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新聞で思想や意見を確立 その一

2016-04-26 21:40:05 | マスコミ、ネット

 4月21日付の河北新報の読者コーナー「声の交差点」に、興味深い投稿があった。タイトルはズバリ「新聞で思想や意見を確立」、この記事名もそのまま同じ題を使わせてもらった。投稿者は仙台市若林区の文具店経営者・出雲幸五郎氏(85歳)。以下の色字は出雲氏の投稿全文である。

13日の本紙朝刊に、東大の五神真学長が入学式の式辞で新入生に「新聞を読もう」と呼びかけたという記事が載った。こんなことが新聞記事になる時代だ。わが家で新聞をとり始めたのは1941年(※昭和16年、昭和年号は投稿にない)、太平洋戦争が始まってからである。現在は本紙を含めて5紙購読し、新聞代を毎月1万6千円も支払っている。
 当然家計を圧迫するので、「減らしては」と言われる。代金を払った限りはもったいないので、全紙まていに(※丁寧に、仙台弁)読んでいる。1紙読むのに30分はかかるので、早朝は言うまでもなく、深夜放送を聞きながら、何とか完読している。

 友人に「新聞を何紙とっているか」と聞くと、1紙という人が多い。とっていない人はテレビやインターネットで情報を得ている。どれを選ぶかは本人次第だが、私はパソコンを操ることが出来ないので、長年新聞のお世話になっている。
 五神学長が言われるように、新聞を読む習慣は学生時代につけておかないと、社会人になってからは遅い。新聞は自らの思想や意見を確立する大事なツールである。

 出雲氏の投稿タイトルこそ、新聞社の目的と目論見があからさまに表現されている。大衆へ「新聞で思想や意見を確立」すると、文具店経営者に代弁させているのだ。新聞とは、実際には広告主の思想や意見を確立する大事なツールであり、それをあたかも己の思想や意見の確立と思わせるよう、仕向けているのである。ここまでミエミエの新聞擁護投稿が載せるようになったのか。
 出雲氏のフルネームで検索したら、氏の経営している文具店・幸洋堂HPがヒットした。パソコンを操ることが出来ない、と言った氏だが、家族や店員にでもHPを作成させたのだろう。また出雲氏は『「こうごろう新聞」仙台荒町奮戦記』というエッセイを出版していたことが
分った。

 そして出雲氏の検索で最も関心を引いたのは、2015年8月14日付の朝日電子版の「宮城)「戦争はいや」、戦前から続く文具店が貼り紙」。この記事だけで出雲氏の思想や意見が知れよう。新聞で思想や意見を確立されたことを誇る氏だが、新聞社は所詮一企業に過ぎず、メディアに洗脳されたと公言しているのと同じだ。
 大体、氏が新聞をとり始めた昭和16年から昭和20年の敗戦まで、新聞が“大本営発表”状態だったことは戦後生まれでも知っている。今にして思うと、あれほど体制に協力した新聞を、戦後になっても大半の日本人が信用して購読し続けたのは奇妙に思える。まだテレビさえなかった時代、情報を得るのは新聞以外なかったにせよ、権威に弱い日本人に新聞は絶大な影響力があったのだ。

 それにしても、東大学長殿が入学式の式辞で新入生に「新聞を読もう」と呼びかけたこと自体、日本最高学府の情けなさを象徴しているとしか感じられない。古典や良書を読め、ではなく広告満載の新聞を読もうというのだから呆れる。近頃の東大学長は新聞業界の広報も兼ねるようだが、何時の時代も金はペンより強いのだ。
 一昨年、ついに朝日新聞社の新入社員で「東大卒ゼロ」となったことが、ネット上で話題となった。今年は不明だが、まさか東大生が“格下”の読売や毎日に入社するとは思えない。就職先が新聞社であろうがなかろうが、確立すべきは収入とスキルであり、思想や意見は後でも出来る。

 五神学長は、新聞を読む習慣は学生時代につけておかないと、社会人になってからは遅いと言ったそうだが、私自身の体験からは“”と答える。私が新聞を読む習慣を身につけたのは社会人になって以降だったし、学生時代は殆ど三面記事とTV番組欄しか見ていなかった。むしろ社会人になってからの方が、新聞を面白く読めたし理解し易かった。
 もちろん個人差はあり、私の場合は学生時代から本好きだったということもあった。私的には小説や文学よりも新聞を優先して読む学生のほうが不可解だし、知力も魅力も感じない。
その二に続く

◆関連記事:「大本営発表
 「マスコミの御用映画人

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2 コメント

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自らの思想や意見を確立 (motton)
2016-04-28 12:20:55
「自らの思想や意見を確立する」ことが無条件で正しいことになっているのが、真のプロパガンダです。
森羅万象に対して、神ならぬ身で自らの思想や意見を確立することなど不可能です。それを知る謙虚さが保守主義であり、それを知らない傲慢さが革新主義とも言えるでしょう。

幸い(というか先人の英知により)、多くの国では、個々の政策を選ぶのではなく「人」を選ぶ間接民主制を採用しています。
だから、サヨクは「マニフェスト」を流行させました。「自らの思想や意見を確立する」ことなど出来ない民衆が、政策を選ぶ時にメディアに登場する専門家の思想や意見に引きずられることを見越した上で。
幸い(というか日本人は賢かったわけで)、一回の失敗だけで死語化しましたが。(政権交替前、鳩山や管や長妻を間近で見ていた官僚達はああなることを知っていました。だから「人」を見れば政権交替なんか無かったはずなんです。)
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Re:自らの思想や意見を確立 (mugi)
2016-04-28 22:18:33
>motton さん、

 意図的なのかは不明ですが、出雲氏の投稿タイトル「新聞で思想や意見を確立」はサヨクの本質を表していますね。メディアに登場する専門家はここで思想や意見の発表を行い、そによって民衆が引きずられることを狙っていた。メディアの官僚バッシングは明らかに意図的なものがありますが、「マニフェスト」が絵空事なことに官僚たちは気付いていたようですね。

 しかし、肝心の新聞を読んでくれない若者が増え、プロパガンダが難しくなりました。だから新聞を讃える投稿者の声を盛んに載せ、プロパガンダを図っている。県内での河北新報の影響力は未だに侮れませんが、「平和憲法を守れ」「野党に投票しよう」等の呼びかけに、素直に従う読者ばかりではないと思います。
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