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三行半の実態

2008-02-29 21:20:08 | 読書/日本史
 一般に江戸時代は、男が三行半を書けば簡単に妻を離縁できたと思われがちだ。私の高校時代の日本史参考書にも三行半の写真が載っており、男尊女卑がひどかった時代の遺物との第一印象だった。だが、別れるにせよ煩雑な背景があり、江戸時代は決して現代の一部の男たちが憧れるような男性天国ではなかったのだ。

 夫や姑の虐待を受けても女性に離婚請求権のなかった江戸時代、「駆込寺」「縁切寺」の異名を持つ鎌倉の東慶寺に飛び込み裁きを願い出れば、離縁を許されることになっていた。女が駆け込んだ時、まず寺役人が出て、事情を尋ねる。この役人は尼ではなく男である。尼寺ゆえ尼が全て取り仕切っていると思われがちだが、この寺は今の家庭裁判所のようなところであり、尼寺に付属していても運営は別なので男の寺役人が勤めている。

 まず寺役人は女に人定尋問を始める。いかに離婚専門の駆込寺でも、名前、住所、家庭の状況を聞いただけで離縁が認められたのではない。女の申し出に間違いがないか確認する。夫、家主、五人組名主宛てには確認書状が送られる。「某という女が駆け込み、寺法による離縁を願い出ているが、その身元に間違いはないか。相違なければ早々出頭せよ」といった文面で、同じ趣旨のものが女の実家の親元、名主宛に出される。これらはいづれも寺の飛脚が持っていく。
 返事が来るまで女は頭を丸めて尼になっているのではなく、女専用の御用宿で泊まっている。御用宿の主人はこうした問題には慣れっこゆえ、寺役人に代わり手続き代行のようなこともしていた。

 寺から飛脚をもらった方はありがたい訳がない。名主、五人組、家主連名の宛名になっており、プライバシー皆無な面はともかく、名主も出頭しなければならないので、迷惑千万なのだ。夫は近所から文句のひとつ以上は確実に言われただろう。寺の飛脚にも一応心付けを包まねばならず(飛脚の中にはかなりの金品をねだった者もあり)、また鎌倉まで名主に入ってもらうとなれば、宿賃他かなりの物入り。なかなか大儀だし、すぐには都合が付かない場合、一旦繰り延べの願いを持たせて飛脚を帰し、その後の対策を練る。

 一大事なのは女の実家も同じ。まず仲人を介して夫婦と話合いを持つ。そこでうまく折り合いが付けば、寺へのお礼の挨拶の後、娘を引き取る。娘は東慶寺に入るに及ばない。それでも身柄引取りに出向くのだから、現代のように交通網が発達しない当時は寺に着くまで時間もかかる。もし、まとまらなければ御用宿に滞在し、相手の来るのを待った上で議論することになる。

 普通女が駆け込むと、夫側が大抵離縁状を書く。当事者だけでなく、名主まで呼び出されるので費用面でも大変だ。それでいわゆる三行半が出る。名主たちも内心鎌倉詣でをせずに済むので、それを勧めたのだ。ただ、東慶寺に残っている実物には必ずしも三行半とは限らなかったようだ。
 しかし、たまにはおいそれと三行半を書かなかった夫もいる。このような場合、寺から改めて出役(でやく)と呼ばれる使いが出る。そして寺法書(寺の決まり)を持って行き、これを名主に渡す。「今日以降、この女は寺に召抱える」といった内容で、一種の強権発動である。これが出された以上、妻を寺に引き渡さねばならないと定められていた。

 なお、寺に預けられた女は尼になる訳ではない。原則として2年間寺にいれば親元に戻り、再婚も自由だった。実際にはもっと短い場合もある。寺役人が出役として夫の実家に出向し「寺法書」を読み上げない前、離縁状を書くと言えば、1年で認められた。この寺入りは一種の人身保護であり、現代のシェルターの魁だった。なかなか離婚を認めない夫なら、里方に帰った後も押しかけて乱暴する恐れもあり、寺が預かってほとぼりを冷ましたのだ。ただ、寺入りの女たちは何がしかの料金を納めねばならなかった。また寺に入った後もその納付金や、それまでの身分により仕事の分担が決まっていた。

 江戸時代は建前としては女から離婚が申し出られなかったが、実際は仲人や五人組が間に入って離縁はしばしば行われていた。もつれにもつれた場合、東慶寺に持ち込まれたのが実情らしい。だが、費用もかかるため、離婚に踏み切れない女も大勢いたのは確かだろう。日本に限らぬが、当時は裁判自体が女に不利だったのだ。
 男女の問題は現代でも解決できない。女にとって江戸時代より法整備こそ格段に整ったが、離婚は結婚より何倍も労力を必要とするのは男女共に変わりない。
■参考:「歴史をさわがせた女たち/庶民篇」永井路子著、文春文庫

◆関連記事:「封建時代の日本女性の実態

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2 コメント

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Unknown (ルイージ)
2008-03-01 12:21:21
最近は江戸時代の庶民を扱った本が多くて
喜ばしいかぎりです。


縁切り白便器
http://www8.wind.ne.jp/mantokuji/inter/interview.html

関西の離婚事情とかも気になりません?
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縁切り白便器 (mugi)
2008-03-01 21:31:00
>ルイージさん

「縁切り白便器」とは初耳です。縁結びが黒便器となってますが、黒色だと印象がよくないような…

仰るとおり、江戸時代の関西の離婚事情はどうだったのでしょうね。かなり前、宮城の郷土史家が河北新報に江戸時代の東北の離婚例を書いていましたが、寺ではなく有志の人が匿ったケースでした。
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