明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

横浜の踏み切り事故と「捨身飼虎(しゃしんしこ)」

2013-10-03 10:23:20 | Weblog
JR横浜線鴨居―中山間の踏切で、高齢男性を救出しようとした女性が電車にひかれ死亡する痛ましい事故がありました。父親の制止を振り切り、「助けなければ」と危険を省みることなく踏み切りに飛び込んだ女性を思うと、自己犠牲とその気高き勇気にただただ頭が下ります。事故現場には、近所の人らが相次いで訪れ花や飲み物などを手向けたとニュース等で報道されていました。何故だろうかと問い詰めた時、「あの状況におかれた時、自分ならばあの女性と同じ行動が果たしてとれるのだろうか?到底自分にはできないのではないか。」という答えにいきつくからだと思います。
この報道を受けて、私の頭をよぎったのは「捨身飼虎(しゃしんしこ)」という仏教説話でした。お釈迦様の前世の物語を集めた『ジャータカ』という説話集のなかにあります。
物語は、次の通りです。「昔、大車(だいしゃ)王の第三子に生まれた太子は、王と三王子とで園林に遊んだ際にその竹林で、七匹の子を生み餓えた虎を見ました。太子は「かって菩薩達は大悲心を持ち他を救うために自らの身を守ることなど平気で忘れた」ことを思い起こし、自らの体を崖から落とし粉々にし虎に与え子らとともに救った。」という話です。法隆寺の宝物である「玉むしの厨子」の側面にも描かれている有名な話。
写真・・・「玉むしの厨子」に描かれた「捨身飼虎(しゃしんしこ)の図」

(飢えた母虎と七匹の子虎を哀れに思い、虎の餌食となるため高台から我が身を捧げ投げるお釈迦様の前世の姿が描かれています。)
自分のいのちを投げ出し、老人を救おうとしたこの女性の行動は、まさしく「捨身飼虎(しゃしんしこ)」の尊き姿ではないのかと思ったのです。
大乗仏教(だいじょうぶっきょう=浄土真宗も大乗仏教のひとつです)には、菩薩(ぼさつ)という考え方があります。大乗仏教の根幹をなすのものです。「菩薩(ぼさつ)は、仏教において成仏を求める(如来に成ろうとする)修行者のことでした。大乗仏教では、菩薩は修行中(自利=じり)ではあるが、人々と共に歩み教えに導くために(利他=りた)、自利利他の実践でこそが大乗菩薩道とされました。その空極の利他行(りたぎょう)が、捨身行(しゃしんぎょう)です。捨身行とは、「大いなる菩薩心(ほとけになろうするこころ)を発して、他人を利益しようとするなら、衆生のために身命を捨てることなど難しいことではない」という修行をいいます。言葉では、以上の事を理解していましたが、この女性の行動は衝撃でした。多くの僧侶が、「捨身飼虎(しゃしんしこ)」の説話を思いだした筈です。この女性こそ、尊き捨身行をされた真の菩薩であったのかも知れません。
では、お前はこの女性のように、とっさの判断で捨身行(しゃしんぎょう)ができるのかと問うとき、幾ら考えても「わからない」というのが回答でした。

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3 コメント

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Unknown (ペシミスト)
2020-03-30 12:50:10
子供の命を救ったならわかる
老人なんか救う必要ねーよ
あほか
Unknown (Unknown)
2020-09-13 01:25:13
子供だから救う、老人だから救わないという打算でやっているわけではない。

生き物に優劣をつけず他者の幸福を願う心。

打算的な考え方をする我々には到底理解の及ばない境地なのかもしれない。
Unknown (Unknown)
2021-01-14 03:45:08
わからない、という事は結局はやらない、助けない、という事ですよ。

やらない理由は無限にあり、それっぽく高尚な言い回しで自己弁護する事は容易いです。今回の記事を読んだ印象は結局主は口だけご立派な一偽善者ってところでしょう。

献血から始められたらいかがでしょう?
いざというとき動けるようになりますよ。
隗より始めよです。

人に自己犠牲を説く前に自らが行わなければ説得力がありません。

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