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タゴール―アジア初のノーベル賞受賞詩人

2006-05-18 21:17:44 | 読書/インド史
 1913年、アジアで初めてノーベル文学賞を受賞したのはインドの詩人タゴール(1861-1941)だった。受賞した詩篇が『ギタンジャリ』、歌の贈物、 の意味だ。「御身」「あの方」と表現されていても詩を見れば捧げた相手は人間ではないのが分かる。『ギタンジャリ』は拙ブログのブックマークにも登録して いるので、関心を持たれたなら御一見を。しかし、タゴールがこの素晴らしい抒情詩を書く十年くらい前の間、人生のどん底にあったのを知る人は少ないのかも しれない。

 1901年12月、タゴールは自らの教育の理想を実現すべくベンガルの人里離れた野シャンティニケタンに、師から弟子へと真知を伝えた古代インドの「森の草庵」に倣った小さな学園を発足させた。だが、これを「詩人の気まぐれ」と見て世間の目は冷たく批判的だった。そのためタゴールは慣れない資金集めや生徒募集に東西奔走することになる。最初は生徒5名、教師5名で発足したこの学園はその後、今日のインド国立大学、通称タゴール国際大学へと発展する。
  しかし、学園創立一周年を迎えようとしていた翌年11月に、彼の最もよき理解者であり協力者でもあった妻が享年29歳の若さで夭折する。夫のもとに14歳 を頭に4人の子供が残された。さらに次女の病が悪化し、1903年9月に12歳9ヵ月で娘も命を閉じる。それから4ヶ月後、詩人が我が子同然に目を掛け将 来を嘱望していた学園の若き教師も天然痘で急逝、1905年1月には人生の師としても敬愛してやまなかった父が88歳で他界、2年後に次男も亡くす。

 こうしてタゴールは僅か数年の間に身内を相次いで死別する苦悩に見舞われる。彼は日頃、悲嘆や憂慮を決して周囲の人々にストレートに言葉や態度で表さなかったらしい。インド人教授によると、「個人的な感傷や感情に何か普遍的な意味がない限りは、それを詩にうたうこともなかった」。身内の死に打ちひしがれているタゴールはさらに時代の騒乱に巻き込まれていく。故郷にベンガル分割令が発布されたのだ。

 タゴールは自ら進んで民族戦線の先頭に立つ一方、新聞・講演とあらゆる機会をとらえて同胞に呼びかける。だが、ベンガルの政治家たちは彼の提案を単なる「詩人の思いつき」として真剣に取り上げようとしなかった。そして分割反対と自治獲得の方法をめぐり、以前からくすぶっていたインド政界の穏健・過激両派の見解の違いが表面化し、ついに対立へと激化する。
  タゴールは両派の和解と統一を願い彼らに冷静と寛容を呼びかけるものの、反って両陣営の同士や友人たちからさえも猜疑の目を向けられる結果となる。穏健派 が政治的駆け引きに終始し、業を煮やした過激派が見境のないテロ事件を引き起こすに当たり、彼は戦列を離れる決意をした。こうして詩人は「逃亡者」「裏切者」「臆病者」と、様々な嘲罵を浴びて再び瞑想の地シャンティニケタンに退いたのだ。

 1911 年12月、ついにベンガル分割令は撤回される。インド民族戦線側の勝利だった。勝利にやっと冷静さを取り戻したベンガルの知識人たちは、改めてタゴールの 高邁な言動を想起し内心恥じた。その後ろめたさもあって当時計画されていた詩人の生誕五十年の祝賀会をいやがうえにも盛大なものにする。翌年1月、ベンガ ル文学協会の主催で祝賀会が開催されるが、インドで文学者にこれほどの栄誉を与えられるのは前代未聞だった。知識人たちの手の平を返したような豹変振りに とまどったのか、タゴールは祝賀会のスピーチでこう述べる。
「今私も齢五十に、言いかえますと、そろそろ世俗の所有物を放棄する年齢(ヒンドゥー教の教える林住期、遊行期を指す)に達しました。そこで、皆様から贈られた名誉をも手放させて頂きます。そしてそれを、そうした献げ物をよみしてくださるあのかたの足元に置かせていただきましょう…」

 40代はじめの男盛りで妻を失った彼は、その後再婚をしなかった。シャンティニケタンにはインド内外から様々な人々が訪れる。彼の活動を「文化のサーカス」と嘲る者もいたが、多くのインドの若者が彼の元に集った。

 それにしても、インドは何と偉大な人物を輩出することか。歴史の古さで張り合う隣国が同じ時代に出したのは軍閥上がりの将軍、数千万の人民の屍を築いた独裁者、「近代文学の父」と謳われながらも時代や民族を越える普遍性は持たぬ医者崩れのモノ書き、くらいか。

■参考:『ギタンジャリ』森本達雄 訳注、レグルス文庫

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4 コメント

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ここで (にょ)
2006-05-18 21:21:00
はじめまして♪

コメントに同感です。
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コメント、ありがとうございます (mugi)
2006-05-18 21:51:40
にょさん、こちらこそ初めまして。

今後ともよろしくお願いします。
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ビートルズ (バーラタ)
2006-05-18 23:12:20
こんばんはmugiさん

>それにしても、インドは何と偉大な人物を輩出することか



これは私もとても共感します。

ビートルズ等の多くの西洋人もインドの哲学や様々な叙事詩に感化されたのには納得いきます。

東京裁判の折にもしっかりと真実を訴えたインド人判事がいたことを知った時、私は感動しました。



そのインドを悪く言うのはきまってKの国とCの国の愚民共でしたね。mugiさんはバガヴァットギーターを読んだことはございますか?この第16章はKの国の愚民のことをそのまんま言い当てているとしかいいようがありませんでした(笑)

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パール判事 (mugi)
2006-05-19 21:29:15
こんばんは、バーラタさん



タゴールは日本の軍国主義を批判し岡倉天心とも絶交してます。当時のアジア諸国で日本を批判したのはインドだけでした。

東京裁判のパール判事の主張は東洋の英知の典型だと思います。パール判事もベンガル出身でした。



インドのカースト制は人権蹂躙と国連で何度も批判勧告を受けてますが、隣国の人権蹂躙には見ざる、聞かざるで通してるのが国連。



ギーターはかなり前に読んだので、ほとんど忘れましたが、第16章にK国の人民のような対象者が書かれていたとは。改めて読み直してみます。
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