明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

福島復興支援絆の旅(6月23日~25日)・・7(東北教区相馬組勝縁寺さんにて・・支援物資)

2014-06-30 21:59:47 | Weblog
6月24日、午前10時30分に南相馬市鹿島区の勝縁寺さんに到着。勝縁寺さんは、福島県の浜通り(相馬市・南相馬市・飯館村・双葉町・浪江町・富岡町)に位置する浄土真宗本願寺派10カ寺で組織される相馬組の組長(そちょう)さん。しかし、多くのお寺が原発事故の関係で本来のお寺の活動が展開できない非常事態に追い込まれています。
写真・・東陽組・鈴鹿組・員弁組有志の皆さんの懇念で運んできた支援物資が一同に集積。

写真・・参加者全員で「がんばろう東北」のプラカード。でも、人数が多すぎて全員は写っていないようです。

写真・・今回の「福島復興支援絆の旅」に親子で参加してくれたアテナさん(ルーマニア出身で、親鸞聖人の御教えに帰依し浄土真宗本願寺派の僧侶に)。本当に有難う。しっかりと福島の実情を目に焼き付けて下さい。

続く・・・・


福島復興支援絆の旅(6月23日~25日)・・6(飯館村を行く)

2014-06-30 20:19:56 | Weblog
6月24日午前8時、3台のバスはホテル山水荘さんを出発。目的地は、福島県南相馬市の勝縁寺さん。今日、ここで東北教区相馬組・岐阜教区東陽組・東海教区鈴鹿組・同員弁組有志の合同追悼法要が修行されるのです。「福島復興支援絆の旅」に参加僧侶は、法要に出勤。参加門信徒の皆さんは法要に参詣するのが目的。
国道115号線から県道12号線を通過するルート。県道12号線は、飯舘村を東西に縦断するルートなのです。飯館村は、阿武隈山系北部の高原地帯に位置し、文字通り山紫水明の美しい村でした。それは、我が郷土の藤原町の風景を思い出さずにはおれない程の似た風景なのです。「美しき我が郷土」なのです。ですから、農業が主産業であり、「飯館牛」は村のブランド化の象徴。人口は、約6000人と言われています。
しかし、3月11日の東日本大震災により福島第1原発はメルトダウンを起こし、3月12日以降の水蒸気爆発により放射能が拡散しました。なかでも、飯館村は30キロ圏外にありながら偶然の作用による放射能物質の降下により、国の基準をはるかに超える放射能汚染地帯となりました。しかも、一方的に様々な情報が公表。結果、全村避難を余儀なくされ村民の皆さんの不安と心労を思うとやり切れない思いがします。
写真・・福島県内の放射能汚染分布図。昨日のプレゼンにての資料。赤い帯状の地帯に飯    館村が位置する。

昨年の「福島復興支援絆の旅」で、初めて飯館村を通過しショックを受けました。バスのなかが呆然となった記憶が蘇ります。あれから1年が経過し、除染作業がどれ程進展したのか、又村民の皆さんが少しでも生活できる村に戻りつつあるのか等の期待を持ってバスの中から飯館村の様子を見ました。
写真・・・除染作業に向う作業員の皆さん。(マスクとヘルメット姿)

写真・・・除染作業と汚染土を入れた黒いシート

写真・・・放射能汚染度を除染した田圃と無人の民家

写真・・・汚染土を集めた場所。この汚染土をどこに移動させるのであろうか?

写真・・・ビニールハウスが雑草に埋もれて・・・遠くに見える民家に生活が戻ったとい     う形跡はありません。

写真・・・無人の荒野を行く・・

道はるかに遠しの感じがします。一刻も早く除染作業が完全に終了する事を願うのみです。
続く・・・・・

福島復興支援絆の旅(6月23日~25日)・・5(土湯温泉はこけしの里)

2014-06-30 04:12:12 | Weblog
私は、こけしが大好きです。哀調を帯びた顔が好きです。その顔は、人間の持つ深い悲しみを表現したように思うのです。
「土湯温泉観光協会のホームページより。」
土湯温泉は日本でも有数のこけしの里です。
雪深い土地で湯治客も少なかった頃に、一つ一つに想いを込めて作られていたこけし。
そんな「土湯こけし」には、遠い昔からの土湯の歴史と風土と人のこころが込められています。
土湯こけしは比較的頭が小さく、胴も細めです。
頭は黒一色の蛇の目模様と大ぶりな前髪があり、両側の鬢に紅色のカセ(髪飾り)が大きく描かれています。 胴は赤、黄、緑の繊細なロクロ描きの横縞が入って、クジラ目にたれ鼻、 おちょぼ口と表情が明るいのが特徴です。 そして、なにより頭が胴にはめ込み式で、首を回すとキイキイと愛らしく鳴くのがかわいらしい。←(知らなかった。新しい発見。本当です。こけしの首を回すと音がします。
土湯こけしを最初に作り始めたのは、今から160年ほど前の文政年間。
私達の宿泊したホテル山水荘さん(五つ星の宿)にも、全館コケシが飾られていました。
玄関ロビーのこけし。この巨大こけしが私達を出迎えてくれます。

ロビーには、実に表情豊かなこけし達が・・・・

私は、中央のこけしが大好き・愛嬌があります。

こけしの雛飾り。



続く・・・



福島復興支援絆の旅(6月23日~25日)・・4(安穏クッキーとメッセージ)

2014-06-29 00:07:25 | Weblog
6月23日、午後8時から行われた勝縁寺さんのプレゼンが修了したのが午後9時過ぎ。これで終わりではありません。
下の写真・・・・テーブルに置かれたシャープペンシルに注目。

明日(6月24日)に、勝縁寺本堂で修行される合同追悼法要(東北教区相馬組・岐阜教区東陽組・東海教区鈴鹿組・同教区員弁組有志)にお供えするお供物に、メッセージカードを添える為なのです。下写真のイチョウの葉をアレンジしたメッセージカードも手作り。

そして、安穏(あんのん)と印刷された中には、これまた手作りのクッキーが入っています。

これも、「絆の旅」に参加された自坊門徒のご婦人(自坊が実施した過去の絆の旅も全て参加)の製作。その数は、何と約300枚。この数をお一人で焼かれた。6月中旬以降は、他の仕事は全てキャンセルしクッキー焼きに専念されたとか?これが、被災された方、被災地の人々に寄り添うという事なのでしょう。それにしても、メッセージカード・安穏クッキーを一人でこなされたご婦人の熱意には、ただただ頭が下るのです。
時間は、午後9時を回っています。今日は長旅でした。疲れもピークです。しかし、誰一人として席を立つのことなくメッセージを書いていただきました。今回の「福島復興支援絆の旅」の目的が共有化された瞬間でした。
下写真は、お供え後に全員に配られた安穏クッキーとメッセージカード。何ものにも変え難い最高のお供物です。

福島復興支援絆の旅(6月23日~25日)・・3(ホテル山水荘にてプレゼン)

2014-06-28 05:57:09 | Weblog
6月23日午後8時より、ホテル山水荘にて浄土真宗本願寺派相馬組組長(そちょう)の勝縁寺さんよりプレゼンが行われました。勿論、会場は夕食会場とは別。

員弁組有志・鈴鹿組・東陽組という浄土真宗本願寺派に所属する3つの団体が、教区・組を垣根を超えて実施する今回の「福島復興支援絆の旅」。それぞれの事情があり温度差があるのも事実。南相馬市の訪問にあたり何が必要なのか?物見遊山では困るのです。
「絆の旅」は、色々な支援方法があるなかで南相馬に足を運ぶ事を目的としています。自分の目で南相馬の現状を確認する事に他なりません。この事が、被災者・被災地に寄り添う事なのです。そして、福島第1原発事故による放射能汚染という未曽有の困難な状況のなかで、福島の再生・故郷の復興に不断の努力をされている福島県民の皆様の姿を目に焼き付ける事を意味するのです。私達の出来る支援は限られています。その限られたなかで私達に出来る最大の支援が「福島復興支援絆の旅」なのです。この事を共通認識として共有していただくために、勝縁寺さんにご無理をお願いしプレゼンが実施されました。
写真・・プレゼン中の相馬組組長の勝縁寺さん

私達は、過去の歴史では例を見ない大惨事となった東日本大震災を体験しました。その大震災を起因として、重大かつ深刻な放射能汚染を引き起こした福島第1原発事故から3年が過ぎています。私達は、犠牲となられた方々に哀悼の誠を表すると共に、今なお故郷を離れて暮らさざる得ない13万人の避難されている皆様に心からのお見舞いを申し上げなければなりません。不自由な避難生活が長引くなかで震災関連死は1700人近くとなり地震や大津波による直接死を上回るに至りました。福島の方々は、それぞれの立ち位置で日々を過ごされています。それは、癒されることのない悲しみ、やり場のない憤りと怒りと不安を抱きながらの生活の筈です。
事故を起こした原発を廃炉とするだけで数十年のときを要すと言われています。そして、政府・自治体の必死の除染活動にもかかわらず、放射能を気にせず生活できるとはとてもいえない状況です。又、除染された汚染土壌の最終処分場すら決まっていません。この事を忘れてはならないのです。
写真・・プレゼンで使用された放射能汚染図。

時間の経過とともに震災の風化が進行しています。関心や理解が薄れれば、復興に影響が及ぶのは必然。なにより福島発の情報発信が必要なのです。私達は、「福島復興絆の旅」を通じて福島の再生の応援メッセージとしたいのです。

福島復興支援絆の旅(6月23日~25日)・・2(本寺専修寺⇒ホテル山水荘)

2014-06-27 23:04:01 | Weblog
本寺専修寺の御影堂(みえどう)にて、「重誓偈」を勤行。

残念な事に時間がありませんでした。親鸞聖人の御廟には行くことは出来ませんでした。皆さんを是非ともご案内したかった場所なのですが・・・午後3時には、本寺専修寺をバスは出発。東北道は途中の安達太良(あだたら)SAにて最後の休憩です。

各SA等には高速道路網を書き込んだ無料の地図があります。皆さん、熱心に地図にて現在地を確認中。これ程の長距離移動になりますと、自分がどこにいるのか分からなくなります。ですから、現在地の確認は大切な事。土湯温泉ホテル山水荘まで後1時間の距離。「福島復興支援絆の旅」では、この安達太良SAにて必ず休憩をとっていますが、今年が一番涼しく感じがしました。幸先良し。天気は、梅雨にもかかわらず心配無しです。

午後6時30分にバスは土湯温泉に。見えてきました。土湯温泉のシンボル、巨大コケシのお出迎え。土湯温泉はコケシの里。

物見遊山の旅行でしたら、旅館に到着すれば先ずは温泉。そして夕食。これが定番。しかし、今回は違うのです。温泉抜きの夕食。アルコール類も極力ご法度。普通なら苦情が出そうなのですが、今回の旅は「福島復興支援絆の旅」。相馬地方を襲った東日本大震災の惨状を記録した直前研修会が、夕食後に実施されるのです。
写真・・食事会場にて名鉄観光の○○さんの挨拶。彼は、実は病み上がりの体。しかし、「どうしても今回の絆の旅を成功させたい」という一念から航空便を利用してホテル山水荘まで。彼の篤き思い尊しです。それにしても、約120名の参加者が一同に揃う夕食会は壮観の一語。挨拶される○○さんの姿も遥か遠くに。

続く・・・・・・


福島復興支援絆の旅(6月23日~25日)・・1(東藤原発⇒本寺専修寺まで)

2014-06-27 05:24:08 | Weblog
6月23日(月)から25日(水)の2泊3日のかけて、「福島復興支援絆の旅」を実施しました。今回で、3回目となる「福島復興支援絆の旅」です。2011年3月11日に発生した東日本大震災は、東北地方に未曽有の被害をもたらしました。なかでも福島県浜通り(太平洋側)は、巨大地震・巨大津波・原発事故・風評被害の4重苦により、復興の足音は遅々として進展していない現状があります。しかし、3年が経過し、時の流れと共に福島の現実と苦しみは人々の心から忘れさられようとしています。風化現象が著しいのです。このような現状のなかで、最大の支援とは「忘れない事」なのです。「この事を忘れないで欲しい」との思いから実施しているのが「福島復興支援絆の旅」です。私達は6月23日午前5時に三重県いなべ市藤原町東藤原を出発しました。いなべ市各地を巡回し総勢48名。団体名は、「員弁組(いなべそ)有志」です。
写真・・中央道梓川サービスエリアにて大休憩。

写真・・私達の団体名が書かれたプレートに注目。私達のバスは3号車。

今回の「絆の旅」は、東海教区「員弁組有志(3号車)」・「鈴鹿組(2号車)」・岐阜教区「東陽組(1号車)」の合同「福島復興支援絆」の旅。教区を超えて、組を超えて、「御同朋・御同行」の宗祖・親鸞聖人のお言葉と心を体現すべく企画されたのです。これこそが宗門のかかげる「実践運動」を言葉だけでなく具体化させた試みと考えています。そして、ある意味で「お寺の活性化」の具体的取組みでもあるのです。
午後2時、私達のバスは栃木県真岡市の「本寺・専修寺」に到着。ここで、各号車が揃いました。「本寺・専修寺」は、親鸞聖人有縁のお寺。お念仏を頂戴する私達が、一同に揃うには一番相応しい場所なのです。
写真・・員弁組有志の皆さん。「本寺・専修寺御影堂」の前で・・・

続く・・・

幻の黄色い日輪が・・・・・

2014-06-22 08:03:24 | Weblog
6月19日中日新聞朝刊にて掲載された菩提樹の開花情報以降、従来のリピータの皆さんに加えて大勢の皆さんが見学に来られました。6月19日~21日の3日間で約260名程になります。その菩提樹も、そろそろ見納めです。菩提樹の花は一週間のいのち。6月15日に開花して、丁度一週間で見納めとなりました。
そして、出現するのが幻の黄色い日論。菩提樹の花が一斉に落下して、この刹那だけできる地上の日輪なのです。それはまるで黄色い絨毯(じゅうたん)。
写真・・6月21日早朝に鐘楼堂より撮影。菩提樹の下に黄色い模様が浮かんでいます。

写真・・6月22日早朝に鐘楼堂より撮影。黄色い模様が一段と色濃く浮かんでいます。

この模様が見られるのは朝だけ。見学に来られた皆さんが、菩提樹の花を拾っていかれるのです。お釈迦様は。このような状態で「悟り」を開かれたのでしょうか?想像は、2500年の時空を超えて尽きぬものがあります。

琵琶湖に浮かぶ沖島の西福寺さん参詣・・・・最終回

2014-06-21 00:09:48 | Weblog
今日も、菩提樹の花の見学に大勢の皆さんが来寺。特に印象に残った方が。菰野町から来られたご婦人。菩提樹のみならず本堂も熱心に見学。一旦帰られたのですが、午後になり再び来られたのです。今度はご夫婦でした。そのご婦人曰く「菩提樹の香りもさることながら、本堂の素晴らしさに感心しました。主人も是非にと一緒に来ました」との話。本当に有難いお言葉です。
写真・・・・午前10時過ぎの見学者の皆さん。

さて、私達は6月19日12時30分に琵琶湖に浮かぶ沖島に上陸。

沖島は、現在の人口は約350人。自動車が一台も無い島。三輪自転車が主力。沖島小学校の新聞には、「皆が家族。助け合って生きる島」とあります。
対岸の掘切港には、立派な看板がありました。それは、食堂の看板。名物の鮒寿司等の食事ができると書いてありました。そこで、「昼食は沖島で」と決定。ところが、閉まっていたのです。聞けば予約制。「ガックリ」とはこの事。信心参りとは言え、空腹に耐えかねて・・・の心境。
沖島のメインストリート。夜の仕事(漁業)中心のために昼間はご覧の通り。

私達は、迷路のような通路を西福寺さんへ。

西福寺さんは浄土真宗本願寺派(西)のお寺。蓮如上人縁(ゆかり)のお寺なのです。

境内には、かわいい蓮如上人像が・・沖島紹介のパンフレットには必ず掲載。

当時、本願寺は蓮如上人が第8代宗主を継承し活発は伝道布教を実践。その事に脅威を覚えた比叡山延暦寺の一部衆徒は京都大谷の本願寺を破却した。寛正の法難である。1465年、蓮如上人51歳の時であった。以降、蓮如上人は活動の舞台も琵琶湖周辺地域に移し、熱心な門徒群に支えられて本願寺は大きく飛躍の時を迎えていたのです。その中心になったのが、堅田衆と呼ばれた琵琶湖の商業権を一手に把握する人々でした。その代表的人物が、堅田の法住。彼らに支えられて、本願寺の教線は大きく伸びて拡大。その事に恐れをなした比叡山は、室町幕府と結託し応仁2年(1468年)に堅田大責を決行。5日間の攻防の末に、堅田は焼き払われ、堅田衆は沖島に敗走したのです。ここに沖島と浄土真宗の結びつきが成立。
この堅田大責を描く蓮如絵伝(善行寺蔵)沖島に敗走する堅田衆。

尚、西福寺さんには蓮如上人の六字名号・蓮如絵伝等が公開されており、8月17日当日にはご説明いただけるとの事です。
西福寺本堂にて、ご住職と共に。

午後2時15分の定期船に乗船し、私達は帰路につきました。
「沖島さらば、また来る日まで、はるかにかすむ比良山系、かえりみすれば遠ざかる沖島さらば」という心で撮影。




琵琶湖に浮かぶ沖島の西福寺さん参詣・・・・①

2014-06-20 02:21:56 | Weblog
中日新聞の6月19日朝刊にて、自坊の菩提樹が紹介されました。前日の6月18日に取材されたそうです。

新聞を読まれて、100名以上の皆さんが来寺され菩提樹の花の甘い香りを楽しまれたとの事(坊守談)。住職は、自坊仏教壮年会研修旅行の下見で不在。写真は、下見から帰宅した午後5時頃の様子。桑名から来られたというご夫婦が、落下した菩提樹の花を拾われています。今、菩提樹の花は最盛期を迎えて満開。風に吹かれて、花が一斉に落下する風情はまるで花の雨の如しです。

さて、今日(6月19日)は自坊仏教壮年会研修旅行(8月17日)の下見の日。今年の研修旅行の目的地は、滋賀県は近江八幡旧市内散策と琵琶湖に浮かぶ沖島の西福寺さん参詣。石榑峠トンネルを越えて国道421号をひたすら行けば、1時間30分程で近江八幡の旧町並みに到着。随分と近くなったものです。
ところがです。国道421号線最大の難所である永源寺湖の湖岸道路にて大渋滞。全く動かないのです。原因は、大型トラック。道幅が極端に狭い場所が存在し大型トラックのすれ違いが困難。高速道路料金の値上げにより、経費節減の為にトラックの交通量が大幅に増加したとの事です。

琵琶湖に浮かぶ沖島行きの定期船がでる掘切港に到着したのは、午前11時を過ぎていました。写真は、堀切港と沖島の島影。(3キロの距離あり)

定期船の出発時間は12時15分。待つことしばしです。今回の下見には、仏教壮年会会長・副会長・息子も同行。

私達を沖島まで運んでくれる定期船がその雄姿を表わしました。おきしま丸です。

当日は、この定期船をチャーター。最大50人乗り。ですから、今回の研修旅行の募集定員は50名。一応、〆切日は設定しますが、定員に達した時点で募集停止。この事を明記して募集します。実際に乗船しますとかなりの高速船。この船なら安心・安全です。
沖島港に停泊中のおきしま丸。すだれがご愛嬌。

乗船中は、沖島の小学生達と一緒になりました。全校で11名。音楽発表会に行ってきたとの事で、船内は賑やかでした。

乗船する事10分。沖島の港が目前。背後の山並みは、琵琶湖を挟んで比良山系。

続く・・・・・