トーキング・マイノリティ

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オリンピックと大本営発表

2008-08-15 20:23:46 | マスコミ、ネット
 時期柄、TV報道は北京オリンピック一色となっている。選手はもちろん記者、観光客問わず日本人全てに礼節を欠く国での国際大会で、健闘されている日本人選手には敬意を表したい。しかし、敬意の念など欠片も感じさせない者もいる。オリンピックになるとここぞとばかり湧いてくるような一部解説者やスポーツライターたちだ。

 私は元から関心も薄いのでスポーツ番組はあまり見ない。ましてこれほど欺瞞と拝金主義、流血にまみれた北京オリンピックとなれば、観戦する気も失せている。日本選手が勝った知らせを聞けば喜ぶが、それでもTVでウオッチングするのもおっくうなのだ。オリンピックに限らず私がスポーツ番組を敬遠するのは、喋り過ぎの解説屋が鬱陶しいのが理由。解説が飯の種なのだから、種目に無知な一般大衆相手に力んで話すのも職業柄にせよ、絶叫を連発されると面白いより喧しさを感じる。昨年地元のプロ野球試合を見に行ったが、スポーツ番組にありがちな解説はなし、応援団の声援が球場に響く程度なので心地よかった。

 不可解なのは国営、民放問わずキャスターや解説屋が異口同音に、「メダルが期待されます」「メダルに向けて」と連発していること。国民が日本人選手にメダルを期待するのは当然だが、海外選手の実力を知るスポーツジャーナリストならば、果たしてメダルが取れる可能性があるか否かは、凡そ分るはずだ。それまでの国際試合の他国選手の実績や実力を多角的に分析、検討すれば結果は予測できるだろう。しかし、詳細なデータを許に冷徹に調査した結果は、事前にマスコミで流すことはない。超楽観主義丸出しの願望予測を並べて、勝利への過剰な期待を煽る傾向がありすぎる。そしてマスコミに乗せられ、事情に疎い日本人応援団もメダルへの期待が膨らむ。試合本番でたまに番狂わせもあるにせよ、このような奇跡はさして期待できない。

 国際試合へのマスコミの報道姿勢に、私は戦時中の大本営発表を連想させられる。戦力では圧倒的に劣っているにも係らず、決して国民に不都合な真実は知らせず、精神力で鼓舞。ひたすら勝利幻想を煽り続け、軍部と一致協力した新聞報道。戦後、マスコミは軍部に強制されたと言い繕い、自己保身と責任転嫁を図った。
 ただ、戦時下は非常時でもあり、現代とは報道背景が全く異なっている。それなのに、まるで横並びしたかのようなオリンピック報道姿勢は不快さえ覚える。何しろ舞台があの北京なので報道各社は協定を結び、情報管制に全面協力していることだろう。

 6月後半、「オリンピックは神聖ではない」という素晴らしい記事を書かれたブロガーさんがいる。「珈琲ブレイク」さんの指摘どおり、オリンピックを殊更神聖視、異論や苦言を封じ込めるのを良しとする空気が日本に蔓延しているのではないか。プラス面ばかりを紹介するのはもう全体主義にちかい。オリンピックに限らず、日本のメディアは一面からばかり見る傾向があり、昨年の流行語はKY(空気が読めない)。平均と違う意見や見方はKYと見なされがちだが、空気が読めないことと空気に従うのは異なる。

 日本の政治家や文化人には、スポーツと政治は別物など、未成年でも信じぬようなきれい事を平然と口にする者もいる。オリンピックは世界的イベントであり、平和を謳いながら国家間の戦の一種でもある。北京五輪に参加する日本選手の宣誓の文言にあった「国際平和」「友好」ほど、ブラックジョークの極みもない。上部の指示通り、日本選手は宣誓どおりの振舞いをしたと思われるが、競技場はナショナリズムの昂揚する場でもある。谷口源太郎なるスポーツジャーナリストが、日本の応援を“偏狭なナショナリズム”と叱責したらしい。その舌をおそらく世界で最も歪んだ中華ナショナリズムの開催国にも振るえるなら正論となるが、彼がそのような言動を取る可能性は金物屋で野菜を求めるに等しい。

 日本と中国の女子バトミントン戦で、地元の反応が「シャー、シャー(中国語で殺せの意)」だったのを、ネットニュースで知った。もちろん新聞やTVは報じない。『マオ』上巻で、中国共産党員の敵対者(旧日本軍ではなく中国人)に対するスローガンが「焼、焼、焼!殺、殺、殺!」だったことが記されており、日本のマスコミ同様こちらも戦前と変わりないようだ。「苛政は虎よりも猛し」とは中国の諺だが、虎より人間の方が遙かに始末が悪い。

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7 コメント

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マイナー競技 (motton)
2008-08-25 13:57:09
私は大学まで卓球をやっていたのですが、卓球は競技人口ではかなりメジャーな方で、30年前までは世界チャンピオンもいたのですが、一時期のマスコミのネガティブイメージに苦しめられました。幸い、福原愛ちゃんの登場によるマスコミの手の平返しで、かなり復活してきて、今回も男女ともメダルまであと一歩のところまで来ました。

少し前の卓球のように、いつもは放映してもらえないマイナー競技にとってはオリンピックは唯一のアピール場所なので、難しいと分っていても「メダル」と口にしてしまいますし、解説もつい熱が入ります。あまり責めないでやってください。
そして、わずかでも放映してもらってその競技に興味を持ってくれる人々が増えれば、競技人口が増えて強化費が出せる、競技施設も増える、また基礎運動能力に優れた子供達を取り込めれば将来のメダリストも出せる、そうすればまた放映してもらえるというわけです。
日本の場合、先天的に基礎運動能力に優れた男の子の半数は野球に、残りの多くはサッカーに取られてしまうので、他の競技は苦しいんですよね。(今回の野球と男子サッカーの惨敗という結果はマイナー競技には幸いかもしれません。)

どんな競技でも、世界の一流選手の心や技や体は何もしらない素人にも訴える力があります。特に感受性豊かな子供達にとっては。
なので、出来るだけ多くの競技を Live 放映して欲しいのですが、マスコミは「感動」をコントロールできると思っているので、スター選手の試合を絶叫で実況するしか出来ないんですよね。また、他の競技をやっている時に録画放送とかダメすぎです。

あと「偏狭なナショナリズム」というのはその通りかもしれません。勝利やメダルだけに「感動」を追い求めると自国選手しか見なくなってしまうのでしょう。
ただし、日本はナショナリズムに関係なくスポーツを愛するファンが多いと思います。
もちろん(おらが代表たる)自国選手は応援しますが、一流選手を見て感じるものに国籍は関係ありません。それは、一流を一流として素直に感じることなので、スポーツ界の将来にとっては良いことだと思います。
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おらが代表 (mugi)
2008-08-25 22:09:28
>mottonさん

貴方が卓球をされていたとは、予想もしておりませんでした!
実は私はまるでスポーツが苦手なので、 元からスポーツ番組を見ない傾向があるのです。そのため、特に今回の五輪は見る気も起きなかった。卓球といえば、マイナーなスポーツのイメージがありましたが、かつての日本はレベルが高かったのですね。

私の知人はテニスをしていますが、学生時代は他の球技者から軟弱スポーツと蔑まれたと話していました。もちろん現代は事情が違ってますが、世界大会で優勝まではいかなくとも、上位入賞となればマスコミの取り上げ方も違ってきます。私の子供の頃はバレーボール全盛時代で、TVでもアタック№1、サインはVなど人気を集めていました。当時の日本は男女ともバレーが強かったのですが、今は、、、

旧ソ連も同じですが、中国のような国なら、子供の頃からスポーツに秀でた者を国ぐるみで育成するので、とても日本は太刀打ちできないでしょう。ただ、国家が特に後援している訳でもないのに韓国選手のパワーはどこから来るのでしょう?この点は日本も韓国に見習った方がよいかも。

仰るとおり自国選手を応援しつつ、他国の一流選手にも拍手を送る、それこそがスポーツを愛する真のファンでしょう。
おそらく日本の応援団はこのような方が多いと思います。日本の一部文化人のえげつないところは、日の丸だけで「偏狭なナショナリズム」と決め付けるくせに、隣国のそれにはダンマリを決め込むこと。
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韓国 (motton)
2008-08-26 00:08:28
韓国は中学・高校の部活動は低調で、例えば野球部がある高校が50校ほどだそうです。日本だと一県でもそれくらいありますからね。
だからスポーツ人口では日本とは桁違いに少ないようですが、時々すごいのが出てきます(水泳の朴泰桓とかフィギュアの金ヨナとか女子ゴルフとか、卓球も結構強いです)。
Webの新聞記事とか読んでいると個人の努力みたいですね。20世紀前半の日本みたいなものでしょうか。
金メダルを量産できるアーチェリーなんかは中国と同じみたいですね。
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2008/feature/continent/fe_co_20080623.htm
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スポーツをた (Mars)
2008-08-26 20:18:45
こんばんは、mugiさん。

私は野球をはじめ、スポーツは大好きですので、贔屓チームを応援しますし、日本代表ですと、「偏狭なナショナリズム」といわれても恥じない位、我が国代表を応援します。

でも、日本人が欧米や中韓等の諸国と違うのは、スポーツは正々堂々と戦い、姑息な手段では勝ちたくないですね。
また、もし負けた時も、ぐだぐだ言い訳するのでは、相手を賞賛し、勝てなかった自分の弱さを認めるのでしょうけど。
そして、スポーツとは相手がいて、初めて成立するものですので、戦いが終われば、お互いに健闘を称えるものです。

ま、とはいってみたものの、スポーツには、金や政治的な思惑が全くないものなど、ありえませんが、、、。

今回の野球代表チームは残念な結果となりましたが、下手な言い訳などせず、今回の失敗を教訓にして、更なる発展をしてほしいものですが、、、。
(日本人が不得意な事の一つといえば、失敗を教訓にし、次の勝利へ結びつけようとする事ですが、、、)
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コメント、ありがとうございます (mugi)
2008-08-26 21:47:10
>mottonさん

紹介されたニュース、拝見しましたが、やはり日本と社会的な背景がかなり違うようですね。
日本では部活動が今でも盛んで心身を鍛えるという面もありますが、韓国は進学かスポーツかの選択を迫られるのでしょう。日本の比ではない学齢社会ゆえ、スポーツは少数精鋭主義になっている。「2位以下は敗者」というのも厳しい。ならば初めから意気込みが違ってくるのは当然だと感じました。日本の場合、メダルを取っても、その後の生活が必ずしも保障されないのも、問題があります。


>こんばんは、Marsさん。

祖国の国旗を振って声援するのは他の国でも全く同じです。それを「偏狭なナショナリズム」と決め付ける我国の一部文化人の方こそ、「度し難い中華ナショナリズム」奉公人ではないですか。「日本人がメダル獲っても嬉しくない」と言った教授もいたとか。
http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-350.html

正々堂々と戦わず、姑息な手段でも使って勝とうとする選手も少なくないのがオリンピック。開催国の男子サッカーチームに至っては、相手選手の股間を蹴る始末。今回の五輪ほど、金や政治的手段が露骨だったものもないですね。

仰るとおり、今回の野球チームの結果は完敗といってよいでしょう。その教訓を活かし、オリンピックはもうないにせよ、国際試合で雪辱を果たしてほしいものです。
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卓球と野球 (motton)
2008-08-27 00:28:48
卓球は現在中国が無敵といえる強さです。世界ランク1~4位まで(女子は5位まで)が中国選手で、オリンピックでは団体男女の金とシングルスの全メダルを持っていきました。
ただそれに相応しいプレーをしているので悔しいかな認めざるを得ません。
中国では珍しい国民的スポーツでかつ国技であり国家を挙げて強化しているのでそうなっています。

日本の野球も中国における卓球のようなポジションなんですがダメですね。
私は野球を見るのも大好きだったのですが、アテネ五輪からもうプロ野球を見るのを止めました。(巨人の上原だけは好きなんですけどね。)
卓球の愛ちゃんは世界ランク10位くらいです。他の代表の平野選手や福岡選手や水谷選手が20位くらい。個人競技で20位なら世界的に一流選手でオリンピックに自動的に出場できるレベルです。(50位くらいまでは予選等をクリアしてなんとか出れます。)
ところが野球の世界なら各球団のエースが12人四番が12人です。(アメリカを合わせると40人ずつくらい)。
要するに個人競技ならエースや四番であってもオリンピックに出れるかどうかのレベル。それ以下の選手は必死に上を目指さないといけない選手達です。でもそういう必死さが全く感じられないんですよね。
日本を代表するスポーツであり身体能力に優れた人々が集まるスポーツである野球の選手達がこういう状態というのは、日本のスポーツ界にはよくない気がします。
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かばねやみ (mugi)
2008-08-27 21:55:44
>mottonさん

卓球のことはまるで知りませんでしたが、中国勢が断トツの強さですね。国技となるにせよ、あの13億の人口を擁するのだから、選手層が厚い訳です。米中国交正常化もピンポン外交がきっかけでした。
卓球の愛ちゃんは日本のメディアで騒がれ過ぎの印象があったのですが、世界ランク10位くらいだったとは。それでも韓国に負けましたし、こちらも日本を上回っている。中国に負けるのは初めから想定内でしたが、こちらにも、、、

日本の野球界は優れた選手が大リーグに行き、日本に残った者は二流どころばかりになったような気がします。今回の試合にしても、ボールをこぼすという、まるで高校野球のようなミスには苛立たしかった。野球にも詳しくない私でも、緊張感がないように感じられました。
私としては地元・楽天のマー君が気になったのですが、無失点に抑えた彼のプレーに安心しました。それに対し、ダルビッシュの方は…名前どおりしばらく托鉢せい、と言いたくなりました(※ダルビッシュとはイスラム托鉢僧の意)。彼の父ならこれもアッラーの思し召し、と納得するかもしれませんが、非ムスリムの私に言わせれば、この「かばねやみ」(仙台弁で怠け者)!
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