明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

生と死・・・・②

2012-08-31 09:31:07 | Weblog
ブログの投稿がお留守になりました。自坊のご門徒ではないのですが、3日前夜に「父親が亡くなりましたので、枕経をお願いします」との電話が入ったのが、そもそもの始まり。いくら有縁の方と申せ、ご門徒さんではありませんから戸惑うばかり。「菩提寺の僧侶の方はどうされたのですか?」と聞きなおしますと、「愛知県で、車に乗られないので」というご返事。菩提寺のお寺さんにも連絡をという条件で、枕経に・・・
しかし、喪主さんにご意向によりお通夜・葬儀式にも出勤。葬儀は密葬。お導師は真宗大谷派(お東)です。戸惑うばかりでした。中日新聞の全国版に、今日(8月31日)付で告知されていましたが、本葬は9月23日。密葬・本葬と二部構成のお葬儀は、私にとっても初めての経験。

さて、一昨日のNHKを見ていましたら(偶然なのですが)、「待っていてくれる方がいると信じて亡くなる人の顔は穏やかです」との研究報告がなされていました。極めて大切な指摘です。「死んだらしまい」との見解のなかでは、決して出てこない考え方。今、息子は京都で真宗の勉強をしています。京都で、勉強できるのも、故郷の親の存在があってこそです。自分を無条件で支えていてくれる安心感があるからこそ、勉強できるのです。無意識の安心感です。宗教でも同じです。死という必然・突然に訪れる、生を根本的に否定する「絶対にイヤ」なものに対して、無意識の安心感があるか否かが問題となります。仏教は、過去2600年間この事に取り組んできたのです。
続く・・・・・

生と死・・・・・①

2012-08-29 10:28:56 | Weblog
よくメディアで、お葬式の様子が報道される場合があります。そんな時、遺族の言葉として、『天国で、私達を・・・・』という言葉が流れます。こん場合でも、浄土真宗のご門徒さんならばせめて『お浄土とか極楽浄土』とか言って欲しいのですが・・・・・
普段は、宗教心が全くない人でも、身内の不幸の際には死後の世界が突如目覚めるものです。そして、やはり死後の世界は、漠然とよい所である『天国、又はお浄土』に行って欲しいと願うものです。反対の言葉である『地獄に行きました』という言葉は、私は聞いた事がありません。
でも、誰でも彼でも死にさえすれば、『天国』に行くのであるのなら話はすこぶる簡単。宗教はいりません。逆に言えば、乱暴な言い方なのですが、よい所に行くために宗教がいるという事です。
勿論、お話している遺族も、こうであったらよいという漠然とした思いのなかでの発言ですから、確信・確証はまったくある訳ではありません。ここらへんを考えたいと思います。言い換えれば、『生き方と死に方を考える』ということです。
写真・・今境内ではユリの花が、今が盛りとあちこちに咲き誇っています。

人生は、ある一定の年齢まで来ましたら後は自分の責任です。特に、日本の現代社会のように50年前は誰も考えなかった長寿社会を迎えますと、自分の晩年にはある程度の覚悟が必要です。親しき人は次々と亡くなっていき、社会から孤立し、自分ただ一人が取り残されるという現実にも直面する場合が相当数でてくるのです。そして、いやおうなしに、死んだらどうなるのかという問題にも直面するのです。
このような事をお話しましたら、ある方(名古屋の人)が『死ぬことに意味があるのですか。死んだらしまいでしょ。だから、極端な話ですが、葬儀は病院・施設から火葬場直送の直葬でよいのです。お金もかからないし。』との話でした。つまり、生きることには意味はあるのだけれど、死ぬことには何ら意味はないという事です。
写真・・ユリの花。でも、雨に打たれて明日には散ってしまいます。諸行無常です。

でも、そのような人にとっては、そうであるが故に『死』とは到底受け入れられない、無意味な死と映る筈です。そこで、私は『あなたは、その無意味な死を受け入れることができるのですか』と質問。『そんなもん。死んだらしまいです』との答えでした。つまり、『お前の持ち時間は、切れましたよ。さようなら』です。ただ、その方も『長寿社会ですから、自分一人となった時、死という言葉が次第に近づいてきた時、本当に孤独に耐えられるのだろうか?それは不安に思います』との話でした。つまり、最低限の条件として生きることにも相当の覚悟が必要であるという事になります。
写真・・ユリの花

ここで考えてみましょう。私達がよくつかう『覚悟』という言葉を。『覚』とは、目覚めるという意味です。『悟』とは、悟るという意味です。つまり、生きるという事は、目覚め、悟らなければならないという事になります。ですから、『覚悟』の言葉は安易に使用すべき言葉ではないのです。
続く・・・・・・・

786本の団扇(うちわ)

2012-08-27 22:28:58 | Weblog
この間、自坊では団扇の提供を呼びかけてきました。目標は、700本の団扇。平成25年4月14日修行予定の2法要の当日記念品とするためです。勿論、手づくり団扇に加工します。
今日は、午前9時から本堂にて、試作品の作成と、寄せていただいた団扇の確認が行われました。お願いした方は、自坊定例法座常連の皆さん。
写真 試作品の作成のための手順の説明

私も、数日前に作成しましたが、思った以上に簡単でした。いよいよ、作業開始です。皆さん真剣な表情で・・・・



そして、裏・表の完成です。結構な出来栄え・・・・・

これならば作成できますと確信。しかし、もっと簡単に、正確に作成する方法はないかと話あい。そして、これならば絶対に間違いないとの方法を発見。この方法で大量生産をめざします・・・・・・
そして、皆さんから寄せられた団扇の数確認と団扇大きさに応じての分別作業。皆さんから、寄せていただいた団扇の数は目標の700本を大きく上回り、何と786本の団扇でした。本当にあり難いことです。『塵も積もれば山となる』との諺(ことわざ)がありますが、この諺(ことわざ)を地でいったような本数です。しかも、僅か2ヶ月です。ご門徒の皆さんだけではありません。ブログを見ていただき、遠く秋田からも送られてきました。一本一本に、皆さんの真心がこもっています。この真心を頂戴して加工。文字通り手づくり団扇の誕生させます。そして、記念品の団扇には香りをと考えています。
写真・・大きさごとに分別された団扇。その数786本です。

皆さん、団扇を寄せていただき本当に有難うございました。9月1日2日の永代経法要にて、この事をお参りの皆さんにお話申し上げます。


西岸寺さん仏教婦人会研修会に・・・・・・

2012-08-27 00:27:51 | Weblog
今日(8月26日)は、午前8時30分からご法話のご縁で西岸寺(いなべ市大安町平塚)さんに。仏教婦人会の研修会です。婦人会の皆さんは、早朝の午前7時30分から。あれやこれやで、自坊の出発が遅れ西岸寺さんに到着は、午前8時26分でした。飛び込みセーフ(しかし、事実上のアウトで講師失格)です。昨年に続いてのご縁でした。
本堂にお参りの皆さんの顔ぶれは、老いも若きもで年齢構成はバラバラ。そこが素晴らしいと思います。とかく、お寺のお参りといえば年齢層が高いのが今や常識。しかし、20代・30代????と思われる方も大勢おられるのです。
写真は、お茶の準備をされる当番の皆さん。皆さん元気一杯です。

今日の私の話は、大学4年生の時に体験した山形県は月山登山の遭難話から入りました。10月下旬の月山紅葉見物が、猛烈な吹雪にあい遭難寸前になった話です。判断の誤りから、吹雪のなかで行き場を失い遭難死に直面したのです。これこそが、自力の最たるものです。自力には、誤りがどうしても付いてまわるのです。親鸞聖人が、29歳のときに比叡山を降りられた理由であると思います。そして、遭難寸前のなかで、突如ひらめた事は蓮如上人の『領解文』の冒頭のお言葉でありました。「もろもろの雑行雑種の自力のこころを振り捨てて」のお言葉です。死に直面して、自然にお任せするという心境です。「ジタバタしない」という事でしょう。これが、他力なのです。他力とは、大いなるものにお任せする世界ともうせましょう。
そして、お話は「月愛三昧(げつあいざんまい)=大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)に説かれる有名な話。親鸞聖人も、『教行信証』の信巻に引用」の月光の話と進んでいきました。午前10時までの1時間30分のお話でしたが、気持ちよくお話させていただきました。居眠りする方もなく真剣のご聴聞。ご縁いただき有難うございました。
写真は、ご法話終了後のひと時を楽しむお参りの皆さん。




112000人 日就教会

2012-08-26 12:41:44 | Weblog
昨日(8月25日)は、自坊にて日就教会が開かれました。お寺で教会とはこれいかにですが、東禅寺地区の老人会主催のお参りの事です。結構、歴史は古く明治時代から続いているとの事。子供の頃の主催は、青年団。若い男女が集う訳ですから、このお参りからロマンスに発展したケースもあったとか聞いています。しかし、今は心は若い老人会が引き継いでいただき今に至っております。
朝、午前8時から皆さんで境内のお掃除です。それなりにご迷惑をおかけしないように心がけてきましたが、それでも草取りの材料は沢山あるようです。
本日の日就教会のご講師は、岐阜教区中川南組光蓮寺の高田篤敬先生。自坊から、丁度1時間程度の距離だそうです。高田先生は、本願寺の常例布教でもご活躍の先生。

高田先生は、諺(ことわざ)・故事を引用されてのご法話。そして、「仏教離れというやかましい昨今ですが、知らず知らずの内に仏教の言葉を、普段から私達は使用しているのです」と話されました。それは、500年前の蓮如上人の『御文』から始まるケースが多いと指摘されました。
「蓮如さんの熱心な支持者であった近江の人々は、後に天秤棒を担いで全国に行商。近江商人です。近江商人は、熱心な念仏者でありました。自分達が、売ってあるく商品ですら、知る事もできない程の無限の縁により成り立っており、その事に感謝しつつ行商に励んだといわれています。そして、成功をおさめようものなら、そのようなご縁に恵まれた事に心からの感謝を捧げました。その言葉が、『有難う』。『有ることが難しい』との感謝の言葉となったのです。それが、『御文』では「仏恩報謝の念仏=有難う」の念仏です」と結ばれました。(ただし、私的解釈も多々入った文章です。)皆さん熱心にご聴聞。50数名程のお参りでありました。ご法話の大前提は、中味をいただけるかの一点です。

残念ながら、この老人会主催の日就教会にしかお参りにならない方もおられます。ですから、この日就教会のご法座は極めて大切な仏縁なのだと思います。
このブログの訪問者が、112000人(正確には、112280人)を超えていました。いつも訪問いただき感謝申し上げます。


第5回定例法座・・・・その他色々

2012-08-24 23:32:32 | Weblog
昨日(8月23日)は、午後2時から第5回定例法座でした。しかし、午前から一日は始まります。午前中は、自坊の新聞である「聞法第107号」の配布を、各地区の係り方にお願いすべく車を走らせていました。いつも楽しみにしているご門徒宅があります。ご門徒宅は、いなべ市北勢町平野新田に。いつも庭一杯に花が咲き乱れているのです。そこで、カメラ持参となりました。幾種類も花は咲いているのですが、私の感性に一番ヒットした花を紹介・・桔梗の花です。猛暑のなかで、涼しげな花だと思います。そして、悲劇の武将である明智光秀の家紋も桔梗の花。

配布最終の藤原町西野尻ご門徒宅ではジャンボカボチャです。一輪車にようやく乗せてここまで運んだとの事。まだ、畑には2個程残っているそうです。一輪車と比較すれば、その大きさが判ろうというものです。育てたものの「これをどうしようか」と頭を悩ませておられました。

そして、午後2時から第5回定例法座。お参りは、20人前後です。でも、一人二人と新しい顔が参加していただける事、嬉しい限りです。今日の法話は、親鸞聖人越後流罪に際して、越後国に最初の一歩を記された「居多ヶ浜」の話。本日は、法話の骨子を紹介します。
「私が教員を早期退職し、これで6年目となりました。その後、各お寺の永代経・報恩講等の法要に際して、ご縁をいただき講師として法話をさせていただく時があります。そんな時、なるべくふれるようにしている箇所があるのです。
親鸞聖人は、1209年に起こった「承元(じょうげん)の法難」というお念仏弾圧事件により、越後国(えちごのくに=現在の新潟県)に流罪(るざい)となられました。その上陸地点が「居多ヶ浜(こたがはま)」なのです。
写真・・「居多ヶ浜」です。

私は、「親鸞聖人を思う時、聖人が流人(るにん)として最初の一歩を踏まれた「居多ヶ浜」を見て来ないことには、何も始まらないのです。」と必ず話します。 
私が、初めて「居多ヶ浜」を訪ねたのは37歳の時。それ以来、年に一度は「居多ヶ浜」上陸記念堂にお参りさせていただく事を心がけて来ました。

この上陸記念堂には、一冊の大学ノートが置いてあります。そこには、お参りされた方々の名前と住所とメッセージが書かれているのです。全国各地から、実に多くの皆さんが親鸞聖人を慕って上陸記念堂にお参りされているのが判ります。日本はおろか、遠くハワイ・北米・南米からも。
しかしです。人々が、何もない海岸線に建つ上陸記念堂に足を運ぶのは一体何故なのでしょうか?それは、親鸞聖人と出会う旅だからと思います。確かに、親鸞聖人は1262年にお浄土にお帰りになりました。しかし、「居多ヶ浜」では聖人の息吹を感じる事が出来るのです。「居多ヶ浜」の地にたてば、800年の時空を超えて、私の面前にあたかも親鸞聖人が立たれているような感動が身を包むのです。
レリーフ(親鸞聖人、居多ヶ浜上陸の図)

37歳の時、念願かない「居多ヶ浜」にお参りした時、上陸記念堂には江口さんという留守番の方がおられました。この江口さんが、私に次ぎのように話されたのです。「三重県からお越しとか、本当にご苦労様でした。今、あなたが見られた日本海の海は、800年の昔、親鸞聖人が7年間に渡って見続けられた日本海の海なのです。ですから、あなたは800年の時空を超えて、親鸞聖人と今対面されているのです」と述べられました。このお言葉に、感動が全身を包み込んだのです。以来、23年が経過していますが、その感動は色あせることなく、私の主軸として今にあります。
人間、娑婆(しゃば)で生活すれば色々な出来事があります。そんな時、「居多ヶ浜」を訪ねてください。そして、あきるほどに「居多ヶ浜」から、日本海の海を見つめて下さい。引く波、寄せる波を。その波すら、親鸞聖人は7年間に渡って見つめられたのです。そのような思いで見つめて下さい。
「居多ヶ浜」は真宗発祥の原点なのです。「真宗発祥の地」と書かれた石碑が存在するのも頷かれるところです。
石碑・・「真宗発祥の地」

ですから、原点を知らずして、見ずして、感ぜずして、「親鸞聖人越後流罪7年間のご苦労」と叫んだところで何の意味もないのです。真宗僧侶たるもの、原点を知らずして聖人を語るなかれです。このような思いで法話をさせていただいています。」と話ました。次回は、9月20日(木曜日)午後2時から。自坊の定例法座は、毎月第4週木曜日と決まっています。
ところが、これで終わりとはなりませんでした。いつも定例法座に参加してくれている若いお二人が、境内掃除のボランティアを志願してくれたのです。このお二人は、このブログがご縁で定例法座に参加。猛暑ですから、掃除をすれば汗だくになります。「準備万端ですから」とお二人。そこで、掃除のお手伝いをしていただきました。

午後5時に草取り・掃除は終了。「有難うございます」と私。このお礼の言葉に、返ってきた言葉にビックリしました。「草取りとは、自分の心のもやもやした草を一本一本抜いているようなものですから、楽しかったです。」との返事。本当に、ビックリしました。






北アルプス後立山連峰の白馬大池・風吹大池に・・・⑤

2012-08-23 01:40:59 | Weblog
お疲れさん状態か、午後8時過ぎからは就寝。目を開ければ、8月17日午前5時。お世話になった風吹大池小屋を、午前7時30分に出発。笹目尾根を経由して蓮華温泉をめざした。樹林の合間に、風吹大池が見えます。周遊コースも整備されていて、50分程度でまわる事ができます。しかし、これに挑戦したのは大学の後輩のみ。後の3人は、そんな事考えもしませんでした。

風吹大池の湿原地帯での写真。出発間際ですからまだまだ元気。小屋の管理人さんに聞きますと、ここは秋が一番との事。9月25日ぐらいから紅葉が始まり、10月20日前後には終わるとの事です。私達が歩いている湿原地帯も燃える赤色に染まり、それはそれは見事な程だそうです。これでは、再度来なくてはいけませんが・・・・・かなりの決心と勇気が要ります。どのルートを歩いても3時間以上はかかるのですから。

しかし快適な湿原を抜けますと、笹目尾根ルートに入ります。これまた樹林帯のアップダウンコース。おまけに、熊さんの爪の後がついたダテカンバの木々があちこちに。これはイケマセンと、熊鈴鳴らして一目散で笹目尾根ルートを急ぎます。しかし、展望が利かないコースは疲れるのです。

笹目尾根の最終地点にたどりついた時は、皆さんお疲れ様モード全開状態。しかし、ここからが本番。標高差500mを一気に下るのです。略直線に近い急降下の下り坂。登りに使わなくて幸いでした。
写真は、その最初の降り口。

ただひたすら30分の急降下。そして、大池小屋からは3時間。ようやく林道に到達。

林道を歩くこと30分。ついに蓮華温泉に到着。待望の温泉です。そして、今回の登山を記念して写真撮影。無事に下山。なりよりのお土産でした。終わり・・・・

以上で、このシリーズは終わり・・・・






北アルプス後立山連峰の白馬大池・風吹大池に・・・④

2012-08-22 07:03:30 | Weblog
振り返れば、左後方に私達が超えてきた乗鞍岳の山容がはるかに遠くに見えます。千石揚尾根は、春(5月頃)の雪解けに行くべき尾根筋です。その理由は、水芭蕉の群落が登山道の両脇に無尽蔵に存在。おそらく、見事な水芭蕉の花が咲き乱れている光景を目撃できる筈です。逆に言えば湿地帯の尾根筋ということになります。
写真 残雪の山並みが乗鞍岳

風吹大池の湿地帯最深部に、風吹大池小屋の赤い屋根が見えてきました。本当に「ヤット」という感じ。蓮華温泉出発は、午前5時30分。風吹大池小屋到着は、午後3時。実に9時間30分。コースタイムでは、8時間で行ける筈なのですが。これはどうした事でしょう。確かに、蓮華温泉から白馬大池までは、私がバテ気味でしたからコースタイムより30分遅れているのですが。後は、全く問題なしの歩行。不思議の事です。

定員20名の小さな山小屋。それが風吹大池小屋です。でも、屋根には太陽電池のパネルが貼り付けてあり、最新設備の山小屋です。

ここで、問題発生。管理人の方に宿泊をお願いしましたら、「うちは完全予約制だから宿泊はオッケーだけど、食事は無理」という話。予約などはしていませんから、顔は真っ青。それでも、何とかとお願いし、承諾をいただきました。疲れ倍増で、その場にへたり込みです。でも、管理人さん話も無理はありません。この小屋は、全て人力で食料をあげておられるのです。ともかくも、着替えです。全身汗でビタビタ状態。「汗がしたたり落ちる」という表現がありますが、そんな状態でした。小屋の前にあるコースタイムが入った案内板で、今日の行程を確認。よくぞ歩いたというのが本音。でも、こういう山行は、後5年が限界。そんな風に感じました。

山の天気は、変わりやすいです。午後4時過ぎには霧がでました。たちまちに、小屋全体を覆いつくします。

続く・・・・・




北アルプス後立山連峰の白馬大池・風吹大池に・・・③

2012-08-21 01:10:04 | Weblog
乗鞍岳と栂池平の天狗原の中間点に小雪渓はあります。夏山のシーズンの真最中ですから、何百人のいう登山客が小雪渓を通過。皆さん、おっかなビックリのへっぴり腰で雪渓を上下。でも、不思議な事に皆さんの顔がにこやかなのです。白馬大池を目指す人は、ここまでの登山道は急斜面の岩場の連続。ここで、一休みとなります。栂池高原を目指して降りる人は、少しだけの優越感(これからも大変な登りが待っていますよ。ご苦労さん)。遊び気分で雪渓を渡ります。それにしても、最近の登山ルックは往時と比較すれば派手派手。特に、山ガールと呼ばれる女性のファッションは艶やか。登山情報誌を抜け出したファッションが目の前を通りすぎます。

遊び気分の典型の写真。余裕のポーズ・・・・・

雪渓を通過しますと、ゴツゴツした急斜面の岩場を一気に急降下。栂池平の天狗原の木道もはっきり見えています。基本的に、天狗原は日本有数の湿原。

高度の下がって、樹林帯に入ってきました。でも、基本は同じ。大きな岩の上を飛ぶように降下していきます。上部には、先ほど通過した雪渓が見えます。

白馬大池を出発し、乗鞍岳を通過して午前11時30分に天狗原(標高2200m)に到着。この頃には私の体調も完全に回復。栂池平と風吹大池の分岐点まで来ました。殆どの登山者は、栂池平からロープウェイにて栂池高原へ。私達のような変り種が、風吹大池を目指して、千石揚尾根ルートに入ります。下写真の遠くに見える山並み付近に目的地の風吹大池があります。最初は、写真のように湿原に木道があり快適コース。しかしです。すぐに地獄が待っていました。

千石揚尾根ルートは、標高1900m前後の樹林帯を抜けるルート。展望が全く利かず、じめじめしており、腰を降ろして休憩を取る場所もありせん。ただひたすら歩くだけのコース。これには参りました。声が出なくなり、黙々と歩くのみ。この状態が3時間余り。

ようやくにして、風吹大池と明日下山ルートになる笹目尾根コースの分岐点(標高1900m)まで来ました。時間は、午後2時をまわっています。「どこまで続くぬかるみぞ」の最低の気分でしたから、「ホッ」と一安心です。ここまで来れば、風吹大池も目前。

そして、待望の風吹大池の湿原が見えてきました。突然、ゴルフ場の芝生が現れたような感じ。コースも木道に変わり快適?。しかし、疲労のために腰が定まらず、木道をまっすぐには歩けないのです。

それでも、無理に作り笑いで記念写真。しかし、疲労の色は歴然。

突然に、眼前に神秘の色を讃えた風吹大池が姿を見せました。一度は、訪ねてみたかった風吹大池の全容です。
続く・・・・・





第41回仏教講演会に成功裡に終了(会場は、400名で満員)

2012-08-20 00:39:24 | Weblog
藤原町仏教会主催の「第41回仏教講演会」が、午前9時より藤原町文化ホールにて開かれました。準備していただいた椅子席は400席。昨夜の大雨で心配しましたが、午前9時からの受付が始ますと、続々と来場。心配は奇遇に終わりました。
写真は、開始15分前(午前9時15分)の会場の様子です。写真では、上部の椅子席に空席がありますが、よく写真を見ていただくと右側の入口から次々と会場に。自坊からも10数名の方が来ておられます。最終的には略400名で満員となりました。

講師は、真宗大谷派正念寺坊守の川村妙慶先生でした。

先生のお話は、人々を魅了してやまない程の巧み法話。流石は、アナウンサーを経験された方。おまけに美人ときます。カリスマ女性僧侶として週刊誌・新聞にも度々登場、その知名度は高くなる一方。こうなれば、お話を聞くしかありません。先生は、「仏教を学ぶということは、自己を見つける事なのです。」と話されました。午前11時の定刻に終了。1時間30分の法話なのですが、時間の経過が非常に短く感じました。
法話終了後に廊下に出ますと、そこは黒山の人です。先生の本を販売しているのです。その数は、3種類の本、都合60数冊。勿論、本は全て完売です。

本を求める長打の列となりました。川村先生も全ての本にサイン。(写真、座っておられる方)たまたまなのですが、今日が誕生日の人がおられました。その事を知られた先生は、「お祝」のメッセージを書かれたのです。ご本人も大喜び。(写真、本を受け取っておられる方)この心遣いが嬉しく思います。

この「仏教文化講演会」も、今年で41回目。昔は、「暁天講座」として午前6時から。しかも3日間。しかし、施設側の要請で早朝からの開催が困難となり、名前も「仏教文化講演会」と変わり、午前9時からとなりました。ところが、近年参加者が減少していたのです。第39回・第40回は、200名前後となりました。これではジリ貧と、反転攻勢の意味で開催したのが、昨年度の「藤原町の仏教文化展」。700名の来場でした。そして、今年は会場一杯の400名の皆さんが参加していただきました。企画した立場の者として本当に有難く思う事です。