トーキング・マイノリティ

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被災地で救援活動する人々 その二

2011-03-30 21:14:25 | 仙台/宮城

その一の続き
 続いて、「主人に聞いた話2」の記事から一部引用したい。宮城県塩竈市の惨状が描かれており、仙台市在住でも宮城県人の私としては、暗然とさせられる話だった。

今回は(仙台を拠点にして)塩竈市に行っていた主人から現地の様子を聞きました。(既に活動している地元の方から聞いたという話も)
 現地で活動しておられる自衛隊員の中には、被災された方もいらして、家族が行方不明の中、被災者のご遺体が運ばれて来る度に、 “次は自分の家族だろうか”と(もちろんそんな心配はおくびにも出されないでしょうが)、心配しながらの遺体の収容作業をしておられるとのこと。

 ヤマダ電機(どこでも同じように一階は駐車場で、二階が売り場)の電化製品はごっそり盗まれており、まだ収容されていないご遺体から、指輪などを抜き取る盗難も結構あるとのこと。そういう目的で被災地をうろつく人は傍目で見ても、リュックを背負い、何かを物色する様子でそれとわかるとのことです。(でも、取り締まるまでの手が足りないのでしょうね)

 燃料を積んだタンカーが沖合いまで来ていても、それを抜き取り小分けして運ぶタンクローリーが足らず、運搬できないらしく、タンクローリーも大分被害にあっているとのこと。
 広い道路の両脇に並んでいる車両は被災した車で、通り道を確保する為よけられたもの、中には船もガードレールにぶつかって重なっていたり、タンカーが建物につきささっていたり、車が通常ならありえない状態で積み重なっていたり…。「車がまるでめくられたみたいだった」「手がつけられないんだよな…」と言っていました。

 とにかく水が不足していても、どの地域に水道が来ていないのかわからず、給水場所は、洗濯物が干してあるかどうかを目安にしていたそう。「やっとこれで洗濯ができる」と言われたとか。牛は一日に沢山の量の水を飲まないと死んでしまう(大分死んだ牛も出たそうで…)ので、水の出る他の地域に移したりしているらしいです。 
明日もまた来る?」と訊かれ、「いえ、自分達は帰って、また別の者が回りますが、どこを回るのかは未定です」と答えると、「いいなぁ、帰ってビール飲んで、あったかい風呂に入れるんだなぁ…」と言われて、返す言葉がなかったと…。福島から帰って来た時も今回も「後ろ髪引かれる思い」だったと言っていましたが、切ないです

 避難所中心の救援になるのは仕方のないことですが、自宅で過ごす方々も相当不便なご様子。一日も早いインフラの復旧が必要なのでしょうが、法律の問題もあり(財産権などで瓦礫の撤去も手をつけられないとか…)、また、手を貸したくても体制が整わないと動けなかったりと、やはり上の対処のまずさ、遅さが日に日に問題になっているようです…

 塩竈市には父の墓地があり、盆や彼岸の季節以外にも何度も行っている。この町の仲卸市場は首都圏からも買い物客が訪れるほど、水産物の豊富さが売りだった。地元紙・河北新報も塩竈市の被災箇所の写真を載せていたが、ハハサウルスさんのご主人が形容されたように、「手がつけられないんだよな…」という有様。他の沿岸部被災地も似た状況で、車が屋根の上に乗っていたり船が陸地に鎮座したり等、通常ならあり得ない光景だった。まるで巨大怪獣が上陸し、車や船を玩具のように陸地に放り投げ、散々踏み荒らして去って行ったようだった。

 例年の彼岸なら塩竈に墓参りに行っていたが、今年は止む無く取りやめた。ガソリン不足が続いており、遠出は控える必要があるし、JRやバスのような公共交通機関すら、満足に運行されていない。生花市場も振るわないのは書くまでもなく、花より団子とは今の東北の状態。墓参りはいつでも行けるし、落ち着いた時にすればよいだけだ。
その三に続く

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