トーキング・マイノリティ

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ベルばら再読雑感 その一

2015-07-23 21:10:17 | 漫画

 5月4日、NHK BSで『NHKアーカイブス~ベルサイユのばら 40年ぶりの新刊』が再放送されたのがきっかけで、ベルばらを読み直している。基本的に漫画本を置かない行きつけの図書館も、例外的にベルばらを所蔵していたのは有難い。少女漫画を見たのは久しぶりだし、まして小学校時代に夢中になって愛読したベルばら。40年を過ぎて読み直しても素晴らしかったし、子供時代とは違う感想や読み方があるのもよい。

 ベルばらで憶えた言葉は幾つもあり、アンシャン・レジームもそのひとつ。アンシャン・レジームを代表する「1781年の規則」を、この作品で初めて知った読者が殆どだろう。ベルばらでは「1781年の規則」をこう解説している。
陸軍大臣ド・セギュール公が1781年5月22日に制定した有名な規則。4代以上続いた貴族出身者でなければ一切の昇進を禁じるというもので、これは大貴族たちが高位高官の職を独占するものであった

 これを見た時、全くの世間知らずの田舎少女だった私さえ酷いと感じた。これでは衛兵隊隊長に着任したばかりのオスカルアランが、「高い地位はてめえら大貴族ばっかりで独り占めしやがって!」と毒づくのは無理もない。しかし、この規則が1781年、つまり革命の8年前に制定されたのは意味深い。
 ド・セギュール公はこれで大貴族階級の特権を盤石にしたと満足しただろうが、僅か8年後、革命で規則があっさり崩壊することを予測した大貴族はいただろうか?革命後、件の陸軍大臣殿がどうなったのかは不明だが、特権階級の頂点に君臨した大貴族最後の横暴に思える。既得権益に胡坐をかく支配層はいつの時代もいるが、あっさり権益を失うこともしばしばなのだ。諸行無常とはよく言ったもの。

 アンシャン・レジームの描き方として、他にはド・ゲメネ公爵による少年射殺がある。ロザリーの隣に住む幼いピエール坊やは、2日前から何も食べておらず、公爵の馬車からつい金を盗む。公爵は一旦はこの少年を許すフリをして少年の背中に狙い、ピストルを撃つ。こうして幼いピエールは母の腕の中で息絶え、公爵は高笑いして去る。
 これを間近で見ていたオスカルは激怒、公爵に掴みかかろうとするのをアンドレに制止される。国王さえ簡単に手が出せない公爵家が相手だ、叶う訳がない、と。

 大貴族が平民の子供を野良犬のように平然と撃ち殺すエピソードを、子供時代は単純に信じてしまった。しかし、このシーンは今見なすと疑問が出てくる。ド・ゲメネ公爵がピエールを撃ったのは人だかりのするパリの下町。幾ら横暴極まる公爵でも、これほどの非道を衆人の前で行うことが出来たのだろうか?
 この出来事だが、フランス革命史観があるのでは…と私は憶測している。革命後、如何に貴族が非道で堕落していたのか、革命家たちはあらゆる宣伝を行っていた。革命後のロシアや文化大革命時の共産中国も、旧体制の残虐行為を繰り返し強調していたものだ。貴族や地主が平民を虐げていたプロパガンダが繰り返されるも、虚偽やでっち上げも多かったのだ。ド・ゲメネ公爵のケースはそれに通じるものがあり、原作者の池田理代子氏は70年代前半のインタビューで、尊敬する人にマルクスを挙げていた。

 本筋とは離れた、どうでもよいエピソードに突っ込みたがるのが私の悪癖なのだ。実は私が最も注目したのはオスカルとアンドレの関係。子供時代の私は大のオスカルファンで、彼女見たさにベルばらが掲載されていた週刊マーガレットを買っていたほど。だからベルばらのもう一方のカップル、アントワネットフェルゼンのことは昔からあまり興味がなかった。
 かつての小学生も今や50代になり、オスカルへの見方も違ってくる。改めてベルばらを読み直すと、常に軍服を着用して男言葉で話しているオスカルだが、、ロザリーほどではないにせよ結構泣いているのだ。もっと意志強固で物事に動じない女人といったイメージがあったが、揺れ動く繊細な心も持ち合わせている。今風に言えばツンデレ系令嬢な処もあり、同性から圧倒的に支持されたのも当然だった。
その二に続く

◆関連記事:「NHKアーカイブス ベルサイユのばら

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
セギュール侯爵 (スポンジ頭)
2015-07-23 22:49:21
 お久しぶりです。
 
 世界史の授業など遥か彼方の時代に去りましたが、名作マンガは長く読み継がれるものです。
 
 >大臣ド・セギュール公

 「フィリップ・アンリ、ド・セギュール侯爵」、多分この人物ではないかと。
https://en.wikipedia.org/wiki/Philippe_Henri,_marquis_de_S%C3%A9gur

1780年の12月から1787年の8月まで陸軍卿を務めています。ウィキペディアの英語版機械翻訳によると、革命後は投獄され、釈放後は貧窮したものの、死ぬ一年前にナポレオンから年金を貰ってます。恐怖政治を生き延びられただけでも幸運かと。亡命はしなかったんですね。

 同じ牢獄にはランバル公爵夫人や数学者のガロアも居たそうです。

 フランス革命は世界史上の極めて重要な時期ですが、遭遇はしたくないですね。
Re:セギュール侯爵 (mugi)
2015-07-24 21:36:34
>こんばんは、スポンジ頭さん。

 ド・セギュール侯爵の情報を有難うございました!さすが英語版wikiには載っていたのですね。革命で処刑されたと思いきや、1801年に死去していたとは…

 歴史書で見る限り、フランス革命のような激動の時代は面白いですが、実際に生きていた人々には大変な暮しだったでしょう。続きにも書きますが、オスカルとアンドレは革命勃発時点で戦死していた方が幸福だったと思います。革命の結果が恐怖政治だったのだから。