その一の続き
塩野七生氏が挙げた瓦礫に対する日本と欧州の対応の違いは実に興味深い。ローマが典型だが欧州の主要都市は瓦礫の上に築かれたのに対し、瓦礫は処理するものと考えるのが日本だと。異民族の侵入が著しかった欧州は町が破壊されることが多々あり、蛮族さえ破壊された地の上に新たな町を築き暮らすことも少なくなかったという。対照的に日本では瓦礫処理に手間取っているのは書くまでもないが、それでいて震災後にマスコミが“絆”のスローガンを掲げるのは嘘っぱちだと批判する塩野氏。
平地に瓦礫を砦のように築き、いざとなれば避難場として利用する案を氏が出したのには目からウロコの思いだった。鼎談の前日、塩野氏は宮城県の瓦礫担当者と会っており、担当者は瓦礫は財産と言っていたそうだ。確かに瓦礫を利用しない手はないし、これぞ真のエコとリサイクルではないか!
ただ、塩野氏は日本の瓦礫分別には苦言を呈していた。きちんと廃材を別け処分するだけでなく、オートバイや車などの元の持ち主まで探すとなればは片付けは遅々として進まない。1~2年して瓦礫の持ち主が申し出なけば、それで打ち切るべきという氏。瓦礫処理の目的がいつの間にか手段になっているのは問題だ…大いに賛成。
震災復興で多くの人の意見を聞くのは結構。しかし、聞きすぎるのはよくない。全ての人を満足させられる政策等ありえないのだから、ある程度で打ち切れと。そのため昔から塩野七生は弱者に冷たいと言われているとか。
鼎談始めの頃、「政治は最大のインフラと言われる」という塩野氏の言葉も情けないことに初めて知った。私から言われれば、無政府主義活動など安定した政府があってこそやれるお遊戯のようなもの。
「強力なリーダーがリスクを取って行うことのほうがよい。日本はこれまでリーダーを育てて来なかった」という塩野氏。面白いのは氏はリーダーと権力者の違いも説明していた。津波の時どこに逃げるか瞬時に判断、皆を率いる人がリーダーであり、この場合権力は必要ない。しかし、東北の復興となれば権力を持つリーダーが絶対に必要と言うのだ。
先日陛下が渡英した時、震災発生直後に被災地入りしたイギリスの救助隊長との会見があったそうだ。この英国人隊長が、「これほどの災害から立ち直ることのできる民族は、日本人しかいない」と言ったことを、これまた塩野氏の講演で初めて知った。氏の言うとおり、これは「日本人としては奮い立つではないですか」
もっとも、震災復興を決して評価せず、粗探しに熱中する有識者のいるのは日本くらいかもしれないが。「きめの細かい対応」「弱者に優しい政策」を日頃から口にする彼らは、被災地で何かしたのか?
弁舌さわやかとは言えないことへの弁明なのか、塩野氏が自分は死者と話してばかりいたためか、生きている人との対話は苦手になってしまった…と漏らしたのは苦笑した。そして次の発言には無名の歴女ブロガーにも励みになった。
「自分は人を愛します、自分の描いた人物を愛します。しかし、その人の良い面ばかりでなく悪いことも書く。私自身が面白がって書いているのであり、日本人の役に立つものを書こうとは全く思っていない。でも、面白がってやると不思議と、役に立つ部分も出てきます…」
検索したら「土橋内科医院 院長ブログ」「大隅典子の仙台通信」というブログ記事がヒット、2人とも仙台市在住の医師で講演会に出ていたのだ。ネットでは自称医師の暇人も見かけるが、2人はほぼ本物だろう。
私も含め一般来場者にはスカート姿の女性も少なくなかった。私もパンツスーツで講演会に行くことも考えたが、場所が老舗の結婚式場「勝山館」だけでなく、やはりオシャレな塩野氏に影響されたのやら。ちなみに氏はシックなグレーの格子柄のスーツを着ていた。鼎談は17時15分に終わったが、この他にも塩野氏の意見には頷くことばかりだった。
◆関連記事:「有識者」
「日本の指導者層には絶望…」
「震災を利用する者たち」
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わたしと同学年くらいのひとたちの企画だったみたいですね。1981年に佐藤幸治「憲法」のはしがきで同世代のある作家との世代的表現とをかたり、昭和10年代の世代的表現としての教科書があります。「サイレント・ナイノリティ」でも触れられているあの本です。勉強する法学部生にはわりとメジャー(とはいっても30年で10万部くらいでしょうか)ですので同世代の司法試験を真剣にめざすレベルのひとにはメジャーな存在でした。
医学系だとまだまだしられていなかったのですね。
ただ中身がわかるのは40すぎてからでしょうからいいときによみはじめたのではないでしょうか。
自称女医と違い本物女医さんにはナナミストがいたことを知って嬉しかったですね。前にも記事にしましたが、塩野さんは自分のファンを次のように評していました。
「私の読者というのは、一つの階層とか一つの職業などでは、とても語り切れない。主婦、官僚、政治家、医者、教師…。中学生から百歳に近い方まで、ありとあらゆる人がいます。ただ、一つだけ共通点があるとすれば、ちょっと外れた人が多い…」
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/4041de697c82373b3a0f184f86bda51b
塩野氏が、仙台で鼎談されたとは、しかも無料で聞けたとは、素晴らしい。
小生も、5月26日土曜日には、早朝に二女一家をホテルの前から出る成田行きのリムジン・バスに見送り、午前11時半には、高校関東支部同窓会に出席と、引退後の暮らしの中では、やや忙しい日となりました。同窓会に出ると、我々の年代としては、長い人生で、色々な味が出てくるものと、人間の不思議さにも巡り会える感じです。
欧州を見て、勉強すると、やはり、ローマ人の世界観、現実的な政治への対応ぶりから、「リーダーシップ」と言うことを考えるようになるのですね。
一人一人は優秀なくせに、全体としては、どうも凡庸すぎると言う日本の政治のあり方は、変えていかないと。足の引っ張り合いは、凡庸な人材がひしめき合っているから。参議院を思い切って無くして、衆議院選でさっと次のリーダーが登場して、4年間思う存分働く・・・そういう体制にしないと、世界の変化について行けません。
ナナミゼというのはいかがでしょうか。タタミゼからの発想です。
土曜日の午前中に次女夫妻は出発されましたか。ロンドンまでは遠いし、時差もありますからね。
本当に震災がなかったならば、塩野氏の講演会を無料では聞けなかったでしょう。記事でリンクした本物女医さんによれば、市民参加可能の特別講演会で「過去には安藤忠雄さんや玄侑和尚、もう少し若いところでは海堂尊氏、香山リカ氏なども講演された」そうです。最後の1人はタダでも行く気になれません。
塩野氏も日本人がずっと強いリーダーを育ててこなかったことに批判的でした。そのような政治家が現れると、知識人などが寄ってたかって潰してきたと言うのです。政治家はある程度いいかげんでよいし、任期中ならある程度任せた方がよいと。
文芸評論家の人気ブロガーは、塩野氏の政治迎合を非難していましたが、この類こそが足の引っ張り合いをするだけの役立たず文化人です。評論家など他人の作品に寄生して食っている連中だし。
サユリストだけでなく、「コマキスト」というものもありましたからね。
「タタミゼ」と言う言葉は初めて知りました。検索したら、wikiにありましたね。確かにナナミゼの方が響きが良いかも。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%BC