近代科学の先鞭をつけた西欧人が誇るものに医療技術がある。彼らの高度な医療は全人類に計り知れない貢献を果たしたが、中世の頃の西欧はもちろん、パレスチナに侵攻した十字軍も医療では信じられないほどお粗末なものだった。11世紀頃のアラブの有力者が見た西欧の記録が残っている。有力者のおじは西欧人に頼まれてアラブ人キリスト教徒の医師を派遣したが、その医師は10日間ほどで戻ってきた。その医者の報告を抜粋したい。
「脚に腫物ができた騎士と痩せこけた女が連れて来られました。私が騎士に膏薬を少し付けてやると、腫物の口が開き膿が出て回復に向いました。女の方には食餌療法の治療食を処方し、元気を取り戻してやりました。そうこうしている内に、フランク人(東方では西欧人をこう呼んだ)の医者が一人やってきました。そして私のことを患者の治療法も知らない薮医者だと言うのです。医者は騎士に「一本脚で生きているのと二本脚で死ぬのと、どちらがいいか」と尋ねました。騎士は一本脚でも生きている方がいいと答えました。すると医師は「頑健な騎士によく切れる斧を持って来させてくれ!」と言いました。騎士が斧を持ってくると、私自身その場に立ち会ったのですが、医師は病人の脚を分厚いまな板にのせ、斧を持った騎士に向って言うには、「この脚に斧の一振りを加えてくれ。ただ一振りで切り落とすのだ」。私は騎士が最初の一振りを加えたのを見ました。しかし脚は切り落とされませんでした。二振り目で脚の骨髄が飛び散りました。そして病人はすぐに死んでしまったのです。
それからフランク人の医師は女を診察すると、女に取り付いた悪魔が頭にいるから、髪を剃らせるようにと言いました。女は髪を剃ると、フランク人の食べ物で、とりわけニンニクとカラシを使う以前の食事に戻ってしまいました。女がますますやせ細るのを見ると、医師は「悪魔がもう頭の中まで入り込んでしまった」と言い、剃刀を取ると脳天に十字架の切込みを入れました。そして真ん中に骨が見えるほどの深い引っかき傷を作りました。それから全体を塩でこすると、女は直ちに死んでしまったのです。私はフランク人に、まだ私が必要かと聞くと、もう結構だという答えだったので、帰って来ました。それにしても、フランク人の医術について、今まで知らなかったことを教わりました」
上記の記録には、フランク人を「ただただ至高の神を讃え崇めるばかりだ。彼らの中に重荷を担う力強さと我慢強さという美徳を持つ獣の姿が見える」との表現もある。当時世界最先端をいっていたイスラムの科学を学ぼうとしたフランクは至って少なく、逆に親交を持った東方人に「君の息子を俺の国に連れて行きたい。そこで思慮分別を身に付け、騎士道を学ぶだろう」と言う者もいた。侵略者フランクの粗野と無知を嘲ったイスラムだが、この先フランクが大躍進を遂げるのと対照的に、イスラム圏が凋落と後退に陥る未来を予想した者などいただろうか。
イスラムを代表する大科学者イブン=スィーナー(980-1037年)の、名高い『医学典範』は、16世紀ごろまでヨーロッパの大学で使用され、欧州の近代科学に多大な影響を与えた。その彼の生まれ故郷ブハラ(現ウズベク共和国)は19世紀から20世紀初頭になると、医療機関に値する施設は一つもないという惨状だった。医療関係者らしき存在は、治療師、呪い師、産婆くらいだが、ほとんどが無知無学の輩という始末。この有様では天然痘やマラリア、コレラのような伝染病が蔓延していた。ブハラの保険衛生面が改善するのは、皮肉にも異教徒ロシアの支配下に置かれた後である。
衛生面の恐るべき後退は中央アジアばかりでなく、他のイスラム圏も五十歩百歩の状態だった。19世紀のペルシア(イラン)を描いた小説には、不潔極まる公衆浴場が出てくる。三ヶ月も取り替えず悪臭を放つ水が浴槽を満たしており、それを“コッル”(宗教的に清浄な水)と称しているのだ!水はあまりの汚れのために玉虫色に変色していたが、街の人々は誰もこの腐った水の危険性に気付かず、“コッル”の名前だけであらゆる汚れが清められると信じていた。19世紀後半、イランを訪れた日本人も現地人から、子供の治療を頼まれている。
現時点では日本の医療は世界最高水準にある。しかし、この先何百年後はどうなるのだろう?イスラム圏のような後退にならないという保証は全くないのだ。
■参考:『十字軍』創元社、ジョルジュ・タート著
◆関連記事:「文明のたそがれ」
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「脚に腫物ができた騎士と痩せこけた女が連れて来られました。私が騎士に膏薬を少し付けてやると、腫物の口が開き膿が出て回復に向いました。女の方には食餌療法の治療食を処方し、元気を取り戻してやりました。そうこうしている内に、フランク人(東方では西欧人をこう呼んだ)の医者が一人やってきました。そして私のことを患者の治療法も知らない薮医者だと言うのです。医者は騎士に「一本脚で生きているのと二本脚で死ぬのと、どちらがいいか」と尋ねました。騎士は一本脚でも生きている方がいいと答えました。すると医師は「頑健な騎士によく切れる斧を持って来させてくれ!」と言いました。騎士が斧を持ってくると、私自身その場に立ち会ったのですが、医師は病人の脚を分厚いまな板にのせ、斧を持った騎士に向って言うには、「この脚に斧の一振りを加えてくれ。ただ一振りで切り落とすのだ」。私は騎士が最初の一振りを加えたのを見ました。しかし脚は切り落とされませんでした。二振り目で脚の骨髄が飛び散りました。そして病人はすぐに死んでしまったのです。
それからフランク人の医師は女を診察すると、女に取り付いた悪魔が頭にいるから、髪を剃らせるようにと言いました。女は髪を剃ると、フランク人の食べ物で、とりわけニンニクとカラシを使う以前の食事に戻ってしまいました。女がますますやせ細るのを見ると、医師は「悪魔がもう頭の中まで入り込んでしまった」と言い、剃刀を取ると脳天に十字架の切込みを入れました。そして真ん中に骨が見えるほどの深い引っかき傷を作りました。それから全体を塩でこすると、女は直ちに死んでしまったのです。私はフランク人に、まだ私が必要かと聞くと、もう結構だという答えだったので、帰って来ました。それにしても、フランク人の医術について、今まで知らなかったことを教わりました」
上記の記録には、フランク人を「ただただ至高の神を讃え崇めるばかりだ。彼らの中に重荷を担う力強さと我慢強さという美徳を持つ獣の姿が見える」との表現もある。当時世界最先端をいっていたイスラムの科学を学ぼうとしたフランクは至って少なく、逆に親交を持った東方人に「君の息子を俺の国に連れて行きたい。そこで思慮分別を身に付け、騎士道を学ぶだろう」と言う者もいた。侵略者フランクの粗野と無知を嘲ったイスラムだが、この先フランクが大躍進を遂げるのと対照的に、イスラム圏が凋落と後退に陥る未来を予想した者などいただろうか。
イスラムを代表する大科学者イブン=スィーナー(980-1037年)の、名高い『医学典範』は、16世紀ごろまでヨーロッパの大学で使用され、欧州の近代科学に多大な影響を与えた。その彼の生まれ故郷ブハラ(現ウズベク共和国)は19世紀から20世紀初頭になると、医療機関に値する施設は一つもないという惨状だった。医療関係者らしき存在は、治療師、呪い師、産婆くらいだが、ほとんどが無知無学の輩という始末。この有様では天然痘やマラリア、コレラのような伝染病が蔓延していた。ブハラの保険衛生面が改善するのは、皮肉にも異教徒ロシアの支配下に置かれた後である。
衛生面の恐るべき後退は中央アジアばかりでなく、他のイスラム圏も五十歩百歩の状態だった。19世紀のペルシア(イラン)を描いた小説には、不潔極まる公衆浴場が出てくる。三ヶ月も取り替えず悪臭を放つ水が浴槽を満たしており、それを“コッル”(宗教的に清浄な水)と称しているのだ!水はあまりの汚れのために玉虫色に変色していたが、街の人々は誰もこの腐った水の危険性に気付かず、“コッル”の名前だけであらゆる汚れが清められると信じていた。19世紀後半、イランを訪れた日本人も現地人から、子供の治療を頼まれている。
現時点では日本の医療は世界最高水準にある。しかし、この先何百年後はどうなるのだろう?イスラム圏のような後退にならないという保証は全くないのだ。
■参考:『十字軍』創元社、ジョルジュ・タート著
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さて、これからアジアも急速に衛生観念が育ち、特に発展目覚ましいインドなどは早飯衛生的になることでしょう。
しかしそうなると、ガンガの沐浴なども制限されるんですかね。それはちと淋しいですね。
僕の好きな小説にご存知でしょうがエリス・ピーターズの『修道士カドフェル』があります。
ドラマはNHKでも放映されていましたね。
彼は若かりし頃、十\字軍に参加して、シリアにて薬草学を学びます。
それを活用して難事件を解決いくんですね。
そんな彼も空想の産物なんでしょうか?
「悪魔が取り付いている」など、宗教が絡むのは恐ろしいものがあります。
ただ、日本にも悪霊がついている、などという怪しげな霊媒師もいるから、他国の事は笑えませんね。現代は文明の恩恵を授けていると言わんばかりの、傲慢な西欧人の過去には笑えましたが。
インドでガンガの沐浴が制限される事は極めてありえないと思います。
英国支配時代も、当局は様々圧力を掛けて制限しようとしましたが、やはり不可能でした。
日本人の考える清流とは程遠い川ですが、聖なる川という信仰が揺らぐ事はないでしょう。現代も一部で聖牛の尿がお清めに使われる国でもあります。聖地巡礼は一大観光にもなってます。
手足を切るのが主流の欧州と、手足を残したい東洋の医学の違いが面白いですね。
いかに中世といえ、西欧の医学も衛生面もかなり遅れており、近代になってイスラムと完全逆転するのは、何やら因縁めいたものを感じさせられます。
『修道士カドフェル』はNHKドラマで何度か見ましたが、若かりし頃十字軍に参加していたとは知りませんでした。
映画『キングダム・オブ・ヘブン』も、かなり現代感覚の脚色でしたね。
実は(副作用が)ないのではなく、あるかどうか分からない、というのが事実だそうです。それもそのはず、西洋医学のような臨床試験を行っていないから、分からないのです。
中国の歴史は某半島程ではないかもしれませんが、前の王朝批判の繰り返しです。短期的には重い症状がでなくても、長期的には分かりません。
他国を迷信と批判できる類のものではありません。
日本人は自然の生薬なら安心と思いこむ人が多数ですが、程度の差があるにせよ、副作用のない薬はないそうです。台湾、韓国といったアジアからの観光客のお土産のトップは日本の薬だそうです。
漢方薬は臨床試験さえ行ってないので、実態は不明ですね。薬は必要最小限しか呑まない方がベターかもしれません。製薬業界は不況知らず、とされますね。