ブログの投稿がお留守になりました。自坊のご門徒ではないのですが、3日前夜に「父親が亡くなりましたので、枕経をお願いします」との電話が入ったのが、そもそもの始まり。いくら有縁の方と申せ、ご門徒さんではありませんから戸惑うばかり。「菩提寺の僧侶の方はどうされたのですか?」と聞きなおしますと、「愛知県で、車に乗られないので」というご返事。菩提寺のお寺さんにも連絡をという条件で、枕経に・・・
しかし、喪主さんにご意向によりお通夜・葬儀式にも出勤。葬儀は密葬。お導師は真宗大谷派(お東)です。戸惑うばかりでした。中日新聞の全国版に、今日(8月31日)付で告知されていましたが、本葬は9月23日。密葬・本葬と二部構成のお葬儀は、私にとっても初めての経験。
さて、一昨日のNHKを見ていましたら(偶然なのですが)、「待っていてくれる方がいると信じて亡くなる人の顔は穏やかです」との研究報告がなされていました。極めて大切な指摘です。「死んだらしまい」との見解のなかでは、決して出てこない考え方。今、息子は京都で真宗の勉強をしています。京都で、勉強できるのも、故郷の親の存在があってこそです。自分を無条件で支えていてくれる安心感があるからこそ、勉強できるのです。無意識の安心感です。宗教でも同じです。死という必然・突然に訪れる、生を根本的に否定する「絶対にイヤ」なものに対して、無意識の安心感があるか否かが問題となります。仏教は、過去2600年間この事に取り組んできたのです。
続く・・・・・
しかし、喪主さんにご意向によりお通夜・葬儀式にも出勤。葬儀は密葬。お導師は真宗大谷派(お東)です。戸惑うばかりでした。中日新聞の全国版に、今日(8月31日)付で告知されていましたが、本葬は9月23日。密葬・本葬と二部構成のお葬儀は、私にとっても初めての経験。
さて、一昨日のNHKを見ていましたら(偶然なのですが)、「待っていてくれる方がいると信じて亡くなる人の顔は穏やかです」との研究報告がなされていました。極めて大切な指摘です。「死んだらしまい」との見解のなかでは、決して出てこない考え方。今、息子は京都で真宗の勉強をしています。京都で、勉強できるのも、故郷の親の存在があってこそです。自分を無条件で支えていてくれる安心感があるからこそ、勉強できるのです。無意識の安心感です。宗教でも同じです。死という必然・突然に訪れる、生を根本的に否定する「絶対にイヤ」なものに対して、無意識の安心感があるか否かが問題となります。仏教は、過去2600年間この事に取り組んできたのです。
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