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役に立つ愚か者 その一

2016-07-16 21:10:06 | 歴史諸随想

 現代は違うかもしれないが、80年代までの日本の知識人の間には革命へ強い憧憬を持つ者が多かった。殊に戦後日本の言論界を支配していた進歩的文化人にはその類が大半だったのだ。初版が1981年9月の『イスラムからの発想』(大島直政著、講談社現代新書629)には、彼らに対する手厳しい批判があり、以下の文章だけで言論界の主だった文化人がいかに進歩的に程遠かったのかが知れよう。

この種の人々は、すぐ「革命」という言葉に感情移入してしまい、「理解」したつもりになるのだから困る。異国の革命であれ何であれ、「理解」はそう簡単な手順では出来ない。まず、自分の「感情」は棚上げして、「事実」を優先させて思考することが、「理解」へ繋がる唯一の道である「認識」の第一歩であることさえ、この種の人々は分っていない…

 だから、その種の人々は中国の「文化大革命」にせよ、イランのイスラム革命にせよ、それが気に入ったとなると、客観的に本質を見定めようとはせず、すぐに提灯持ちをやるのだ。そして、ユートピアと信じたものが意外な結果に終わると、口舌の限りを尽くして自己弁護をやり始めるのである。
 しかも、自分がムードに乗せられたという反省など、ひとかけらもありはしないし、自分の言動が同胞を誤らせたという責任感もない。要するに「居直り」なのである。そして、この種の「居直り」の上手さとなると、その種の知識人は汚職政治家などより、ずっと上手なのではあるまいか!?(140-141頁)

 トルコ史研究家だった大島氏はイラン革命を指摘、旧政権下なら投獄で済んだケースが、今度は「革命の敵」として死が待っていると書く。「そういうところを認識せず、「革命」なら無条件に賛美したがり、革命政権の非道ぶりを、「産みの苦しみ」ぐらいで片付けるのが、わが国のマスコミや進歩的文化人なるものの悪い癖である」、とも氏は述べている。
 大島氏もトルコ革命への評価は少し甘かったが、それでもイラン革命の提灯持ちをした評論家センセイなどよりは遥かに真っ当だ。ネットでもホメイニを讃える者を見たが、学者連中がこの体たらくだから仕方ない。尤もホメイニを擁護していたのは、リベラル気取りの特亜系ネトウヨだったし、日本への破壊願望を革命に託していたのやら。

 進歩的文化人は当然ロシア革命も高評価しており、旧ソ連体制を何かと称賛していた。既に70年代、旧ソ連の抑圧や非人道主義が一般日本人にも知られるようになっていた。それでも社会主義体制を歪めたのは全てスターリンのせいで、レーニンは悪くない…等の論調が80年代までは殆どだった。「大粛清」で悪名高きスターリンなので、この説はもっともらしく聞こえたし、私も何となくレーニンはそれほど酷くないと思っていた。だが、レーニン自身も同類だったのは後で知った。

 実はレーニンが、「新聞記者など全て殺せ!」と言っていたことを私が知ったのは、英国人作家F.フォーサイスが来日時でのインタビュー発言だった。これが正確に何時だったのかは憶えていないが、80年代後半か90年代初めだったと思う。作家になる前はジャーナリストだったフォーサイスも、「もし私がレーニンの立場だったならば、新聞記者など大嫌いでしょう」と言っていた。

 そして作品名は忘れたが、フォーサイスのある小説に、ソ連共産党に協力した内外の知識人たちをレーニンは、「役に立つ愚か者」と冷笑していたことが載っていた。今でこそこの発言はネットでも見られるが、小説を見た時には驚愕した。共産主義の理想に燃え、革命に身を投じたインテリたちが、やがてラーゲリ(強制収容所)に送られ、大粛清の対象となったのは20世紀最大の暗黒史のひとつ。
 革命政権樹立に尽力した協力者たちを、「役に立つ愚か者」と見ていたのは恩知らずそのものだが、革命家と小市民の見方は完全に違う。レーニン自身も相当なインテリだったが、それ故に良心的でも共産主義体制に害毒を及ぼす存在と見ていたのは確かだろう。

 帝政時代からロシアには、反抗分子をシベリアのラーゲリに流刑する制度はあったが、刑は軽く、また監視の目も非常に甘いため容易に脱走できたという。しかし、ロシア革命以降は苛酷なものに一変する。道義的には問題があっても、レーニンの冷笑は確かに的をついている。やがて自分たちを粛清する組織に協力していたのは、「役に立つ愚か者」以外の何者でもないのだから。
その二に続く

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4 コメント

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権力闘争 (motton)
2016-07-16 23:18:17
権力を争う時、王政や貴族政なら血統、軍事政権なら軍事的才能、民主主義なら得票数、と基準があるわけですが、共産主義だと理論になります。
だからインテリは権力を握ったものから見れば全て(自分の理論を否定する可能性のある)敵なのです。こう理解した時、サヨクで内ゲバが多い理由が分かりました。

また革命は伝統的な基準を破壊するため、ナポレオンやケマルのような圧倒的な才能とカリスマをもつ者が登場するまで、権力闘争が終わらないことがあります。

フランス革命を見て、それを否定すべくバークは保守主義を説いたわけで、それを理解せずに「革命」を賞賛するのはただの無知な愚か者です。
(ソ連のスパイは正しく理解していたでしょう。社会を崩壊させてソ連に侵略させることが目的だったから。)
Re:権力闘争 (mugi)
2016-07-17 22:03:21
>motton さん、

 粛清や内ゲバは右翼にも見られますが、左翼に比べたら至って少ないですよね。共産主義だと権力闘争の基準は「理論」だったという指摘は鋭い。宗派対立でも内ゲバが起きるのは教義、言い換えれば宗教「理論」を巡る争いなので、こちらも陰惨で収まりがつきません。

 日本の知識人が簡単に「革命」に感情移入したのは、元から舶来モノに弱いという事情があると思います。近代以前はシナ、明治以降なら欧米の最新流行と思った思想に早々と飛びつく。ソ連や中共のスパイからすれば、さぞ役に立つ愚か者と冷笑していたでしょう。
脱走が容易でなくなったのは (madi)
2016-07-20 15:50:12
脱走が容易でなくなったのは鉄条網の発明と応用によるところが大きいようです。
ボーア戦争以来人間の強制収用に活用されていきます。
石弘之「鉄条網の歴史」
http://www.honzuki.jp/book/204710/review/144786/
Re:脱走が容易でなくなったのは (mugi)
2016-07-20 21:12:20
>madi さん、

 はじめ鉄条網は、家畜や野生動物排除が目的で使われたそうですが、それが人間にも活用されるようになって以降、動物よりも人間への弾圧や排斥が主な使用方となりました。日本ではあまり知られないボーア戦争ですが、この時強制収用した方もされた方も白人でした。

 wikiのラーゲリには、帝政時代のロシアのシベリア流刑は刑も軽く、監視の目も非常に甘いため容易に脱走できたことが載っています。まだ鉄条網が使われなかったのかもしれませんね。