阻止。父親は沖縄県、母親は広島県からのハワイ移民日系2世。

与那嶺要(よなみね・かなめ、本名=Wallace Kaname "Wally" Yonamine)氏が2月28日午後9時45分(日本時間1日午後4時45分)、前立腺がんのため米ハワイ州ホノルル市で死去した。85歳だった。

実際に巨人の中堅手としてのプレーを何度か見たことがある。トップバッターとしてのシャーな打撃、果敢なスライディングやクレバーな投手との駆け引き、そしてユニホームを脱いだ後のアメリカン・ゼントルマンとしての服装が印象にのこっている。通算打率でも0.311と張本勲、川上哲治に次ぐ歴代3位の成績を残している。

ベースボールとは決してロング・ドライブのコンテストではなく、攻守走のオールラウンドにわたる激烈な戦闘であることを、日本人に実際のプレーで教えてくれたのが与那嶺であり、その意味で、彼こそ、来日した外国人選手中のナンバーワンである事は疑いない。

長嶋茂雄・巨人終身名誉監督:最近、体調を崩されたと聞いて回復をお祈りしていましたが、突然の悲報に大変驚いています。現役時代のアグレッシブなプレーに大きな衝撃を受け、野手とのぶつかり合いを恐れない激しいスライディングで、野球が格闘技であることを教えてくれた恩人です。私の監督時代、コーチとして若い選手に攻撃的なプレースタイルを注入していただきました。心からご冥福をお祈りします

革命を起こした日系二世/快速・与那嶺要

松井が親交があった巨人の大先輩、与那嶺要さんの死を悼んだ。プロとなって間もないころに「つきっきりで外野守備を教えてくださった。(打者が)打つ瞬間に集中しろと言われた。昔の話を聞くと面白かった」と語った。






忘れられない門出の言葉

2011-02-26 | 読書

ここ2~3日、春を飛び越えて初夏を思わせる陽気である。気がつけば2月も残り僅か、3月は卒業、そして新しい世界への門出の季節です。

日本経済新聞に別折されるNIKKEIプラス1に「忘れられない門出の言葉」という記事がありました。1月下旬に行ったインターネット調査の結果のようです。

●高校の校長先生が朝礼で「人生は負けることが多い。泣いたところが“竹の節”だ。己が強くなる」(30才代男性)

●上司から「習慣は人をつくる」と言われた。努力していた上司が出世したのをみて、本当にそのとおりだと思う(30才代女性)

●大学を卒業するとき恩師が「希望しない部署も『随所に主たれ』の気構えで仕事をする」と書きおくってくれた(60才代男性)

●結婚して家を離れるとき「明日から家族ではない。親せきになるんだ」と言われ、もう帰れないんだと思った(50才代女性)

●社会人になるとき、父から「他人の肉体的特徴を笑うな。笑われた人は必ず覚えている」と厳しく戒められた(60才代男性)

人生の中で忘れられない言葉というものがある。座右の銘、人生の指針とする言葉である。自分を顧みてみると福岡相互銀行に入行した当時の四島一二三会長の言葉が思い浮かぶ。

九十六歳の天寿をまっとうされた四島一二三会長は、毎朝一番電車で出勤されたり、直接お客様行脚されたり、生前には平尾霊園にユニークな格言のお墓を建てられたり、思いつかれたことは実行された地元福岡での有名人でした。⇒ (25)格言社長と発願文(26)長男の死と一番電車(29)90歳過ぎまで顧客行脚(30)「二宮佐天荘」

平尾霊園の入口正面に見えるユニークな石碑に多くの名格言が刻まれています。「満足は腐敗なり。希望なきは死なり」。私の忘れられない言葉です。




我らの国籍は天に在り

2011-02-24 | WEBLOG
ピリピ書3章20節である。平尾霊園にある西南学院・バプテスト教会納骨堂の入口にはこう記されている。

黒崎幸吉氏註解によれば、『十字架の贖いによりて救われ、義とせられし我らは、天の国に属するものであり、地上のことにつきては何らの欲求もなく、人間的価値につきては何らの誇りを有たず、また有つ必要もない。天においては大なる富を持ち大なる誇りを有するが故である。』となっている。

英文では『But our citizenship is in heaven. And we eagerly await a Savior from there, the Lord Jesus Christ,』である。(訳)「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています」ということだ。

この世での役割を果たし、神のもとに戻った人々が安らかに眠っているのである。ここに、祖父母が眠っている。年2回の催事の際しか解錠されないが、今朝立ち寄ってみた。納骨堂の前で静かに頭をたれれば、心が落ち着いていくから不思議である。