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マヌ法典 その一

2014-03-15 20:40:17 | 読書/インド史

 先日、ヒンドゥー教の法典『マヌ法典』(東洋文庫842、渡瀬信之訳注)を読了した。渡瀬氏は巻末の解題で、この法典(ダルマ・シャーストラ)が成立した背景を次のように述べている。

 紀元前6世紀頃のインドで、禁欲苦行主義の台頭により、それまでの家中心の正統的な社会が揺らぎ、社会の再編が求められた。その際、社会の再編の切り札とされたのが、社会の中核としてのブラーフマナ(バラモン)、クシャトリアヴァイシャシュードラの4ヴァルナ(身分)体制の確立であり、それぞれの身分への確たる行為規範を策定することであった。これがダルマ・シャーストラ編纂の始まりという。
 ダルマ・シャーストラは4ヴァルナの構成員にとって、決して犯してはならぬダルマ、つまり本来的で聖なる正しい生き方・あり方を定め、それを以って正統インド世界の行為規範とすることを目指した。19世紀半ばまでダルマ・シャーストラはその使命を果たし続けることになるが、現代に続くカースト制の思想基盤にもなった。

 ダルマ・シャーストラがいつ初めて編纂されるようになったのか、必ずしも明瞭ではないが、現存する文献の最も初期のものはおよそ紀元前6世紀頃に遡るという。それ以来19世紀半ばまで、殆ど中断することなく連綿として書き続けられてきたらしいなので、これだけでも気の遠くなる話だ。
 渡瀬氏によれば、ダルマの概念はインド・アーリア起源であり、他の印欧語の中には対応を見いだせないという。この観念が初めて登場するのも紀元前1千2百年から1千年頃にかけて編纂したとされるリグ・ヴェーダにおいてらしい。万事のあり方を決定するダルマの力の源泉は宇宙秩序(リタ)であると考えられており、創造主の定めそのものなのだ。それ故ダルマは真実であると同時に正義であり、それを犯すことは罪とされた。

『マヌ法典』の作者は不明だが、バラモンのエリート層によって作成されたのは明らかである。紀元前2世紀から紀元後2世紀にかけ、成立したと考えられているが、この時期はちょうど仏教やジャイナ教などの新興宗教や新思想の興隆と重なる。信者間の平等を教義とする仏教やジャイナ教と対照的に『マヌ法典』では、カースト厳守とバラモン絶対優位が繰り返し強調されている。
 法典作者たちがその書で目指したのは、編纂前の前代において形成されつつあった4ヴァルナを中心とする社会体制、バラモンを頂点とするヴァルナ体制の確立と強化であった。とりわけバラモンはダルマの守護者、ダルマの体現者としてこの世界に遣わされたのであり、ダルマの書である『マヌ法典』を学び、正しく伝える責務を負うことが語られている。

 厳格な階級、身分制度が普通だった時代の書にしても、シュードラへの言及には凄まじい内容がある。バラモン、クシャトリア、ヴァイシャに仕えるため、神により創造されたのがシュードラというのだ。9章にはシュードラのあるべき生き方が説かれており、そこから引用したい。
9-334 ヴェーダを知り、家長で評判のよいブラーフマナに仕えることが至福をもたらすシュードラの最高の生き方(ダルマ)である。
9-335 清浄で、上位[身分]の者に仕え、言葉柔らかで、我欲なく、常にブラーフマナをはじめとする者たちに庇護を求める時、[シュードラは]上位の生まれ(ジャーティ)を享受する。

 11章には様々な罪への詳細な分類が見られるが、大罪の筆頭はバラモン殺し(11-55)となっている。そして他のカースト構成員殺しは“大罪”に分類されているが、準大罪のトップも牛殺しであり、女やシュードラ、ヴァイシャ、クシャトリア殺しはずっと後に記載されている。人間より牛殺しが重いのはいかにもインドらしいが、バラモンは特別なのだ。こんな一節まである。
11-85 ブラーフマナはまさしくその生まれのゆえに神々にとってすら神であり、この世界の規律である。実にヴェーダがそうさせているのである。
その二に続く

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